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年始恒例、ロスコン・デ・レジェスで運試し。王冠は誰の頭上に輝くのか!?

昨日、1月6日はカトリック教では公現祭(エピファニー)にあたり、イエス・キリストの誕生を祝い、東方から3人の王様が贈り物を持ってやって来る日とされている。

カトリック教国として名高いスペイン。本来、サンタクロースがやって来るクリスマス・イブの夜ではなく、この日こそが、子どもたちが年に1度のクリスマスプレゼントを待ち侘びる日。

王様たちが跨がったラクダが自分の家の前に止まってくれるように、玄関先には水やクッキーや牛乳、時には人参を用意する。

「お手紙、届いたかなぁ」
「私はメルチョル王にお願いしたの」
「僕はプレゼントが貰えるなら誰でもいい!」

王様は三人。それぞれお目当ての王様に前もって手紙を出す思慮深い子もいれば、3人いれば誰かは持ってきてくれるんじゃないかと行当たりバッタリの子もいる。実は親の仕業だと知っていても、知らん顔してプレゼントだけはいただく要領の良い子だって万国共通にもちろんいる。

そして、子ども達が、ようやく眠りについた頃、親たちが、こっそりとプレゼントを用意するのだ。プレゼントの置き場は、クリスマスツリーの根元であったり、都合よく、翌日一緒に食事をする予定のおばあちゃんの家に王様が訪れることもある。

子どもたちにとってはクリスマス休暇中最大のイベント。残念ながら翌日からは学校も始まってしまう。各村では王様たちの到着をイメージさせる豪華な仮装パレードがあり、子どもたちのテンションもクライマックスに達する。

そんな中、大人たちも一緒になって夢を馳せる伝統菓子がある。ロスコン・デ・レジェスという菓子パンのことだ。王冠を象ったドーナツ型の菓子パン。オレンジ風味の生地の中には、たっぷりのクリームがサンドされ、更に、小さなフィギュアと空豆が隠されている。

あれ?
フランスにもそういうの、なかったっけ?

と、ピンときた食いしん坊の方。ご説明しよう。

歴史は紀元前2世紀頃まで遡る。当時、秋から冬にかけての豊作を祝い、12月の中旬頃になると、農業の神への貢物として蜂蜜、ドライフルーツなどを使ったお菓子を備えものとして用意した。その中の一つに、子孫繁栄の祈りをこめて空豆を忍ばせ焼いたパンが存在したという。これが、このお菓子の起源。

時を経て、このパンは大陸を北上しフランスにまで到達する。やがて、アーモンドペーストを使ったり、パイ生地にしたりとお洒落に成長し、かの有名なガレット・デ・ロアと呼ばれるものに成り代わっていく。

一説によると、とあるパティシェが、若き日のルイ15世を驚かせようと、本物の金貨をお菓子の中に混ぜ込んだことから、お菓子の中に小さなフィギュアを忍ばせるという習慣が根付き始めたらしい。

可哀想そうなのが空豆で、今までは子孫繁栄の象徴として、当たった人にもたいそう喜ばれ感激されたものが、フランスにおいては徐々に影を薄め、スペインでは、「当たった人はお菓子の代金を支払わされる」という望まれざる者扱いを受ける羽目になってしまった。

ちなみに、スペイン語で空豆を意味するfaba=habaという言葉自体も「おバカ野郎」の意味をひっそりと隠し持っているので、「なんて、空豆な奴!」なんて言われないようにしよう。

つまり、この日、一つのロスコンを数人で食べ、見事、フィギュアに当たった人は王様として、その後一年間の栄華を約束され、空豆に当たった人はシュンと頭を下げて、来年のロスコンの支払いをすべくコツコツと働く使命を受ける。

これはもう、大吉から中吉、小吉、吉、凶があって、少々悲しい結果が出ても神社の境内の木に結んでくれば運気が良くなるというような甘いものではない。大吉か大凶しかない一種のサバイバルゲームだ。

話が長くなってしまったが、このロスコンゲームが、何を隠そう、我が家の毎年恒例『集団運試し大会』となっている。

そうは言っても、子どもたちが小さい頃は、子どもたちの誰かに空豆が当たったところで、結局、私が支払うことになるのは仕方ないので諦めていた。しかし、下の子が成人した今年から、ようやく正式に、各自支払い義務を遂行していただくことになった。万々歳!!

我が家のお気に入りロスコンは生クリームとトリュフクリームのハーフ&ハーフ。両方の味が楽しめるように、それぞれのクリームが挟まった部分を一切れずつチョイス。そして、切り口から中の「お宝」が見えてしまわないように、各自が選んだ二切れに全員が「せ~の」でかぶり付く。

「当たったぁ~~!!!!!」

なんと、なんと、25年目にして、初めてお母さんにフィギュアが当たった。これでやっと、25年のロスコン購入係のお役目御免させてもらえると、喜びを隠せないままニヤニヤヘレヘレしながら残りのもう一切れにかぶりついた。

「うそっ……あ、当たった……」

こんなことがあっても良いのだろうか。事もあろうに、フィギュアと空豆の両方が私に当たってしまったのだ……。

王冠をゲットしたところで支払い帳消しにはならない。25年の呪縛は解かれる事なく、来年もまた私が購入することを確定した瞬間。こうして、この際、喜びの種にもなら王冠と共に、支払い義務は再び私のものとなった。

腹をかかえて笑い転げる子どもたち。長男にいたっては椅子から落ちやがった。さらに、何故か一度も空豆に当たったことのない、余計なところで運がやたらに強い夫。飄々と涼しい顔で、当たり外れのないロスコンをペロリと平らげた。

25年間に集まったフィギュア。失くしてしまったものもあって、数えると18個あった。時々、同じフィギュアがリピートしていても、ちゃんとそれぞれに私たち家族の歴史が刻まれている。

私は思う。

毎年、ロスコンを買わされることになっても、こうして変わらず、一緒に笑いながら新年を祝える幸せ。これから、少しずつ家族も増えて、子どもたちのそれぞれのパートナーや、さらに先の将来には、孫たちも一緒になってロスコンを食べる日が来ることを考えると、ロスコンを代を払うくらい安いものだと思わずにはいられない。

よし。喜んで来年もまた用意しよう。

それにしても、いい加減、夫が一度くらい支払ってくれてもいいのに。

奥歯が小さくキシリと鳴るのが聞こえた。

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追記 その1:
普段は、透明フィルムに包まれた本物の空豆が隠れているのだけど、今まで一度だけ、空豆のフィギュアに当たったことがある。写真がその空豆。可愛くて、実は一番のお気に入り。


追記 その2:
ツイッター界隈から浮上した逆佐亭裕らく師匠率いる#note学園で、給食のおばちゃん枠はないですかとつぶやいてみたら、世界史の先生に抜擢(?)していただいた。今年は食文化から見る世界史もちょこちょこと出していきますね。

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