【サーフィン小説】ビジタリズム|第19話
19ラウンド目 別人格
ナミノリの姿を見た瞬間、力丸は鬼瓦の壮大な計画の全てに合点がいった。
脳裏に、自分が前乗りをカマした直後の、ナミノリのライディングがフラッシュバックする。サーフィンを始めて以来、これまでに見た誰よりも凄いライディング。見た瞬間、これこそが本物のサーフィンなんだと思い知らされる、自分のやっていることに疑問を呈したくなる、そんな一本。
だから、彼女が世界を舞台にサーフィンをする姿がごく自然に、そして瞬間的に想像できたのだ。
しかし、力丸は微かな違和感を覚えていた。
(なんだか——違うな)
サーフボードを小脇に抱え、入り口から姿を現したナミノリは、ロングスプリングではなく、シンプルな白いTシャツにデニムのショートパンツを纏い、ビーチサンダルをつっかけていた。髪は、まだわずかに濡れている。
陸上で改めて見るナミノリは、意外と背が高かった。目測で165cmぐらいはあるだろうか。まだ線は細かったが、全身バネのようなしなやかな筋肉で覆われていることは、均整の取れたスタイルからも明らかだった。
飾り気は全くなかったが、焼けた肌、凛々しい眉、黒目がちで大きな二重、そして紫外線を浴び続けているせいか、色が抜けたように透き通って茶色がかった瞳は、エキゾチックな印象を放っていた。
だが——そこには、海の中ではあれほど感じていた闘気が宿っていなかったのだ。
「なに、ナミノリ、どうしちゃったの?」
力丸の背後から、鬼瓦が親しげに声をかけた。
「あの、ええっと、ボードのリペアを……」
「おう、お安い御用だよ。こっち持ってきてー」
(!?)
ナミノリが発した声は、聞き取るのがやっとだった。先程、海の中で力丸を罵倒した時のドスの効いた声からは想像もつかないか細さだ。
驚いた力丸は、思わずナミノリを凝視した。しかしナミノリは、まるで力丸と目が合うことを頑なに避けるかのように、視線を右下に落としたまま、おっかなびっくり、と言う雰囲気でカウンターに近づいてきた。
自分とナミノリの距離が1mほどになった時、力丸は、ナミノリの抱えているボードを見てハッとした。
(リペアってことは……もしかして、俺が前乗りした時に?)
力丸の知る限り、ナミノリのボードに傷がつきそうな場面はそれ以外考えられなかった。罪悪感が、セットのように押し寄せてくる。
エアーまで試みるナミノリだから、もしかしたらインサイドで傷つけた可能性もある。しかし気の弱い力丸は、自分の所為の可能性が少しでもあるという状態に居た堪れなくなり、次の瞬間、無意識のうちに声をかけていた。
「あ、あの、さっきはごめんなさい。その傷って……」
声をかけながら、もしかしたらまたいきなり罵倒されるかもしれない、と思った。
しかし、ナミノリは相変わらずオドオドした様子で力丸と目を合わせない。海の中ではあれほどギラついた瞳で睨みつけてきたというのに。
「いや、あの、大丈夫です。ぜんぜん、気にしないでください」
消え入りそうなナミノリの返答を聞いた力丸は再び衝撃を受けた。
(け、敬語——)
これが、本当にあれほど口汚い言葉で力丸を罵っていた少女と同一人物なのか——?
「なんだ、お前らもう知り合ってんの?」
ギクシャクした二人の様子を不思議に思ったのだろう、鬼瓦が背後から割って入った。
「あ、はい。ええと、知り合ったというか……」
力丸は口籠った。前乗りの件を、自分から鬼瓦に逐一説明するのは気が進まない。
しかし、力丸とナミノリがどう知り合ったかについては、鬼瓦は今のところ興味がないようだった。
「そしたら話は早いじゃん。前野くんがさあ、ナミノリのボードに貼るステッカーをデザインしてくれるわけ」
それがさもグッドニュースだろうと同意を求める調子で、ナミノリの抱えるボードを指さした。
しかし、ナミノリの方は、それを聞いても、これっぽっちも嬉しそうな様子を見せなかった。それどころか、ここで初めて顔を上げたナミノリは、訝しげに鬼瓦を見返した。
「ステッカー……?」
「ほらあ、来年QS回るんだろ?そのための」
「え……いや、あの、わたし、出るとは言ってないです」
なんだか様子がおかしかった。
あのサーフィンを見せつけられた後だから、ナミノリが来年QS回るという話自体は真実味がある。あるのだが……
(あれ?本人がまるでその気になっていない?)
力丸は、自分でも意外なことに、動揺していた。それは、自分が作ったロゴをボードに貼ったナミノリが世界を転戦することを既に具体的に想像し、その光景に喜びを感じていたからに他ならない。ナミノリにその気がなければ、その光景は決して実現しない。力丸の動揺は、それを恐れてのものだった。
しかし、ナミノリの気乗りしない反応は想定内だと言わんばかりに、鬼瓦は落ち着いた様子だった。
「おいおい、何謙遜してんだよ。前野くんさあ、ナミノリと知り合ってるってことは、こいつのサーフィン見たわけよね?なんとか言ってやっちゃって」
鬼瓦にけしかけられたものの、思い切り前乗りした手前、それを棚に上げてナミノリのことを褒めるのはなんだか座りが悪い。しかし、彼女の半端じゃないサーフィンが瞼に焼き付いていることは事実だし、それを本人に直接伝えたい気持ちもあった。
「あ、キミの……、ええと、飯名さんのサーフィンは、なんというか、本当に……スゴかった……です」
「えっ?あ、あの……ありがとうございます」
ナミノリは、驚いたように少しだけ顔を上げた。その刹那、ほんの一瞬だけ目が合った。
そして次の瞬間には、お互い弾かれたように目を逸らしていた。
——なんなんだ?この、海で見たのと全く別人のような初々しさは?
(あれ?なんか……ナミノリちゃんて……)
力丸は、自分でも予想だにしなかった感情が湧き上がる予感を覚えた。ほんの2時間前、自分のことを突き飛ばし、罵り謗っていた相手だというのに。
それを自覚した瞬間、力丸の心臓が跳ねた。
しかし、その感情を認めることは許されない気がした力丸は、必死でそれを否定した。
(いやいや、相手は多分高校生だぞ。それに俺には彼女いるし……)
サーフィンをやるどころか、力丸と一緒に海に来ようともしない彼女の顔が、一瞬、脳裏に浮かぶ。
「おいおい、お前らお見合いじゃねえんだからさあ!」
鬼瓦が、二人のもどかしいやり取りを見かねて間に入ってくる。
「前にも言ったろ?ナミノリはもったいないんだって。試合には興味ないかもしれないけどさあ、あのサーフィンができるのに、万里の波しか知らないっていうのがどれだけ損してるか」
鬼瓦に諭されても、ナミノリは俯いたまま無反応だった。
(ナミノリちゃんて、万里でしかサーフィンしないのか。生粋のローカルってことかな)
「QS回ったら、いろんな波に出会えるんだって。それだけじゃない。ナミノリがその気になったら、CTもいける。CTの会場なんて行ったら、それこそ天国だぞ?チューブだってエアーだってやり放題だ」
鬼瓦の話は少し大袈裟に聞こえたが、その時だけ、ナミノリの顔が嬉しそうに明るくなったのが印象的だった。
鬼瓦は、おそらくこれまで何度もナミノリを同じような言葉で口説いてきたのだろう。それにしても……
(し、CTも視野に——?)
チャンピオンシップツアー(Championship Tour)、通称CT。世界に3500万人いると言われているサーファーのトップ0.0001%に君臨するエリートサーファーのみが参入を許されるコンペサーフィンの世界最高峰。
その下部シリーズとなるQS(Qualifying Series)の試合に出場し、1年を通じてより多くのポイントを獲得したほんの一握りのサーファーだけに、翌年CTのドアが開く、究極の狭き門だ。
CTの舞台に立つためには、QSの試合の中でもChallenger Seriesと呼ばれる、獲得ポイントの大きい試合でいかに上位に食い込めるかがポイントとなってくる。そして、Challenger Seriesへ出場するには……
(ええと、どうしたら出られるんだっけ)
CTマニアを自認する力丸も、実際に世界を目指すサーファーが、どのようにQSの試合にエントリーし、どうやってその階段を登っていくのかについてはこれまで考えたこともなかった。なぜなら、そんなことを具体的に考えるサーファーは身近に存在しなかったからだ。
しかし——
ナミノリは、それを具体的に考える資格があるサーファーだと、鬼瓦は言っているということなのか。
今、目の前にいる捉え所のない大人しい少女を見ていると到底そうは思えないが、あの海の中でのあのナミノリなら——
力丸は、再び妄想した。ナミノリが、カリフォルニアはロウワーズで、6タイムワールドチャンプのクイーン、マリッサ・ギルムーアと対峙する場面を。そのナミノリは、力丸を突き飛ばした、あの時のモードだ。そしてナミノリはマリッサと壮絶なパドルバトルを繰り広げ、セットの波に同時にテイクオフしたかと思うと……マリッサを突き飛ばした——ところで我に返る。
鬼瓦が、引き続きナミノリに噛んで含めるように言い聞かせているようだった。
「な?そういう、信じられないような波があるわけよ、世界には。そういう波に乗りたいと思うだろ?」
そして、鬼瓦が続いて発した言葉は、決定的だった。
「しかも、そんないい波のポイントが、大会なら貸切だ。前乗りされることもないわけ」
力丸と同じように、世界の波に乗っている自分の姿を夢想していたのかもしれない。ナミノリはどこか夢見心地な表情で、中空に視線を漂わせたまま、ゆっくりと頷いた。
鬼瓦の洗脳が、実った瞬間だった。
〜〜つづく〜〜
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