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思いなんてそう簡単には伝わらない

前を行く車がソロソロと徐行を始め、ついに停まった時、後ろの車はお構いなくクラクションを鳴らしがち。
横から見ていたら、そんなにせっかちにならずとも…と思う場面だ。
道に迷って困っている状況なら、さらに焦らせるだけなのに。

歩いていて前の人がふとキョロキョロと道に迷った様子で立ち止まった時、いきなり怒鳴りつけるだろうか。
どうしました? どこへ行かれるんですか? と聞きはしないか。

車の場合、前の運転手の表情が分からない。
困っているのか、急に携帯で話し出しただけなのか、掴めないのだ。
さらに、どうしたのかなと思っても、前の車に声をかけるすべがない。
クラクションは、このどうすることもできない状況への苛立ちなんだろう。

***

言語があるから戦争になる――そんな話を聞いたことがある。

人間には言語がある。
言語があるから思っていることを相手に伝えることができる。
だから分かり合える。
そう信じている。

ところが、ボタンの掛け違えでその言語が通じなかったら。
相手が何を言っているか分からない、何を怒っているか分からない。
こちらの思いが伝わらない、言い分が理解されない。

伝わると思っているからこそ、伝わらない時の苛立ちは大きくなる。
言語は伝えるためのものから、相手を罵倒し誹謗する道具になる。
そして戦争になる。

***

パトカーのように、車の後ろにメッセージが表示できたらいいのに。

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そう表示されるだけで後ろの車が受ける印象は全然違う。

しかしだ。
そのまた後ろの車のイライラは変わらない。
となると2台目の車にはこんな表示がいるだろう。

前の車が道に迷っているそうです

3台目は? 4台目は?

前の前の車が道に迷っているそうだと前の車が言っています
前の前の前の車が道に迷っているそうだと前の前の車が言っていると前の車が言っています

10台後ろになるとちょっとした読み物になりそうだ。
えー?何台前が迷ってんのー?とおもしろがるか、よけいイライラするか。

…イライラするほうに1000点。

***

思いなんてそう簡単には伝わらない。
そう分かっているだけで消える争いは確実にある。

(2022/4/24記)

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