あぁ、アサリが食べたい
昨日、アサリについてつぶやいた。
つぶやきながら思った。
そういえば最近アサリ食べてないな――
どうにもアサリが食べたくなってきた。
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瀬戸内育ちで、小学校の学校行事に海は欠かせない。
6年間、毎年4月中旬から下旬にかけて学校遠足で潮干狩りに出かけた。
的形・白浜・新舞子・赤穂。
明石から西へ向いて姫路方面へ行くと、潮干狩り場がたっぷりあった。
シーズンになると、潮干狩り場は夏の海水浴より多いのではないかというくらいの人で埋めつくされた。
山陽電車に貸切の臨時列車を出してもらい、全校生でワイワイ移動。
到着するとまず海の家を借り切って、持ってきた弁当で腹ごしらえ。
今なら熱中症を警戒し、朝の涼しいうちにとなるだろうが、当時の地球はまだ涼しかったから、昼からたっぷりと貝を掘った。
ところが、初めて参戦した1年生の僕は、一つも獲れなかった記憶がある。
全然ヤル気が湧かなかったのだ。
もちろん救済措置があるので、10個くらいは持って帰ったが。
翌朝母が作ってくれる貝汁が得意ではなかった。
今では旨みのかたまりと思うあの味が苦手だったのだ。
だからどうにも潮干狩りに精が出ない。
一つも獲れなかったというより、一つも獲らなかったが正解だ。
ところが3年生くらいになると、急に貝汁が好きになり、なんやこの旨みは、と知ったような口をきくようになる。
俄然、潮干狩りに全神経を集中させるようになった。
最初は友だちと話をしながら掘っているが、そのうち誰もいないところを開拓するようになる。
恋バナをしにわざわざ海に来たのではないのだ。
僕は一介の貝漁師になっていた。
手つかずの浜をさまよい、お!という貝脈(?)を見つけたら、友だちに見つからないよう何食わぬ顔で掘り、バケツを満たしていった。
翌朝の貝汁が楽しみでたまらなかったのだ。
5年生にもなると社会の仕組みを知るようになる。
貝掘りの手を止めてよく見ると、掘らずに撒く人がいることに気づいた。
なんと、潮干狩り場のスタッフのTシャツを着ているではないか。
なんでこんなに次から次へと掘るのに貝はなくならないのだろう…と数年前から疑問に感じてはいた。
補充をするからなくならない、なるほどそういうことか。
と分かればそのスタッフの後をついていくのが小学生というものだ。
僕は一介の貝業者になっていた。
どうするん、こんなに獲って…と母に驚かれることを楽しみに獲り続けた。
時間が来て、出口でスタッフに止められた。
ちょっと多いね、君。
大人の調整をされ、僕の貝は友だちと同じくらいの量に減らされた。
減らされた分はきっと獲れなかった1年生に回るのだろう。
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あぁ、アサリが食べたい。
(2022/4/14記)
チップなどいただけるとは思っていませんが、万一したくてたまらなくなった場合は遠慮なさらずぜひどうぞ!