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【サーフィン小説】ビジタリズム|第21話

<20ラウンド目 再現力

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21ラウンド目 ツイン

「前野くん、こっち側から出て、下に降りてもらえます?下が倉庫になってるんだけど、そこで一応、一筆書いてもらうから」

いつの間にか自分のことを名前で呼ぶようになっていたマチャド頭が、ポケットソケットを抱えたままバルコニーに繋がるドアを指さした。

「え?い、一筆?」

早くもオーダーシートに記入させられるのかと身構えたが、マチャド頭はそんな力丸の焦りを見透かしていた。

「いや、貸出票すよ。念のためにね」

「あ、ああ……」

貸出票といえども安心はできない。裏にとんでもない条件が提示されているかもしれないからだ。たとえば、「少しでも傷つけたら定価で買取っていただきます」とか。

しかし、力丸はマチャド頭に促されるままにバルコニー側の出口へと踏み出した。

「楽しんできて!」

背後で鬼瓦の声が響く。

バルコニーに踏み出した瞬間、眼前に万里浜の青い海が広がる。力丸は思わず目を細めた。出会う人々のクセの強さはともかく——やはりここは最高だと感じざるを得ない。

ふと、食欲を掻き立てる香りが、力丸の鼻腔をくすぐった。同時に、潮騒のような音が鼓膜に届く。

いや、これは油が弾ける音だ。右手の方から流れてくる。

力丸は、左手に伸びるビーチへ降りる階段ではなく、香りと音に引き寄せられるように、反対側へと足を向けた。

驚いたことに、そこにはサーフショップと併設される形で小さなカフェスペースがしつらえてあった。

奥がキッチンスペースになっていると思しき壁面は、注文を受け付けるための窓があり、その上に看板がかかっている。

力丸は、素早く看板の文字に目を走らせた。

(Manri Gyoza 万里餃子、300円……ぎょ、餃子!?)

食欲をそそる香りと音の正体を知り、力丸はまたしても衝撃を受けた。万里浜、クセがあるのは人間たちだけではなさそうだ。

「ああ、ここの餃子、旨いすよ」

先に階段を降りかけていたマチャド頭が振り返って、力丸に声をかけた。

「そんじゃ俺、先に降りてるす」

「あ、はい、すぐ行きます」

マチャド頭に返答すると、力丸は窓に近づき中を覗いた。

キッチンスペースの一番奥に、業務用の巨大な餃子焼き器が備え付けてあり、その前に人が立っていた。長い黒髪を後ろでくくった後ろ姿から判断するに、餃子を焼いているのは女性のようだ。

餃子焼き器の他にコンロのようなものは見当たらないから、この店では餃子以外のメニューを出す気はないのかもしれない。

キッチンの中央には、大きな台があり、粉にまみれた綿棒が乗っているところを見ると、どうやら皮まで手作りの餃子を振る舞う店のようだ。

近づいたことによって一層強くなった香りを吸い込んだ力丸の喉が、自然と鳴った。

その時、餃子を焼いていた女性が振り向いた。

「あっ……!」

振り向いた女性の顔を見た力丸は、思わず声を上げた。女性は、紛れもなく春麗だったからだ。

アウトで力丸をいかがわしいマッサージに誘い、華麗にノーズライドを決めたかと思えば、いつの間にか餃子を焼いている——春麗の、いささか荒唐無稽とも言えそうなミステリアスすぎる存在は、万里という土地を代表しているような気がする。

「あれ、こ、こんなところで何を?」

力丸が声をかけると、春麗は怪訝そうに眉を顰め右手を腰にあてがった。すらりと伸びた手足。身長は悠に170cmはありそうだ。右足に体重を乗せたその立ち姿は、エプロンをしているにもかかわらず、モデルを彷彿とさせる造形美を持っていた。

「は?見ればわかる、餃子焼いてるね」

彼女の反応は、アウトで声をかけられた時とは別人のように冷たかった。

「あ、いや、あの……さっきマッサージ予約したって言われたけど、僕、場所も聞いてなかったし」

動揺しながらも力丸がマッサージの話を持ち出すと、春麗はようやく合点がいったというように眉を上げ、大きく頷いた。

「ああ、お兄さん、ユウシュンのお客さん。たいじょぶ。今日マッサージない、キャンセルね」

「え?」

「今日、丸部羅まるぶらも波いいみたいたから、お姉ちゃん、そっち行くいってたね」

「お、お姉ちゃん?」

「はい、私たち、双子」

「双子!?」

「私さっき、予約の電話、受けたね」

なるほど、春麗がロングボードの上にあぐらをかきながらアップルウォッチで話をしていたのは、目の前にいる女性、にわかには信じられないが、双子の妹だったということか。そういうことであれば、マッサージの話が一瞬通じなかったことも頷ける。

しかし、ただでさえキャラの濃い春麗が二人もいるとは。お姉ちゃんはいかがわしいマッサージ店を営み、妹はサーフショップの横で餃子を焼いている——さすが万里と思わざるを得ない。

妹春麗が言う丸部羅は、万里から南に2時間ほど下ったところにあるポイントだ。名前だけは聞いたことがあるが、力丸はまだ訪れたことはない。

目の前にこんなにいい波が割れているのに、わざわざそこまで出張るなんて、姉春麗も変態レベルのウェーブジャンキーなのだろう。

力丸は、マッサージがキャンセルになったと聞いて、ホッとした反面、心の奥底で少しだけガッカリしている自分に気がついた。

(いやいや、何を期待してたんだ俺は……)

邪念を振り払うべく、妹春麗から目を逸らす。

と、窓口のカウンターに、ビールのタップがあるのに気がついた。案の定、タップには「After Surf コシハラ」のラベルが付いている。

(やっぱりここで出してるのか、ナミノリのお父さんのビール)

力丸の脳裏に、先程鬼瓦から振る舞われた鮮烈なクラフトビールの味が蘇る。

サーフィンを楽しんだ後に、まだ食べてはいないが香りからして絶対に旨いであろう妹春麗が焼いた餃子と、あのビール。これほど至福な時間があるだろうか。少なくとも、いつも訪れている盆台では味わえない贅沢であることは間違いない。

(昼飯はカズと一緒にここかな)

「あ、あの……」

妹春麗は、話が済んだというように、再び餃子焼き器に向き直りかけていたが、力丸はそれを引き留めた。どうしても聞いておきたいことがあったからだ。

「あ?」

妹春麗がやや面倒そうに振り返る。

「ええと、お姉さんのマッサージって、場所はどこなんですか?」

「ああ、マッサージ、そこでやる」

妹春麗は、眼前に広がるビーチを指さした。

なるほど、サーファーを相手にビーチで施術する、だから住所を教えるまでもなかったわけか。風変わりだが、思ったよりもだいぶ健全な商売なようだ。

力丸は、それなら一度受けてみてもいいかなと思った反面、心の奥底で少し残念な気持ちを抱いていることに気がついたが、もちろんそんなことはおくびにも出さなかった。

「お姉さんも、サーフィンするんですか?」

力丸は何気なく妹春麗に聞いた。

「あ?お姉ちゃんサーフィンする、あなた見たはず」

「あ、いや、お姉さんっていうのは、あなたも、という意味で」

「ああ、ワタシ、ボディボードやるね」

見た目はそっくりでも、やることは色々違う姉妹のようである。

「それじゃ、後で餃子食べに来ますね」

「はいー、待ってるよ。早く来ないと餃子なくなる」

力丸はごく自然に妹春麗に手を挙げて挨拶を交わすと、倉庫があるという階下に続く階段へと足を向けた。

〜〜つづく〜〜

ビジタリズム
作=Ario Ike/池 有生
イラスト=ミヤタジロウ

ある時、ふたりのサーファーが初めて訪れた「万里浜(まんりはま)」。そこは、異色のサーファーたちがひしめくワケありのポイントだった!?クセの強いローカルサーファーに翻弄されつつも、そこで割れる最高の波、そして人々に、ふたりは徐々に惹きつけられていく——

ビジターサーファーの視点を中心に、ポイントで交差する様々なサーファーたちを描く、日本初?のリアルサーフィン群像劇。

ビジタリズム(visitorism)」とは、ビジターサーファーとしての振る舞いや考え方を意味する造語。決して「ローカリズム」と対立するものではなく、それぞれ海への距離感は違えど、最終的にはサーフィンを通じてリスペクトし合える世界を実現したいという祈りも込められています。


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