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一斉に出てくるなんて、まったく生命の神秘だ

誰がそんな大惨事になることを予見できただろうか。

1977年4月、兵庫県明石市。
あるオンボロの家で事件は起こった。

その家は以前イラストにしたことがあるので再掲しておこう。
玄関前で野球に興じているのはもちろん、幼き日の僕だ。

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幼稚園では毎年、秋になるとイモ掘り遠足があった。
年長の僕は、2年前のおどおどした自分などまるで知らないかのように豪快にイモを掘り起こしていく。
もういいのでは? と親にたしなめられながら。

そして畑を後にする時、ふと何かが気になった。
枯れ枝にくっついた何かを。
そしてそれを枝ごとポキンと折って持ち帰った。

その帰りに撮った写真がある。
いちばん仲のよかった幼なじみとのツーショットだ。

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僕の右手に、ビニール袋に入った枯れ枝のようなものがある。
そしてその枯れ枝の上の方になんやらかたまりが。

そう、カマキリの卵だ。

持ち帰った子持ち枝?は空き瓶に挿し、台所に飾られた。
なぜそこに飾ったのかは今もって不明だ。

少しずつ乾燥して茶色の度合いを増す卵を毎日眺めながら食事をした。
ホントになぜそこに飾ったのかは今もって…

***

年も変わり、小学校に進んでしばらく経ったある日曜日の朝。

ウギャーーッッ!!

台所から発された母の悲鳴が静寂をつんざき、僕は飛び起きた。
事件だ。

ウゲーーッッ!!

台所中、カマキリの赤ん坊であふれていた。

カサカサに見えた卵から、さらにまだ次から次へと赤ん坊が出てくる。
まるで、明朝4時決行だ!と昨晩のうちに作戦会議を開いたかのように。
一斉に出てくるなんて、まったく生命の神秘だ。
産みつけられた一つのかたまりから、300ほどの命が孵化するという。

日曜だったことが幸いし、家族総出で赤ん坊救出作戦を繰り広げた。
豆まき後の家具裏の豆の大捜索と似るが、逃げまどうから手間は大違い。
できる限り潰さぬよう箒でそろりと掃いてはチリ取りに入れ、屋外へ。

記憶では赤ん坊の誕生日はイモ掘りの翌日なのだが、そんなはずはない。
イモ掘りは秋と決まっているし、カマキリの孵化は春と決まっている。
となると半年もの間、瓶に挿さった茶色の卵を眺めていたことになる。
いやホント、なぜそこに飾ったのかは今もって…

事件発生から数日間、物陰からこんにちはする赤ん坊と戯れた。

***

先日、仲よしnoterのSosyuさんがカマキリの話を書かれていた。
玄関が赤ん坊だらけになったのだとか。

予測不能な生き物から多くのエネルギーをもらっているとするSosyuさんの温かい記事が、45年前の僕のてんやわんやを呼び起こしてくれた。
カマキリは1年1世代だから、Sosyuさんの玄関の赤ん坊は、もしかすると僕んちの台所のカマキリの45代あとの子孫だったかもしれない。

(2022/6/20記)

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