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私の考える真のチームワーク

突然ですが、チームワークって聞いてどんなことを思い浮かべますか。

学生なら部活でのチームワーク、行事の委員会でのチームワーク、とかかなぁ。
社会人ならもちろん会社でのチームワーク、主婦なら家庭でのチームワークですかねぇ。

これのどれも、私にとっては同じで、人が集まって組織されたものは学校だろうが、会社だろうが、家庭だろうが、おんなじ事だと思ってます。

会社で働いていると、時々チームワークをはき違えている人が多いなぁって思うことがあります。

みなさんにとってチームワークって何ですか?どうあるのが良いチームワーク、だと思いますか?

私が新卒で入社した会社は限りなくブラックに近いグレーで割と激務でした。
イメージしやすいように具体的な数字を挙げると、1日のメールの受信件数が大体250件(1人でね)くらい、電話が多いときは100件、少なくても50件くらいでした。
ここの業務自体は結構簡単で慣れてしまえば一件あたり1分くらいしかかからないものもあるし、長くても作業時間だけで言えば3-4分くらいのものが多かったです。

ただ、とにかく数をこなさないといけない仕事だったので、毎回毎回少し調べれば分かる情報の問い合わせ対応を電話でしながら、その間を縫ってメールを処理していく、と言った感じ。

その割にひとつひとつは考えなくても出来ることが多いので、頭を使わない(っていうか考えてる時間なんかないくらい電話がなるしメールもくる)から、もうなんかAIになった気分なんですよ。
機械的に淡々と情報処理、みたいな。
ロボットでした。

私はいわゆる内勤営業的なポジションにいて、外勤営業とペアで仕事をするしくみになっていたんですね。

業界問わず似たような構図の会社って結構あるかなと思うんですけど、外勤の本業は外に行って会社の製品なりサービスなりを売り込んでくること、ですよね。
で、内勤の本業は、社内でそれらの製品やらサービスを実際に提供するにあたって必要な処理、対応をすることでした。

そうであるにもかかわらず、この会社では常時人が足りないか、あるいは能力不足によって、外勤に本来割り当てられた仕事が100あったとしたら、75くらいしかいつも達成できていなくて、あとのわりかし後回しにできそうな25は手が回っていない。
同じく内勤も、本来内勤がやるべき業務が100あったとして、75くらいしか回せていなかったんです。

具体的に例えてみると、電話は基本的に内勤の仕事だとして、1日100件かかってくるのに対して、3コール以内に出れたのは75件で、残りの25件は、3コール以内に出れないか、取り損ねている、ような状態。
あるいは1日に100件メールが来ていて、75件は対応できているけれど、残りは後回しになっている、とか。

それで、この会社の営業部長はこの状況に対応するために、どうしたか、というと。

外勤のできていない残りの25件の仕事を内勤もサポートしてほしい。

内勤が取りきれない残りの25件の電話も外勤もとってあげてほしい。

分かりやすくするために数字を埋め込んでいるので、言い方はこの通りではありませんが、つまりこういうことを社員に依頼してきました。
しかも、別々に、です。
つまり外勤には内勤のサポートよろしく、内勤には外勤のサポートよろしく、と言ったわけです。

本人としては、これでお互いの部署の不足部分が補完できる対応だと思ったのでしょう。
彼女(部長は女性だったので)の脳内は助け合い=チームワークだったんだと思います。

でも、よく考えたら、これってただ、自分のやるべき範囲の仕事もろくにやらないで、他の人の仕事のサポートをする、それでもってその人が自分の出来てない分を逆サポートしてくれるってことじゃないですか。

結果的に、分業の方が効率が良く件数をこなせるはずなのに、分業の垣根を超えて、内勤が外勤の仕事をして、外勤が内勤の仕事をするようにしちゃってるんです。

そもそも、内勤が内勤の、外勤が外勤の、それぞれ与えられた範囲の仕事を全部こなせていないのに、お互いのことを助ける余力なんてないに決まってるのに、それを言い出してしまったもんだから、分業の意味がなくなって、しかもどれを誰がやるか曖昧になって、ある日何かの対応をどちらも漏らしていて大問題、ってことになる日常を作り出してくれました。

この会社の場合はそもそも、人手足りなすぎなのにその中で意地でも回そうとしていたのが問題ですが、だからといって、お互いできる人が助け合えばいいよね♪なんていう発想ではその組織をメタメタに崩壊させてしまう、ってことが分かりました。

私が言いたいのは、人が集まって何かを運営していく時、大切なことは、それぞれに割り振られた別々のタスクをそれぞれが完璧にこなすことこそがチームワークであって、お互いのケツを拭き合うのがチームワークではないですよね、ってことです。
(表現が汚くてごめんなさい笑)

そうでないと、いくつものタスクがある組織というものにおいて、トータルで見た時に機能しないからです。

組織の中に、Aというプロセス→Bというプロセス→Cというプロセスがあって、Dが出来上がるとして、AとBとCそれぞれのプロセスを3人で分担したとしたら、それぞれがきっちり個々のプロセスを仕上げなければ、Dは出来上がらないです。
Aが仕上がっていないからといって、Bが手助けをし、BがミスしたところをAが補足する、ということは、あってもいいけれど常態的ではいけないと思います。
あくまで、チームワークの理想は、各々がやるべきことを全うする、これに限ります。
その上で、助け合う余力があるんなら、やっても良いと思いますが、あくまで自分のタスクが完了していたら、です。

これは先にも言った通り、会社だろうが部活だろうが、委員会だろうが、家族だろうが同じだと思います。

たとえば部活なら、顧問がいて、部長がいて、副部長がいて、部員がいる。
その中で新入部員は、練習の用意だったり、片付けだったりのタスクが割り当てられていて、顧問は主に技術面の指導、部長はメンタル面のサポート、副部長は部長のサポートが割り当てられている。
この垣根がグダグダで、新入部員が用意を忘れて、あるいはサボって、部長が代わりに用意をしていたら、本来部長がしている頑張っている部員の精神的なケアは不足します。
そうすると、総合的に見て部として機能しなくなりますよね。

委員会でも同じ。
何の委員会かはさておき、委員長がいて、副委員長がいて、書記がいて、司会進行がいて、会員がいる。
委員長が最終的な決定をする、副委員長は決定における判断のサポート役、書記は議論やどう決定されたかの記録役、司会進行は公平に会員が自由に意見できるよう場を取り纏める役。
これがもし書記がろくに記録を忘れて議論に参加してしまい、司会が代わりに記録するようになってしまっては、場はまとまらなくなってしまいます。

家庭も同じです。
父親がいて、母親がいて、子供がいるとします。
父親は生活のための資金を提供する役、母親は家庭を清潔に保ち、家族の健康を管理する役、子供は守られた環境であらゆることを自由に学び成長する役だとして、仮に母親が父親の稼ぎが少ないから働きに出ると言って家事が疎かになったとします。その補填を父親がするために残業を切り上げて帰るようになると、収入が減る。これでは本末転倒です。
これは別に逆でもいいですし、もっと細かく分業かつ兼業になってても同じです。
父親も母親も、その家族に必要な資金を100としてお互い50/50稼ぐ役と、家事も父親が掃除洗濯、母親が料理でタスクを分担しているとします。
ところが父親の掃除の要領が悪いとか仕上がりが悪いために、母親が結局掃除をし直す、そして料理が遅くなるから作るのをやめて出来た惣菜を買う、そうすると支出が増えてしまう。

ここで言いたいのは、誰が何をするべきということ自体ではなくて、とにかく決めた分担はできるだけ守らなければチームとして機能しない、ということです。
もし誰かが恒常的に何かをミスし続けている、やり損ねているなら、その分担は考え直さなければいけません。
分担の根本を考え直さないで、その場凌ぎの尻の拭いあい(またか)を続けていると、いつかどこかで崩壊しますよ、という話です。

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