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これからは地方の時代と言い古されて早や何年

参院選があった。

合区の「徳島・高知」や「島根・鳥取」は2県で1議席だ。
対して東京が6議席なのは、有権者数の差ゆえ。

いわゆる「1票の格差」を是正するため、議員定数はしばしば改定される。
確かに票の重みが地域によって大きな差があるのは問題だ。
平等な選挙のため、議席あたりの有権者数を揃える努力は必要。

が、しかし、その一方で。

選挙が終わって気づくのは、国会内の東京の声の大きさ。
たとえば徳島の声は、東京の12分の1しか中央に届かない。
死票をなくし1票の格差を是正することは手続き論的に正しいことだが、そうするほどに東京の声は相対的に大きくなる。
果たしてこれからもそれでいいのだろうか。

東京の生活様式が地方で成り立たないことはもう誰もが知っている。
感染症の対策だって、東京で決めた方針は地方にそぐわない。
もう「右向け右」の時代ではないのだ。

国内問題でいえば、具体的施策はそれぞれの地方の事情に合わせて地方政府(都道府県)が立てればいい。
国は各地方、都道府県間の調整役でいいではないか。
また国際問題でいうなら、なおさら地方の議席を減らす意味は見えない。

考えてみてほしい。
夏の甲子園の代表は各県1校ずつだ。
あまりに広大な北海道、あまりに学校数の多い東京だけは、選手の労、運営の煩を思いやって例外的に2校ずつ選ぶことになっている。
例外はそのくらいで十分だろう。

もしここで1票の格差ならぬ、1校の格差を言い出したらどうなる?
参院選の例を流用すれば、東京からは6校、徳島・高知からは2県で1校。
確かに甲子園までの地方大会のプロセス(=選挙)は平等になるだろう。
けど、そんな甲子園(=国会)はどこかいびつに見える。

せめて参議院は全都道府県同じ議席数にしてみない?
衆議院とは違う特色、何か打ち出さないと。

これからは地方の時代と言い古されて早や何年。
地方での活動を20年やってきて、1票の格差の是正は結構だけれど、ますます地方の声が中央に届きにくくなる制度改正には疑問が残る。

(2022/7/16記)

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