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被虐待&ADHDの私がタイに出会って人生変わった話。〜東京出稼ぎ&日本脱出編〜

なんのつても無く所持金4万円で上京した私は、人生初、鶯谷のキャバクラで働き始めるのだが、右も左も分からない田舎から上京して間もない小娘などカモも同然で、初っ端から店に25万円の借金を負わされてしまう。東京生活は騙し騙されのオンパレードだった。クズ男が転がり込んで来たり、極太パトロンができてはすぐに逃げられたり、銀座のクラブで働いてクビになったり...。
そんなこんなをしているうちに当然病んでしまい、上京して半年経過した8月、再び実家に強制送還となってしまった。眠れない日々が続いたので、母に精神科に連れていかれ、そこで2週間分の睡眠薬を処方される。そしてその晩、何を思ったのか眠りたかったんだか死にたかったんだかはたまたこの世への復讐のつもりか、私は2週間分の薬30錠をたった一晩で飲み干してしまう。翌日起きると錯乱状態で、とりあえずそこにいたアル中の親父をぶん殴った。私は制御不能、胃洗浄が必要とみなしあらかじめ救急車を呼んでいたのだが、何故か警察も一緒に来て、一通り家で大暴れした後パトカーで署まで連れていかれた。記憶は途切れ途切れだが、警察署でも数時間大暴れして、大人しくなると救急車で精神病院まで連れていかれそこで3人の医師との尋問の後、経過観察で問題ないと判断された為、そこから数日間ほど母と車中泊やウィークリーマンションで過ごした。薬の影響と、食事が一切採れず絶食状態だったので、ある日倒れてしまい再び救急車で搬送される。病院のベッドで横になっていると、カーテンの向こうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。なんとそこには病弱の叔母がいた。同じタイミングで担ぎ込まれたようだ。話を聞いた叔母は、「うちに来ていいよ」と言ってくれて、母と共に叔母の家にお世話になる事となった。絶食と薬の影響でぼんやりとした日々、何もすることができなかったのだが、一連の流れを知ったタイの親戚が私の命の危機を感じ、タイへの片道切符を購入してくれた。フラフラしながらもなんとか渡タイし、タイに来てからも2週間もの間絶食状態だったが、タイの空気に癒されなんとか回復、そして今に至る。タイに来てからも、色々な事があった。マレーシアに遊びに行き友達と涙の再開をしたり、50歳童貞のキモ男に求婚されたりと日々忙しいがなんとか生きている。予想だにしない事が起きる人生、これからもたくさんのハプニングに期待したい。

※この文は2019年10月頃に書いたものです。

最後まで読んで下さりありがとうございました。
こちらの文章を書いてから約10ヶ月が経ち、現在は新型コロナウイルスの影響で帰国中です。その後どうなったか、言わずもがなハプニングまみれだったのですが、また機会があれば是非執筆したいです。

今回の文章を通じて、この世界どこかしらには「ありのままの自分」を受け入れてくれる場所があり、薬を飲まずとも生き生きと生活出来る、という事が伝えたかったです。

ADHDで無くても、発達障害、不登校のお子さんを持つ親御様も、一度海外で生活してみる事を考えてみてはいかがでしょうか。

特に東南アジアロングステイは、渡航費、生活費が低く済むので、海外移住において必ずしもまとまった大きなお金が必要と言う訳ではありません。
アジア移住の詳細については、また紹介します。

少しでも、励みになれば幸いです😊

最後までご一読ありがとうございました!

#海外移住 #ADHD #発達障害 #自殺 #タイ #バンコク #人生 #人生談 #人生を変えた出会い




タイへ渡航した当初の写真。痩せ細り、死にかけの状態。

タイでのモデル活動。(photo: yoko.s)

勇気を与えてくれるタイの子供たち。

世界で一番大好きな場所、タイ・バンコク🇹🇭🐘

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