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6畳一間で、あの頃いったい何を考えて生きていたのだろう

見出し画像で怖くなった方には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
でも、変死体ではない。
京都で大学生をやっていた頃に描いた、紛れもない自分と、4年を過ごした部屋だ。

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方角を表すのに、当時はまだ北とか東という言葉がなく、ロシアとかアメリカとか言っていたらしい…なわけない。
そこはアホな大学生の所業と目をつむってほしい。

キッチン・トイレ・シャワー・洗濯機共同、自由になるのはこの6畳だけ。
ここで4年間のすべてが執り行われたのである。

ではロシア…いや、北から説明していこう。

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今ではあまり見かけないビニールロッカーが鎮座。
玄関は共同だから、靴は空箱を靴箱にして置いておくしかない。
三角のタペストリーは当時よく観光地で売られていたもので、高校のスキー修学旅行で行った長野で、社会の通例にならって買った自分土産だ。
毎日運動会気分に浸れる万国旗は、クリスマスパーティーでクラッカーから飛び出したものを飾ってみた。
世界と通じる扉の外には狭い共同キッチンがあって、右半身のみキッチンに出して調理するという芸当ができた。
にしても、ストックするの多さが目立つ。

もうちょっと南へ。

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机と食卓を兼ねたこたつは、京都の厳冬を乗り切るための必須アイテム。
そこに歯科医ライクな、自在に動くアーム式の照明を取りつけていた。
電話は外界と通じる唯一の手段であり、大学入ってすぐホテルに一週間住み込んで、修学旅行のかわいい中学生を相手にバイトに励み、NTTの高額な権利とともに手に入れた。
スキー板ラケットは当時の大学生のマストアイテムで、今時でいえばAppleWatchとかAirPodsみたいな位置づけだろうか(違う?)。
スヌーピーは首をぐるぐる回しながら「星に願いを」を奏でるオルゴール。
子どもの頃からスヌーピーが大好きなのだ。
吉田山に通じる窓からは、10mほど先にある吉田山のムカデやゲジゲジ、タランチュラみたいな毛蜘蛛が自由に出入りしていたし、湿気ももれなく侵入してきたから除湿機がなければ身体中カビが生えたことだろう。

そして最後にオースト…いや最南端。

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テレビは小さな15型のを実家から失敬してきたので、実家はさらに小さな14型のを新たに買うハメになったと後で聞かされた。
ステレオは高校時分からの憧れだったのでバイトに精出して買ったが、待ちきれず先にショパンのCDを買ってしまったので、音の出ないディスクを抱いて数ヶ月寝るしかなかった。
大ファンだった中山美穂のポスターはCITIZENの腕時計のCMで、時計屋をやってる伯父さんから分けてもらった。
共同の洗濯機は外にあったから、他の住人は外をぐるっと(雨の日は傘をさして)歩かねばならなかったが、洗濯機に通じる窓のすぐ外に位置していたので、自分は窓からポイポイ投入できて楽だった。
部屋で洗濯の準備をしている時に、他の人が洗濯機に向かって外を歩く気配を感じても、ささっと窓から洗濯物を投入、使用権を先取できて便利。
でも終わった洗濯物を回収する時は、常に危険と隣り合わせだった。

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あ、これは今描いた。

4年も暮らした部屋の説明が、たった1300文字で終わってしまった。
こんな6畳一間で、あの頃いったい何を考えて生きていたのだろう。
そしてその部屋の、変死体の現場検証のような見取り図を描いて、誰に何を伝えようとしていたのだろう。
やっぱり大学生はヒマすぎる。

(2021/2/24記)

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