【サーフィン小説】ビジタリズム|第20話
20ラウンド目 再現力
ナミノリが頷く瞬間を見届けると、鬼瓦は自分も満足気に頷いた。
「そうだろ?ウチが全面的にサポートするから。ナミノリはなーんにも心配しなくていいぞ。10フィートのロングボードに乗ったつもりでさ」
どうやら鬼瓦は“大船に乗ったつもり”をサーファー的に表現し直したのだろうが、あまり上手いアレンジとは言えなかった。
それでも鬼瓦の一際力強い物言いは、力丸の脳裏に、ウェブキャストの映像で勝利者インタビューを受けるナミノリと、そのボードに貼られたワイプアウトのロゴが放送される光景を鮮明に映し出すのに充分な説得力を持っていた。
「おいおい、二人して口半開きでさあ。なんで前野くんもうっとりしてんの?」
「……あ、いえ、なんでもないです」
「ああ、そうかあ。ナミノリがCT行ったら、前野くんのロゴが世界の目に触れちゃうもんなあ。よっ、ニクいね!」
「いやあ……」
「そんで、あのイカしたステッカーのデザイナーは誰だ?みたいになっちゃったりしてさあ」
「いやいやいや、気が早いですよう」
鬼瓦が発する、完璧に昭和の親父ノリの煽て言葉は、力丸にヤル気を出させようという魂胆がシースルーだったが、悪い気はしなかった。
それにしても、一点気になることがある。
「あの、ナミノリちゃ……飯名さんは、日本の試合には出なくていいんですか?」
「ああ、JPSAの試合のこと?」
「あ、そうです、それです」
「そりゃあ、俺だってできることなら出てもらいたいわけよ。今のナミノリなら、トライアル間違いなく一発で合格できるからさ。ていうか、いきなりグラチャンだって狙えるわけ」
力丸がふと疑問に感じたのは、まさにそこだった。
「ええと、QSの大会に出るのに、そういうプロの資格的なのはいらないんですか?」
「結論から言えば、いらないんだよね。団体がまるっきり違うから。ただ、日本でプロサーファーとしてやっていきたかったら、まずは国内で公認プロの資格取るのが普通なわけ」
ここで鬼瓦はいったん言葉を切り、似つかわしくない切なげな表情を浮かべてナミノリを見た。そして再び力丸に向き直ると、ナミノリへの当て擦りを口にした。
「たださあ、この子はこんな感じだからさ、そもそもプロサーファーってのになぜか全然興味ないわけ。海ん中だとあんなに負けず嫌いのじゃじゃ馬のクセにさ」
力丸は思わず首を激しく縦に振りかけたが、ハッとして後ろを振り返った。この会話がナミノリの気分を害すのではないか、と考えたからだ。
しかし当の本人は、相変わらずあらぬ方向の中空に視線を漂わせたまま、うすら笑いを浮かべているところだった。もしかしたら、まだ妄想の中でワールドクラスの波に乗っているのかもしれない。
ナミノリが話を聞いていないことは想定の範囲内であるかのように、鬼瓦は構わず続けた。
「だからもう、とりあえずJPSAは諦めて、“おまえが見た事もない、めちゃくちゃいい波に乗れるよ”っていう方向でQSに誘うことにしたわけ。だってもったいないじゃん、世界が目にするべき才能を、こんな田舎に閉じ込めてたらさ」
「前からすごかったんですか?その……飯名さんは」
「その飯名さんっての、なんか調子狂うから、ナミノリでいいって——ああ、こいつはちっちゃな頃から光るもんがあったね」
「それはやっぱり、お父さんがコーチしたりしてたんですか?」
「なんだ前野くん、ミキタさんの事も知ってるわけ?やり手だねえ。もはやビジターとは思えないわこりゃ」
何をもって“やり手”なのかはよくわからないが、鬼瓦のリアクションからしても、ナミノリの父親が相当のレジェンドであることがうかがえた。
「いやあ……僕が直接知っているわけじゃないんですけどね」
「まあ、ミキタさんは全然コーチなんかしないわけ。むしろナミノリのことをサーファーにしようとも思ってなかったんじゃないかなあ。なんせ自分の子供にサーフィンを教える時間があったら、その分自分が波に乗りたいってタイプの人だから」
そうなのか。ナミノリのあの“レベチ”なサーフィンは、てっきりレジェンドの手解きをみっちり受けた、英才教育の賜物だとばかり思っていたのだが。ならばどうやって——?
「ナミノリはとにかく目と、見たものをすかさずマネする能力がズバ抜けてたわけ」
力丸の疑問を察したかのように、鬼瓦は続けた。
「普通の人間はさ、目で見たものをマネしようと思っても、自分がやってるつもりの動きと実際の動きにズレが出るもんなわけ。前野くん、自分のサーフィン動画で見たらガッカリするよー」
鬼瓦は意地悪そうに歯を剥き出した。
それはわかっている。確かに、一度だけ和虎が自分のサーフィンをスマホで撮影してくれたことがあったが、かなり遠くからの荒い映像だったにもかかわらず、力丸は、そこに写っていたあまりにも不恰好なサーファーが自分だという事実を信じたくなかった。
「でもナミノリは、再現能力っていうのかな、それが半端じゃないわけ。誰も教えてないのに、アップスもリップも、動画なんかでCTサーファーの映像を一度見ただけで、すぐにできるようになったんじゃないかなあ……」
鬼瓦は、改めてナミノリをしげしげと眺めた。にわかに熱い視線を向けられたナミノリは、さすがに自分が話題になっていることに気づいたらしく、少しバツが悪そうに俯くと、ボードを抱えていない方の手を意味もなく握ったり開いたりしていた。
「うん、あれは、イメージ通りに体を操縦する能力とも言えるな。俺は専門的なことはわからないけど、想像力とか、空間認識力とか、そういうのを瞬時に、総合的に使えるというかさ。多分、ナミノリが他のスポーツに興味を持ったら、なんでも結構いい線いくと思うね」
鬼瓦は、「天才」という安易な言葉を使うことなく、ナミノリの凄さを表現した。長い間、彼女のことを深く観察してきたからこその言葉だろう。
スポーツ選手として、これ以上ないような賛辞を期せずして贈られたナミノリは、依然として俯いたままだったが、なんとなく照れているようにも見える。
(それにしても、極端に無口になるな……)
力丸はいまだに、海の中の凶暴なナミノリと、今目の前でモジモジしている、言うなれば“守ってやりたくなる”少女が同一人物だという事実を、うまく飲み込めないでいた。
ここで鬼瓦は、少し表情を引き締めた。眉間に刻まれた深い皺が一層深くなる。
「でも、だからと言ってナミノリが今すぐQSで通用するってことにはならないわけ。何しろ相手は世界の波だからさ。いくら身体の動きをすぐに体得できるって言ったって、それは波のブレイクを知っていて、はじめて活かせる強みなわけでさ。今まで万里の波しか知らないナミノリがいつも通りのサーフィンをいきなりできるほど甘くないわけ」
「なるほど……」
鬼瓦が、己の中に秘めた夢とか希望のようなものを、すべてナミノリにかけようとしていることが、痛いほど伝わってきた。
それはそうだろう。サーフショップを開こうというほどサーフィンの魅力にどっぷり浸かった人間であれば、自分の影響が及ぶ範囲に世界と渡り合える逸材が現れたら、無視などできるはずがない。
鬼瓦にとって、ナミノリを世界に送り出すことは、もはや自分の中で使命と定めたプロジェクトなのだろう。
「あ、あの……わたし、そろそろ……」
これまで黙って俯いていたナミノリが、おずおずと口を開いた。
難しい顔で腕組みをしていた鬼瓦が、それを受けて声を1トーン上げる。
「おう、わりいわりい。リペアだったな。板はそこにでも置いといてよ。ナミノリのだったら3日で仕上げといてやるよ——おっと、通常はリペアは2週間だから」
鬼瓦は大してその気もないくせに、形式上、一見客の力丸を牽制して見せた。
鬼瓦に促され、ナミノリは抱えていたボードをレジカウンターの並びにある手製のボードスタンドに、ボトムを上にして丁寧に置いた。
「よ、よろしくお願いします」
そして、やはり消え入りそうな声で鬼瓦に頭をさげ、くるりと踵を返して店を出て行った。
すれ違いざまに力丸と一瞬だけ目が合ったが、ナミノリは節目がちに、お辞儀ともそうじゃないとも取れる微妙な角度で頭を下げただけだった。
ボードスタンドに置かれたナミノリのボードに目をやると、そこにはやはり波の裏から見たのと同じ、ライジングサンのグラフィックがあった。
数字の「117」がデザインされたロゴも確認できた。このボードも父親に削ってもらったのだろうか。
「あいつもなあ、人格が変わりすぎるんだよなあ。海ん中と陸で」
鬼瓦が、独り言にしては大きすぎる声でつぶやいた。
「ずっと波乗りモードだったらすげえコンペティターになれるんだけどなあ。如何せん陸だと、欲とか競争心ってのがまるっきり抜け落ちちゃうから、そこが難しいとこだわなあ」
力丸は内心大きく頷いていたが、鬼瓦の言葉に反応していいものかどうかわからなかったから、ただ黙っていた。
ナミノリと入れ違うように、マチャド頭が一枚のボードを抱えて入ってきた。
「ありましたー、ポケットソケット。いやー探しましたよ。倉庫になくて、あれ、どこ行っちゃったかなあと思ってたら、蹴田さんが借りパクしてましたよ。ちょうど着替えてて、横に置いてある板見たら」
「ったく、しょうがねえなあケリーの野郎はちゃっかりしててさ。ちょうどいいや、前野くん、これでもう1ラウンド行ってきなよ!車のことは気にしなくていいからさあ」
(これ、なんとなくボードを買わされる方向に持ってかれてる気がするんだけど……)
力丸のアンテナは新たな危機を察知していたが、もちろん断れるはずもない。
しかし同時に、117シェイプスのボードに俄然興味が湧き始めていることもまた事実だった。
〜〜つづく〜〜
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