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【サーフィン小説】ビジタリズム|第18話

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「それにしても……」

握りしめたグラスには、まだ半分ほどの“サンライズ コシハラエール”が残っていた。

力丸はその霞がかった液体を一口喉に流し込むと、本題に切り込んだ。

「僕がこのお店のロゴを作ることと、世界に進出することとは、どう関係するんですか?……あ、仮に作ることになったら、ということですけど」

力丸は、まだこの仕事を請けたわけではない、という態度を強調した。

危ない危ない、予防線を張っておかないと、もう作ることが決定事項になってしまう。

しかし一方で、“世界に進出”という甘美な響きは、決して本業では満たされない力丸のデザイナーとしての承認欲求を少なからず刺激した。

鬼瓦はここでぐい、と身を乗り出してきた。

「前野くん、サーフィン関係のロゴって言ったらさあ、どんな使い方するよ?」

「え?ええと……ステッカーにしたり……とか?」

「正解だ」

力丸が答え終わる前に、鬼瓦は野太い声を被せてきた。

「で、ステッカーはどこに貼る?」

「ボ、ボードとか……」

「来たね、話が早い。決まりだな!」

鬼瓦はアップスンダウンズで急加速するかの如く、話を急激に進め始めている。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、僕はまだやると決めたわけじゃ……」

「ここのさあ、ビーチ前のスペース、前野くん車停めてるでしょ?あそこ、ウチのメンバー限定なんだよねえ」

「……!」

鬼瓦の顔は笑っているが、その声にはすでに有無を言わせない恫喝の色が滲んでいる。

(なんなんだ、このなりふり構わない感じは——)

力丸はグラスに残ったコシハラエールを一息に飲み干した。

グラスが空になるのを見届けると、鬼瓦が再び口を開く。

「俺はさあ、結構人を見る目があると自負してるわけ。それで、見抜いちゃったわけよ、前野くんのさ、才能を」

力丸の脳裏には、先程、自分のサーフィン歴やレベルを鬼瓦にズバリと言い当てられた会話が蘇っていた。

サーフィンとデザインは別物だ。しかし、“才能がある”と言われて悪い気がする人間はいない。ましてや、自分がのめり込んでいる世界で、自分のスキルを発動する機会など、サラリーマンデザイナーの自分にとっては滅多にないチャンスであることも事実だ。

そしてそこに、ビールをご馳走になってしまったという事実と、店の駐車スペースに(知らなかったとは言え)無断駐車してしまった、という負い目が重なった。

人が動くとき、そこにはいくつもの要因が折り重なっているものである。

「あの、そしたら……はい、やります」

言い終わらないうちに、鬼瓦がデスクの上に置いた空のグラスとオーダーシートの山を乱暴にどかしてスペースを作った。

「よっしゃ、具体的な話に移ろうか」

鬼瓦は、先程フルネームを走り書きした紙を力丸の手元から自分の元に引き寄せると、自分の名前の横に、ボールペンで1枚の葉っぱのようなラインを描いた。

そして再び力丸の目の前にその紙を差し出し、葉っぱの絵をボールペンの尻で叩いた。

「これがボードだとするじゃん?このどこに貼ってもロゴが目立つ感じにしたいわけ。わかる?」

「はい、わかります」

暇さえあればCTサーファーの動画を食い入るように観ている力丸にとって、それをイメージすることは簡単だった。やっぱり、ステッカーの特等席としては、ボードのノーズに決まっている。

「ただし、ノーズはダメだ」

「え?」

自分が真っ先に思い浮かべたステッカーのポジションを、真っ先に否定されて力丸は面食らった。

「ノーズ以外の場所で収まりがいいようにしてほしいわけ」

「な、なんでですか?ステッカーといえば、やっぱりノーズに貼るのが一番映えるんじゃないかと……」

「空けときたいわけよ、そこは」

なんのために?という言葉が喉元まで出かかったが、経験上、まずはクライアントから希望を全て聞き出すことがスムーズなオリエンテーションの鉄則であることを力丸は知っていたから、とりあえずは黙っておいた。

「シンボルマークとロゴ、ワンセットで考えてみてよ。ロゴの文字はアルファベットで“WIPEOUT MANRI”ね。そんで、イメージカラーは、ティールとオレンジ。ただし、モノクロバージョンもほしい。シンボルマークはとりあえず自由にやっちゃって。もしWIPEOUT MANRIの文字に絡められたらエクセレント」

淀みない鬼瓦のクリエイティブブリーフが、力丸の耳から入って脳を直撃し、インスピレーションが洪水のように溢れ出してきた。

万里浜ローカルのボードに、自分がデザインしたロゴが貼られている様子が鮮明に浮かび上がってくる。いや、それだけじゃない。海から上がればみんな、ロゴがデザインされたTシャツを身につけている——

オッキーまでもがそのTシャツを着ている様子が脳裏に浮かんだところで、力丸は我に返った。

(な、なんだ、この感覚は?)

もちろん、力丸はサーフィンが死ぬほど好きだということもあるだろう。しかし、これほど歯切れのいいブリーフィングは、会社を通じた仕事で聞いたことがなかった。

「あ、あの……これ何案ぐらい出せばいいですか?」

力丸は、会社の仕事で必ずする質問を投げかけた。そして、大抵のクライアント担当者は「とりあえず3案欲しい」と宣うのだ。

しかし。

鬼瓦はピクリと片眉を持ち上げると、力丸の目を正面から覗き込んだ。

「前野くん、デザイナーなわけでしょ?俺は違うわけ。だったら、前野くんが俺が今した話を聞いて、これ、と思ったやつひとつ出してくれたらそれでいいんじゃない?」

(!!)

この感覚は、仕事でなかった。

上司も岡も、他のクライアントも、特に明確なブリーフもなく、「とりあえず何か出して」と言うのが常だ。そして、力丸なりに考え抜いたものを出したら出したで「なんか違う」の一言のもとに、“おかわり”が延々と繰り返され、そうしているうちに力丸のオリジナリティは跡形もなく消え去って、最終的には誰もいいとも悪いとも思っていない無難なものが納品される。

そんな経験に慣れ切っているからか、鬼瓦からの発注は無茶振り以外の何ものでもなかったが、それにもかかわらず、力丸は少し嬉しくなっていた。

力丸が、不思議な感慨に耽って無言で頷くのを確認すると、鬼瓦は勢いよく立ち上り、声のトーンを一段上げた。

「よし、じゃあ話もまとまったことだし!前野くんのテストライドのボード見に行こうよ!」

ここで、力丸は冷静さを取り戻した。大事なことを忘れている——

(まだ報酬の話ができてないぞ)

力丸にはフリーランスの経験こそなかったが、業務委託でデザインやらコピーを頼むクリエイターたちには依頼内容とセットで予定している報酬額を伝えるのが礼儀であることは、(社内では比較的常識的な)先輩デザイナーから嫌と言うほど叩き込まれている。

「あ、あの、これ、ロゴを納品したら、ええと……」

力丸にはまだ自分のデザインに値付けをする経験などなかった。そして、依頼主と報酬の話をするのがこんなにもやりづらいのか、ということを、この瞬間、身をもって理解した。

鬼瓦は一瞬、力丸の顔を真顔で見たが、次の瞬間、くるりと身を翻し、肩越しに告げた。

「ウチの駐車スペース、好きに使っていいよ。あ、あとね、ワックスいる?」

(ワ、ワックス……)

力丸が唖然として言葉を失っていると、鬼瓦はテンポよく続けた。

「ただのワックスじゃないよ?“ウーワックス”だよ?使ったことないでしょ?あのグリップ力ヤバいから。俺が思うに、サーフィンが上手くなれる唯一のワックスなわけ」

この瞬間、力丸は悟った。

結局、鬼瓦に報酬を出す気はないのだ。何かと理由をつけて、タダで仕事してくれるデザイナーを以前から探していた——そんなところだろう。

(蟻地獄みたいな人だな……)

岡だけじゃなく、こんなところでまたしても都合よくデザインスキルを提供させられる羽目になった力丸は、自分のお人好しを呪った。

しかし、題材がサーフィンであること、鬼瓦の的確なブリーフィングによってアイデアがすでにいくつも浮かんできていること、そして何より、会社の仕事と違って、自分のカラーを100%出せそうなこと、そして納品したデザインは間違いなく日の目を見るだろうという期待が、力丸のモチベーションを意外なほど高めていた。

二人揃って事務所を出ると、鬼瓦が思い出したように手を叩いた。

「あ、そうそう。とりあえずデザインが上がったら、メールでデータを送って欲しいわけ」

鬼瓦はレジカウンターの裏側にある引き出しを開けて、中を探り始めた。おおかた名刺でも取り出そうとしているに違いない。

その後ろ姿を見ているいうちに、力丸はふと、思い出した。まだ、今回ロゴを作りたい理由を聞いていない。

「あの、なんで今回ロゴを作ることにしたんですか?」

「ああ、それね」

鬼瓦は、先程までとは打って変わって、素直に語り出しそうな雰囲気を醸し出していた。おそらく、力丸が正式に受注したことで安心したのだろう。

「それがさあ、ウチのライダーが来年QS回ることになると思うんだけど。ウチがさ、なんていうか、ほら、スポンサーになるわけ」

「ええ!?」

QS、という言葉を聞いて、力丸の心臓は跳ねた。「Qualifying Series(クオリファイング・シリーズ)」、サーフィンコンテストの最高峰である「Championship Tour(チャンピオンシップツアー)」へのクオリファイをかけて、世界中から集まるヤバいサーファー達がしのぎを削る舞台だ。

(だから「世界進出」だったのか——)

鬼瓦の言葉の真意は、瞬時に力丸の心を打った。

QSを来年回るアップカマー?サーフショップ『ワイプアウト』のライダー?それは一体——

「だ、誰ですか!?」

「いやあ……それは」

そう言いかけ、レジカウンターから顔を上げた鬼瓦の動きが、止まった。その視線は、店内を背にしている力丸の肩越しに入り口付近を見ている。

「……あいつだよ」

力丸がつられて振り返るとそこには——ナミノリがいた。

〜〜つづく〜〜

ビジタリズム
作=Ario Ike/池 有生
イラスト=ミヤタジロウ

ある時、ふたりのサーファーが初めて訪れた「万里浜(まんりはま)」。そこは、異色のサーファーたちがひしめくワケありのポイントだった!?クセの強いローカルサーファーに翻弄されつつも、そこで割れる最高の波、そして人々に、ふたりは徐々に惹きつけられていく——

ビジターサーファーの視点を中心に、ポイントで交差する様々なサーファーたちを描く、日本初?のリアルサーフィン群像劇。

ビジタリズム(visitorism)」とは、ビジターサーファーとしての振る舞いや考え方を意味する造語。決して「ローカリズム」と対立するものではなく、それぞれ海への距離感は違えど、最終的にはサーフィンを通じてリスペクトし合える世界を実現したいという祈りも込められています。


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