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【命を繋ぐ「マタンサ」】

「もし、たった一日しかスペインにいられないならば、迷わずトレドへ行くべき」

そんな言い伝えを残すのは、首都マドリードから70キロほど南下した場所に位置する美しい古都トレド。

もちろん、トレドに行きさえすればスペインが丸ごとわかるというものではないけれど、食文化という側面から見ても、他の場所にはない独自性を持ち据えた「行ってみたい都市」であることは間違いない。

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《現在位置をチェック↑》(微妙に南下)

紀元前2世紀ごろにローマ人が築いたトレトゥムの町は、597年から711年にイスラム軍の侵攻をうけるまでの560年から711年間の間、ゲルマン民族からなる西ゴート王国の首都として繁栄した。

アルフォンソ6世の統治以来、イスラム・ユダヤ・キリスト教の三宗教が長期にわたって共存した都市トレド。

のち、カトリック両王のキリスト教保護策により、イスラム・ユダヤ教徒達はこの地を追われたものの、食文化を含む彼らの文化様式の名残は現在でもこの地に根強く残っている。

 
「人」が動くと「食」が動き、歴史と共に食文化が生まれていく。

何百年もの間、豚肉を食べることを禁じられたイスラム・ユダヤ教徒たちは、豚肉なら鼻先から尾っぽの先まで余すところなく食べるキリスト教徒たちと、どうやって共存したんだろう……。

そんなことを考えながら、朝一番のデサユノをとる。薄藍色の空の裾がオレンジ色に光はじめている。

朝10時頃から、アルムエルソという二度目の朝食をしっかりとるので、デサユノはコーヒーとクロワッサンなどで軽くすませるのがこの国の習慣。ちなみに”des-ayuno”は、断食を終えて元の状態に戻る最初に口にする食事を意味する。


歩きやすい靴を選び、天候に合わせて軽く身形を整えて町に出る。旅先だと流行とか人目を気にせずに着の身着のまま、自分にとって最小限のものがあれば充分だと思えるから不思議だ。異国の空気がそのままでいいよと背中を押してくれる。


朝9時半。細胞起動装置にスイッチが入れられたように、アルムエルソの準備を始めた街角のバールから一斉にいろんな匂いが漂いはじめる。

出来立て《トルティージャ》の匂い、アツアツのイカのリングフライやコロッケの匂いに、ミートボールの匂い。一気に目覚めた脳の分析センサーが、フル回転で脳裏に映像を浮き上がらせてくる。

けれど、今回はさらに意識を集中させないといけない。なぜなら、分析データのない未知の匂いを探しているのだ。


今回の宝探しはトレドの《モルシージャ》。スペインでは、地中海沿岸を除く広い地域で豚の血入り腸詰めを総称して《モルシージャ》と呼んでいる。

豚の腸詰めは、古代ローマ帝国時代には既に食されていたのだけれど、その後の長期にわたるイスラム帝国の支配により、香辛料を多量に使用するというイスラム食文化の特色が反映され、ニンニク、パプリカ、タイム、クミンといったハーブやスパイスが使用されるようになったという。

この名作ドン・キホーテの中に登場するにも登場する超スパイシーな《モルシージャ》を食べてみたくなったのだ。


《モルシージャ》は本来、その他の腸詰類と同様にスペイン各地で行われていた豚のマタンサの産物の一つで、貯蔵食として造られたものに他ならない。

さらに、宗教上、食に関する複雑な規制があったトレドにおいては、豚肉ではなく牛・ロバ・仔羊肉を材料として造られた腸詰めも存在するという。

実はまだお目にかかったことのないロバ肉入りの腸詰。ロバ肉の味というのはどうも想像もつかない。耳が伸びたらどうしよう。

ちなみにヤギ肉入りというのも調べてみたらあるらしい。

それはそうだろう。ヤギ乳チーズだってあるのだから。

それで、ドン・キホーテが食べた《モルシージャ》はどうしたのかだって?


いや、宝物探しっていうのは、そう簡単にはいかない。

だからこそ楽しい。


【命を繋ぐ儀式「マタンサ」】

「マタンサ」という言葉は、報道の分野では「無差別的な虐殺」の意味で使用されることがある。けれど、中世ヨーロッパにおいては、「マタンサ」は、農民たちの食糧確保を目的とした非常に一般的な冬の行事であった。16世紀に描かれた「フレミッシュの絵暦」という絵画には、当時の様子が描かれている。

エストゥレマドゥーラ地方モンタンチェス周辺や、カスティーリャ・イ・レオン地方のソリア周辺などの自給自足の生活習慣が残る地域では、現在でも、11月11日の聖人サン・マルティンの日を目処に、村はマタンサ色に染まり始める。

なぜ、この日に始まるのかというと、一年の中でも気温が低く、蝿を含む寄生虫の心配が少なくなるこの時期が、保存食を作り始めるのに一番適した時期だからだ。

丁寧に洗浄した牛の腸に挽いたばかりの肉を詰めて腸詰にし、足は塩漬けにされて生ハムになる。豚の血は、ひっきりなしに混ぜなければ固まってしまう。耳や尾っぽはカラリと揚げられそのままアペリティブ。お昼には鼻先、足先を豆と煮込んだ料理とワインで疲れた身体を癒す。談笑し、歓喜し、作業の終わりを祝った後、出来上がった貯蔵肉をそれぞれが分け合って持ち帰っていく。

「マタンサ」は、小さな村、または家族単位で、関係者を総動員して一年分の大切な保存肉を確保する為の大作業なのだ。

けれど、この生きるための食料保存の作業が一部観光化してしまったことで、動物を殺処分する様子を見世物にするお祭りのように思われているところがある。

一年の締めくくりとしての作業であり、同時に翌年を迎えるための作業でもあるマタンサには、去り行く年への感謝と、更なる豊穣を願って、豚を生贄にするのだという説も確かにあるのだ。

彼らは自分たちが生きるために豚を大切に育てる。健康で大きく育った豚は彼らの誇りでもある。豚が最期の叫びと共に命を失う時、その命は、彼らの命となる。彼らはそれによって生きられること、命を繋ぐことに感謝し、喜びを分かち合う。

「マタンサをするんだけど、来ない?」

ある日、友人から誘いを受けた。自分たちが生きるための命を家族でもない異国の人間と共有すると申し出てくれたことを、心から感謝した。

「有難う」
「いただきます」

有ることそのものが難しい一つの生命体を、自分の中に取り込む。

スペイン語には日本語の「有難う」「いただきます」の意に相当する言葉はない。けれど、その精神は間違いなく存在している。


【マサパンの誘惑】

タホ河に周囲をぐるりと囲まれたトレドの町。ムデハル様式を用いた太陽の門を抜けて旧市街地へ入ると、石造りの壁に挟まれた曲がりくねった細道に、なだらかな登り坂が伸びている。

少し息を切らせながら進んでいくと、甘く優しい香りが鼻先を擽りにやって来る。香りの主を追いかけると、招かれたように《マサパン》の店がいくつも立ち並ぶ広場に到着する。目の前にはサント・トメ教会がその光景を見守りながら静かにそびえ立っていた。

《マサパン》とは、アーモンドの粉を砂糖を煮詰めたシロップで練りあげた一口サイズのお菓子で、《トゥロン》と共に、クリスマスのお菓子として親しまれている。

ちなみに《トゥロン》は、アーモンドを主とするナッツ類を板状に固めたクリスマスの代表的なお菓子。スペインでアーモンドを使ったお菓子が非常に多いのは、800年にも渡ってこの地を支配していたイスラム教徒たちの置き土産でもある。

数件あるうちの一軒に入ってみると、店の奥では太ったおじさんが慣れた手つきで《マサパン》を焼いている。サン・クレメンテ修道院の修道尼が空腹をしのぐために考案したのが始まりだという《マサパン》。店内に並べられた大小様々な《マサパン》をよく見ると、水壺、カタツムリ、鳥、魚といった生活関連物を模っていて微笑ましい。

まだ温かさの残る小さな《マサパン》をポンと口に放り込んでみる。スペインのお菓子は一般に度を超して甘い。この《マサパン》も例外ではない。

強烈なアーモンド香りと一緒に口蓋に飛び込んできた異国の塊。脳まで届くような甘さがアーモンドの優しいコクと混ざり合い、身体の中に入っていく。

(きっと、渋めに点てた抹茶なんかと合うんだろうな……)

激動する歴史の中で何度も手が加えられ、時代に順応してきた食べ物が、また、全く別の文化と絡まり合って新しい歴史を刻み続ける。自分も歴史の一部を作っているのかもしれない。何だか照れ臭くて肩がキュッと上がった。

甘すぎるお菓子は好きではないはずなのに、今日は程よく身体に溶けていく。

中世にタイムスリップしたような建物の合間から覗く空が蒼く高い。
さてと。お腹が空くまで、もう少しトレドの町を歩いてみようか。


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「あのお菓子は何て言うんだろう?」
「あれなら食べたことがある!!」
「こうして食べると美味しいです」

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