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夢を追う君へ。20代のわたしが"踊ること"を辞め、会社員に戻った理由

限界だな、と思った。思うように身体が動かない、振り付けが頭に入ってこない。ただ『踊ること』に集中したくて会社を辞めて渡米までしたのに、あっさり踊り続ける選択肢を手放した。これからの時間を、違うことに使うべきだと全身で感じることができたから。


一昨日『欅坂の平手友梨奈さん、グループ脱退』報道にショックを受けて凹み中な今日この頃です…(T-T)一回り以上も離れた子のキレと雰囲気のある踊りにデビュー当時からずっと釘付けでした。アイドル好き!と言うよりは、ジャンルを問わず雰囲気がある人が好きなんです♡(←どうでも良い)


大ファンの方はもちろん、欅坂を知らない方も、2019の紅白を見逃した方も。
響きや黒い羊(MV)を見たことある人はきっと多いはず!↓このセンターで歌う女の子が、平手さん↓。通称・てち♡

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ずば抜けた表現力と身体能力の持ち主なんですよね。
羨ましいぐらいの体の柔らかさ。もちろん、磨いてきた努力の時間も計り知れず。キレと厚みのある、音が聞こえる踊り方ができる…若干まだ18歳。

その卓越した演技力と身体能力はそうそう見ることができない逸材だと言われていて。しかも、アイドルで身体でも言葉を表現できる人は稀じゃないかと思ってしまう。

不自然な力みもなく、自然と身体が『表現』している。そんな彼女が『卒業』ではなく『脱退』という言葉を選んだことが話題に上がって。この言葉を彼女自身があえて選んだ理由を、どうしても考えてしまう自分がいて。

今、続ける』か『今、辞める』か

この先の時間を、どう生きていきたいか?


スポットライトの当たるその先で自分のこと以上に、チームにとってどうあるべきかをずっと考えていたのかな。

踊れる天才も、いつかはみんな辞める。
辞めると言うことは、次の追い求める道がうっすら見えたと言うこと。
辞めるって、始める以上にタイミング。


何者にもなれなかったわたしが『dancer』になる過程を放棄した理由は。

『もう、これ以上踊れない』
『生きれない』

デビューどころか、なんのオーディションにも引っかからない。
大会や衣装にかかる出費ばかりで収入がない。


dancerとして生きていけるか?
本気で生きていく気があるのか?

コレは生活が出来るのか?以上に必要な問いだったのだけど。


覚悟を自分自身に問うために20代後半で建築士と会社員を辞めて、1人ロサンゼルスに2ヶ月ほど飛んでみた。そして、世界の名だたるアーティストたちが練習に来るスタジオで。一般人と職業・ダンサーの人に紛れながら毎日、毎日8時間以上踊り続けた。

で、思った。

『これ以上、踊っても見込みないんじゃないか』って

そして、その数ヶ月後。
わたしはあっさりと踊る事を一切、辞めました。

『生きるために』

母親は初めから、ダンスをやること自体を反対してたし。誰もわたしが本当のステージを目指しているなんて、思ってもなかったんだと思う。

ロスへ飛ぶほんの少し前。会社を辞めることと、アメリカへ行くコトを友人やdance仲間に伝えた時も当然かな、周囲からはもちろん罵詈雑言の嵐が吹き荒れ♡

「そんなとこに行って何があるんだ」

「時間の無駄」

「バカなの!?」

元々、誰かに自分のことを相談する習慣もないので突然のことに余計ビックリされたのかもしれないけれど。これに関してちょっぴり反省もしています。

両親もめちゃめちゃ真面目で、建築士以外への理解は全く無かったので。相談してもしょーがないなーって勝手に思ってたから。


これからロスに飛ぶ、その日。成田空港から「今からちょっとロスだから」って母親に電話した。

「は??…何言ってるの!!!戻りなさいっっ」

って。当然、携帯越しに呆気に取られた間もあったけど。
激怒する母親の声を遮りながら


「とりあえず、フライトまで時間ないから、切るね〜っ!行ってきまーす」て言って切りました。結局、理解されない事にモヤモヤした気持ち(当たり前!?)は、飛行機の窓から見える雲と、機内の映画がかき消してくれたわけだけど。


「ホント、バカなのっ⁉︎」
「今の会社を辞めて、次があると思ってんの⁉︎」
「いい加減、落ち着きなよ〜」
「そんな短期間でアメリカ行ったって何の意味もない。時間と金の無駄だと思うけどね」
「絶対、上手くいきっこない」
「そんなの、東京で良くない?」
「金と人生無駄にしてるよね」
「その年でバックダンサー目指すとか無理でしょ」


散々、いろーんな事をいろんな人に言われました♡
danceの先生にも、チームメイトにも。
とは言え、日本でダンス漬けになることは絶対に出来なかったと思うし。やっぱりコトバがわからないからこそ、行って良かったと思うことばかりなので後悔はしてない。


ここまで言われて、アメリカ行ったのに結果すぐ辞めてんじゃん!って話ですがww

行かずにあのまま日本にいたら今も捨てきれずに宙ぶらりんだったかもしれない。


「行こうか・行かないか」「やろうか・やらないか」に悩んでる人には、とりあえずその意思と熱量を聞いてからだけど…基本、「行ってこーい♫」って言う。

年齢が若くても、年上でも関係ない。
だって、自分の心がそこに惹かれているんでしょ?
だったら、そこにはきっと『何か』が待ってるんだと思うから。


『行かない』なんて、選択肢はない。
『やらない』なんて、選択肢はない。


※自己紹介でもチラッと触れています。
良かったらこちらもどうぞ♡


この、アメリカで過ごせた時間は、忘れられない思い出です。
1つの事にしか集中しなかった時間って、この時以降ないしww
逃げ場が一切ない、あのdance漬けの日々。
朝から晩まで受講できるフリーパスのお陰で、自分の身体と向き合う事も出来た。言葉が通じないストレスも、周囲がくれる優しさも。全てに敏感になれていた。

人種も言葉も違う、知らない人だらけの輪のなかで。
飛び交う言葉は、ろくに分からない。

だけど救いだったのは。
danceは身体の動きが分かれば、ついていけること。
先生の身体の動きを見れば、何を言っていたのかは何となく理解できた。
何を注意されているのかも、身体で教えてくれた。

でも、自分の身体で再現できないからww
質問に使う単語だけは必死に勉強しました。
呼吸、筋肉の使い方、可動域。全てが違ってワクワクしたな。

欧米では、日本人ダンサーは嫌われると聞いていたけど。別にいじめられるようなことも無かったし。世界の至る所で活躍する人から、近所の小学生まで。
幅広い年齢層が『身体1つで表現する』ことを学ぶ為に集まったあの場所で。わたしは本当にたくさんのコトを学んだと思ってる。


何か得られるモノがあるんじゃないか?って、抱いた小さな期待は。それ以上の出会いと教えをくれました。


だけど、帰国後。現実は無情にも考えなしだった自分に反省を促すように。非常な現実を突き付けられた。それは、もちろん…


「お金がなーいっっ!!生活できないじゃん!」



当たり前といえば、当たり前。danceもレッスンに遠征に、身体を作ることに。メチャメチャお金と時間がかかるのに長年かけて貯めた貯金なんてほぼ一瞬で尽きたww


ひとり暮らしで、頼れる親戚も近くにいるわけでもなく。帰国後は日々のバイトの掛け持ちに時間を取られ、踊ることにも疲れてしまって。どこかに所属する為に動き回ることもせず…ただ、ただ小銭を稼ぎながら時間だけが過ぎていく。


「もうこのままじゃ、絶対にダメだっ!!」


携帯も止まることが増え、部屋の家賃も払えるのか不安になり。生きる為に。いま、自分に出来ることを考えた。


「イヤだけど、正社員に戻るしかないのかも…」

何度もよぎる、生活と踊ることのバランス。バイトはメチャメチャ非効率で無駄が多すぎて、当たり前だけど明日のシフトの保証もないし大会やオーディション前に都合よく休めるところも少ない。時間の制約があるものや、移動に時間を取られてたら。全然稼げないし、疲れてチーム練習すら行く気になれない。かといって、スタジオとかで人に教えていきたい訳でもない。

自分が、ステージで踊り続けたいだけ。

「正社員を辞めたのに、これじゃ何の意味もない」

モヤモヤする日々、何もかも、上手くいかなくなった。
「やっぱり正社員しかないのかな?でも、もう建築はやりたくないっ。違うコトって何するの??」


ぐるぐるグルグル…ストレスで胃がずっとキリキリしてた


「……‼︎もう、やめよう‼︎‼︎」


今でもしっくりくる言葉が見つからない…
何を差し置いても。絶対にやるんだ!』って気持ちが続かず、踊る事を放棄した日。


『この、踊っている時間を。もっと違うことに使ったら成し遂げられる事が多いんじゃないか?』って、いつの間にか悩み出すようになっていたから。

いつのまにか
踊ること・表現することが第一優先では無くなってた。

まぁ、要は「ダンスセンスも才能も時間もない」と自分に見切りをつけ。頑張れないし居場所がないしっ!って言い訳を胸に、逃げた訳です。勝ち目の見える場所に。


まだまだ27歳。メイクも服も美容院にだってお金は使いたいっ!何でこんな苦しい生活をしなきゃいけないの??って思ってた。

やっぱり

『好きなことをするにはお金が必要だ!』と。
効率が良いのはやっぱり、正社員だ!って答えを出した。

と、言うことで、勧められて受けることになった再就職のお相手は有名大企業でした。中途入社の試験を受ける人々は1000人をゆうに超えていたので。

「まぁ、これで落ちたらもう建築には縁が無いってことだし。違う道を探そ」って本気で思ってた。
※もちろん、受かるための勉強はした※


そんな会社に地方の支店でたまたま縁あり、合格。
だから、そんな縁に『仕事』だけに、全力を打ち込んでみた。全てのプライベートを犠牲にして、昼も夜も雨の日も雪の日も、会社と職人さん達の間に立ち続けて工事をこなし続けた。


もちろん同僚や上司の協力もあり、目に見える成果を数字と実績として積み上げ続けることができたおかげか、トントン拍子に昇格し。異動が決まり、するっと転勤・異動を繰り返し。会社の名前と関係者たちに守られて、給料は高くもないけど、それなりに安定した日々が続いた。


あの決断の日から約10年ー
建築以外をやらないと決め、仕事以外の時間を作らなかった。

スキマでやるゴルフがたまの息抜きで。
しばらくは、アイドルは見るけどステージは見ないという、ダンスを見ることがイヤで避けてた時期もあって。

もちろん、あの極貧の経験があったおかげで、『次は投資や権利収入も走らせとこうっ』て決められたし、めっちゃめちゃ勉強するきっかけになったし。


「いつかお金が貯まったら…」なんてふざけた理由で、いろいろ諦めなくて良かったと、今でも思ってますし。今でもお金がなくても、学びたいっと思ったら有り金突っ込んで、速攻行ってますww

乃木坂のライブにも行ったww

夢や目標を叶えるために、走り続けるって絶対にいろんなことがある。
イヤなことも、できないことも。

叶まで続けるのも大事。
でも、叶わないことは必ず、次の何かに繋がってる。


わたしはまた懲りずに、安定を捨てて挑戦する日々に戻ることを決めけれど。縁あって、プチランウェイを歩いたことでモノづくりの対象がファッションに向きました。そして、年齢関係なく輝ける可能性がある道はいくつもあることを間近で知ることができました。


年齢に関係なくー
輝き続ける女性たちが、どんどんキレイになっていく人たちが数多くいることを知りました。


それは、また。別のお話ー


ここまでお読みいただき、ありがとうございました(^^)
どうかこれを見てくれたあなたの夢が、
1つのカタチになりますように♡


Be happiness
 DREAMS COME TRUE

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