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僕には喋りのお仕事しかない~いじめから脱却できたのは“喋り”のおかげだった~

突然ですが、noteを通して書籍出版を目指します!タイトルは「僕には喋りのお仕事しない~いじめから脱却できたのは喋りのおかげだった~」です!

声優を目指すことで喋りを意識し始め、最終的にどのようにして声のお仕事をやらせていただけるようになったのか?をゴールに書いていきます!

その間(特に学生時代)はコミュニケーションにかなりのトラウマがありました。いじめのせいで友達の前ですらしっかり話せなかったのに、どうやって人前で話すことでお金をもらうまでいけたのか?

長い文章の旅になるかと思いますが、声のお仕事を少しだけ先に行っている先輩の言葉として、お付き合いいただけましたら幸いです。


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僕が声優を目指した理由は“中学生時代、いじめられっ子だった”から。

嫌なことをされても嫌と言えず、とりあえずやられっぱなしの毎日。行きたくなくてしょうがなかった中学校。

そんな学生生活の中でも「あ、声優になりたい」と思える日ができました。声優を目指したきっかけと、いじめを受けていたことの何が関係あったのか?そしてもう一つの理由。

“コミュニケーションがうまくできないコンプレックス”

こちらに関しては後ほど書きます。

いじめられっ子で、コミュニケーションがうまくできなかった僕。しかし、そんな僕でも、喋りのお仕事でお金を頂けるようになりました。

「誰だって自信を持って喋れるようになる!」なんてことは口が裂けても言えません。言えませんけど、すぐに変えられることを一つずつやっていくことで“マシ”にしていくことはできると思っています。

嫌なことを嫌と言えなかった僕が、コミュニケーション成功体験を通して、喋りのお仕事でお金を頂けるようになったお話。他人に自分の意見をうまく言えない人の一推しになれましたら幸いです。

【嫌と言えなかった中学生時代】

学校に着いて、下駄箱を見る。

「あー、今日もねぇーなー」

上履きがないのは当たり前。こんなことに慣れちゃいけませんが、無い事の方が多かったので「またか」くらいにしか思いませんでした。無くなり始めたときはすっごく嫌でしたよ。でも、良いことも悪いことも慣れちゃうんです。多分、慣れることで傷つくことを軽減していたんだと思います。

冬の廊下は冷たくて、自然と早足になりましたね。友達も担任の先生も気づいていたのかいなかったのか、特に何も言ってくることはありませんでした。正直、担任の先生には何とかしてほしかったんですけど。まぁ、僕から言い出すことができなかったのもいけないんですが。

でも、声をかけてくれる人もいたんです。学年主任の沓澤(くつざわ)先生でした。靴下のまま廊下を歩いていたとき

「上履き、どうしたの?」

と聞かれたので

「いや、朝来たときに無くて」

と、言ったら

「おいで。先生の貸してあげる」

と言ってくれたので、一緒に職員室に行きました。何用の靴なのかわかりませんが、スニーカー?運動靴?のような物を貸してくれました。爪先に空間ができるくらいの大きな靴。歩くたびパカパカ鳴っていましたが、特別な物を履いている感じで嬉しかったんです。

ただ、毎回毎回貸してもらうわけにもいかないので、言い出せない日は1日中靴下。学校内であればまだなんとかなりますが、家から履いてきた靴が無くなっている時もありました。さすがに靴下のまま外を歩くわけにはいかないので、どうしようかと思っていた時、助けてくれたのはやっぱり、沓澤先生でした。

たしか、体育の時に使う運動靴だと言ってましたね。僕のことを気遣ってくれてか、とくにおおごとにせず、貸してくれました。

もしかしたら「いや、そこはクラスとかの問題にした方が」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、履ける靴があればよかったので、問題にしてほしくなかったんです。親にバレるのも嫌だったので。


これは高校生の時の話になるんですが、中学の同級生から「沓澤先生が、病気で亡くなった」という話を聞きました。その日、僕はアルバイトがあって葬儀には行けませんでした。今だに後悔しています。

沓澤先生は僕を助けてくれたのに、僕は何もできなかった。病気をなんとかすることはできませんが、アルバイトなんかほったらかして、手を合わせにいくことくらいはできたはずです。

‥いや、そんなことをしたら怒られてしまうかもしれません。学年主任をやってくださるくらい真面目な先生でしたから。アルバイトから帰ったとき、部屋の真ん中に座って、黙祷をしたのを覚えています。

調子のいいことを言っているのは承知ですが、多分先生は「ありがとっ!」と高いとも低いとも言えない廊下に響くハリのある声で、お礼を言ってくださると思います。

「沓澤先生というめちゃくちゃかっこいい先生がいたんですよ」

このお話をすることが、今の僕ができるせめてものお礼です。中学生時代に話は戻ります。


【笑いで返すことで】

キモいだのオタクだのと言われ嫌だったんですが、嫌とは言えませんでした。でも、こういうことを言われないようにしたい。そこで僕は

「ありがとうございますっ!」

と、言い返したんです。気をてらってとかではなく、ただ「嫌だ」と言えなかったから。すると

「うわっ、ありがとうとか言ってんだけど」

とドン引きをされ、それ以降言われなくなったんです。

「あれ?もしかして、相手はそこまで強くないかも?」

そこからなぜそうなったのかはわかりませんが、何かを言われたら“ツッコミ”をいれるようになっていったんです。笑いで返すことが、クラスの中で生き残る生存戦略でした。すると、それがハマったのかいじめっ子たちに

「ツッコミのキレがいい」

と言われるようになりました。

『おい!つっこんでみろ!』

「いやっ!ボケてもないのにつっこめるか!せめてボケてから言えよっ!」

『おぉぉー』

「おー!じゃねぇーよ!」

‥なんでそうなった?と思われるかもしれませんが、そのままを書いているのでしょうがない。この経験から僕は

「力じゃ勝てないけど、喋りなら勝てるかもしれない」

と思うようになりました。ここからですかね。バラエティ番組やお笑いを見て「喋り方」の研究を始めたのは。


(次回)「好きな子が“声優になる!”って言ったから‥」

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ナレーター
有野優樹(ありのひろき)

正直に言います。話を上手くするため、映画を見たり本を読んだりのお金に当てます。直近、島に暫く住む予定なのでそちらの生活費に。