見出し画像

それでも地球は引っ張っている

幼稚園の頃の僕は、人一倍ゆったりとマイペースだった。

園のお絵描きの時間、みんながあらかた描き終える頃になっても、僕はまだ腕組みをして一筆たりとも描いていないなんてしょっちゅう。
先生も心配になってか、よく様子を見に来ていたのを覚えている。
描くことを拒否しているのではなく、何を描こうかただ考えているだけなのだけど。

食事も同じ調子だった。
誰かといっしょに食べ始めたはずなのに、気がつくと誰もいない。
それでも僕はそんなことにはまったくお構いなく、あれこれ夢想し、一人楽しい食事をとるのだ。

***

ある日の夕食。
いただきます! と言い終わらないうちに、僕の夢想の時間は始まる。

「ねぇ、地球が引っ張っているから僕は立ててるんよね」

すぐ横の台所で皿を洗っていた母にそんなことを呟いた。
その時の僕の頭の中にあったのは、地球の外周に立つ人々の図だったのだ。
なぜ引力に思いを馳せていたのか、今となってはまるで分からないが。

母は返事をしない。
あれ? 聞こえんかったかな?

「ねぇ、地球が引っ…」
「いつまで食べてるのっ! 早く食べなさいっ!」

ひぃ…
隣を見ると兄の姿もとっくにない。
時計を見るともう1時間以上が過ぎている。
意識の中では「いただきます!」からまだほとんど時間が経っておらず、母もちょっと席を立っているくらいにしか思っていなかったのだ。

確かに早く食べて皿を空けないことには母の仕事は終わらない。
それは本当に申し訳ないと思うよ。
でも僕はいたく傷ついた。
たった一言、母の「そうね」を聞きたかっただけなのだ。

それすら言ってもらえなかったショックは大きかった。
まぁ「そうね」と言われていたら、さらに世界は広がって、2時間でも3時間でも僕の夕食は続いたのだろうけど。

ひょっとして、怒鳴られた時こう言えばよかったのか?

「それでも地球は引っ張っている」

今ごろ思いついてももう遅い。
偉人との違いは、まったくもってこういうところだ。

(2022/9/2記)

サポートなどいただけるとは思っていませんが、万一したくてたまらなくなった場合は遠慮なさらずぜひどうぞ!