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ツラにもハラにも年輪があるのなら

歴史学の世界に、年輪年代測定というものがある。
たとえば古代の建築物の柱の年輪を見ることによって、何年に伐採された材木なのかがほぼ断定的にわかるというもので、いつ建った寺なのかといった論争に終止符が打たれることも多い。

同じ時代、同じ地域なら、異なる樹木であっても年輪は似るから、さまざまな時代のいろんな樹木の年輪パターンをつないでいけば、現代から過去にさかのぼる、いわば年輪の物差しができあがり、それに照らし合わせることで調査対象の材木の年代を知るわけだ。
ドイツのある地域ではこの物差しが1万年分もあるという。

自然が樹木に刻んだ目盛りを活用する人間の知恵は素晴らしいが、この目盛りはもちろんそんなこととは無関係に、未来に向かってまたコツコツと地道に自らを1本ずつ増やしていく。
この約束された確実性があるから過去をも保証できるのだ。
樹木は内面に過去をたたえている。

長年人間をやってると、面の皮も厚くなり腹もポッコリしてくるが、このツラにもハラにもちゃんと年輪があるのなら、ただなんとなく歳を重ねてしまうことなんてないのもしれない。
なのに、刻むのはどうやら表面的なシワばかりで、なんともタチが悪い。

(2016/12/29記)

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