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どうやら、自分の中の気ぜわしさが好きだったようだ

まるで年末感がない。
気づけば今年もあと2日になっている。

僕は、12月が好きだ。
この時期になるといつも頭に浮かぶのは、小学生の頃に社会科見学で見に行った近くの商店街の歳末大売り出しの慌ただしさ。
あのせわしなさ、あの熱気、それが僕にとっての12月のイメージ。
それは、何度となくこのnoteに書いてきた。

ところが今年の12月はどうもいけない。
もちろん、近所のスーパーでは正月準備セールの賑わいも例年どおりだ。
昨年まで、それだけで昔見た商店街の光景とリンクし、あぁ年末だ、やっぱりこのバタバタが好きだと感じていた。
しかし今年はいまいち盛り上がれない。

おそらく無職ゆえだろう、と思いあたる。
昨年末まで家の外にも役割があって、それを慌ただしく店じまいしてから年末を迎えてきた。
幼稚園以来このかた50年、ずっとそうやって12月を過ごしてきたのだ。

それがないとはこういうことなのか。
終業式までに、あるいは仕事納めまでに、カレンダーを睨みながら片づけなければいけないタスクが、ない。
年末までにやっておかなければいけないものも、ない。
クリスマスでさえ、サンタクロースを迎え入れる準備に大わらわだったのは昨年が最後だった。

12月が好き、というのをこれまで世間の雰囲気で説明してきた。
慌ただしい熱気に包まれるのが好き、と。
でもどうやら、自分の中の気ぜわしさが好きだったようだ。

1月が、1年のうちでもっとも嫌いだ。
元日、また始まってしまった1年を思うと心底うんざりする。
しかし無職で迎える1月をどう思うのか。
明後日の朝、噛みしめてみたい。

(2022/12/30記)

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