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明石で過ごした小学時代、周りの人に恵まれていたのだと、今になって思う

最近、週末の朝がなかなか起きられない。
今もまだ目が覚めていない感じ。
ボンヤリしているなら、ボンヤリと小学生の頃を思い出して書いてみよう。

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明石の幼稚園で過ごした3年間は以前書いた。
といっても入園テスト、幼なじみ、初恋の3点だけだけど。

幼小中一貫なので、幼稚園を出るとそのまま隣の小学校に進んだ。
ここで小学校からのお受験で数名の賢い人たちが加わり、でんぐり返しで選ばれた自分たちとの違いを見せつけられた。

文部省の実験校だったので、全国に先駆けてゆとり教育の洗礼を受けた。
小2まで時間割がなくすべてが総合学習、小3以降は大学や文部省の役人を招いての公開授業も何度もあった。
そんな偉い人たちの目には、自由に学ぶ姿がノビノビ映ったのだろう、卒業後数年ほど経って全国の小学校でゆとり教育が開始されてしまった。
どうもすみません。

小1からずっと、学年イチの鈍足。
短距離走なんてこの世になければいいのに、と恨んでさえいた。
ところが何が起きたか、小4で突然、学年イチの俊足となった。
垂直跳びや幅跳びなど瞬発力に関わるものすべてトップとなったのだ。
その頃、TVで力士が〈座ったままでできる太腿の筋肉の鍛え方〉を紹介しているのを見て、しばらくそれを真似てはいたけれども。
短距離走がこの世にあってホントによかった。
調子に乗って中学では陸上部に入るが、そのことはまた書こう。

ランドセルは学校指定のものを使わなくてはいけなかったが、「しなくてはいけない」というのが息苦しくてできず、6年間一度も使わなかった。
先生からは、学年で一人だけだと指摘されたが、注意はされなかった。
母もせっかく買ったランドセルは使わせたかっただろうが、何も言わず、手縫いで通学カバンを作ってくれた。
卒業して、ピカピカのランドセルを処分するとき初めて心が痛んだ。

小5でコンピューターと出会う。
友達が学校に持ち込んだポケットコンピューターは電卓に毛が生えた程度のものだったが、夢中でプログラムを組んだ。
当然、学校に持ち込んではいけないものだったが、音楽の先生がいつも放課後に音楽室をこっそり使わせてくれて、プログラム三昧の毎日を送る。

周りの人に恵まれていたのだと、今になって思う。

恋多き小学時代だったが、小6で初めて彼女ができた。
中学生でさえいっしょに帰るくらいだったりするが、小学生で彼女って正直何もない。
両想いというより、あれは双方向の片想いだったのかもしれない。

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6年間を1000字で書くとこんな感じだ。
ちゃんと書くなら、きっと何字あっても足りない。

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昨日、2万回目のスキをいただいた。
一昨日、いつも支えてくださるnoterさんたちに感謝の気持ちを投稿したが、その記事にいただいたスキが2万回目だったというのは象徴的だ。

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改めて感謝の気持ちでいっぱいだ。
本当に皆さんに支えられている。

(2021/5/15記)

サポートなどいただけるとは思っていませんが、万一したくてたまらなくなった場合は遠慮なさらずぜひどうぞ!