幼稚園の思い出といえば
幼稚園で過ごした3年間を書いてみよう。
誰の役に立つとも思えないが。
明石にある神戸大学附属幼稚園に通った。
今でいう、いわゆる幼稚園のお受験だが、汚い体操マットででんぐり返しをしたこと、抽選のくじを引いたことくらいしか覚えていない。
そんなので幼小中12年間も通うことになる入園者を決めていいのだろうか。
とにもかくにも狭き門をくぐり、幼稚園生活がスタートした。
当時、明石までは電車で1駅2分のエリアに住んでいて、小学校に上がってからはその電車で通学したが、幼稚園の頃は母の自転車の後ろにちょこんと座って通園した。
幼稚園の思い出といえば、潮干狩り、芋掘り遠足やイチゴ狩り遠足など、ほとんどが園外の記憶だが、たぶん誰しもそんなものだろう。
アルバムをめくると、どこへ行った写真も、以前書いたことのある幼なじみの社長令嬢とのツーショットだらけだ。
その幼なじみのリボンを引っぱって泣かせたことをよく覚えている。
その晩、母に叱られたことも含めて記憶がやたら鮮明なのは、自白する録音テープが残っていたからだ。
おかげで、それ以来50年近く、女の子のリボンは引っぱっていない。
この頃の録音テープは、たどたどしい朗読や、意味不明の創作物語など今もいくつか残っていて、noteにアップしてみようと試みたことがあるが、音声投稿の方法がよく分からず今に至っている。
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2年目の終わり、1年上のある子にほのかな想いを寄せた。
初恋というやつだ。
なぜ好きになったのかはまったく思い出せないけれど。
恋をしてから通う幼稚園は楽しかった。
1年上の子たちとはほぼ接点がなかったから、園庭で遊ぶ際にチラッと顔が見える日があったりなかったりする程度だったが、それで十分だった。
修了式(いわゆる卒園式)では、在園生代表として挨拶する役を仰せつかったが、1年上の修了生にどんな言葉を贈ったかは覚えていない。
ただその子の纏った水色のワンピースがまぶたの裏に今も焼きついている。
…幼稚園の思い出がこんなのでいいのだろうか。
(2021/5/4記)
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