誰かの犠牲の上に成り立つ快楽
県北部を中心に運行するバス会社が一挙に19路線94便も減便するという。
あぁ、そんなに赤字路線をいっぱい抱えていたんだな、というのがそのニュースに接したときの感想。
最近、JRが県内赤字路線の廃止を検討するというニュースが流れたばかりだったからというのもある。
それももちろんあるだろう。
しかし真の原因は「慢性的な運転手不足に加え、国によるドライバーの残業規制強化、いわゆる『2024年問題』が影響した」(神戸新聞)だった。
「2024年問題」とは、働き方改革によってドライバーの労働時間に上限が課されることで生じる問題のこと。
労基法の改正によりドライバーの残業が「年960時間」に制限されるのだ。
さらに、退勤から次の出勤までのインターバルが「8時間以上」から「9時間以上」に大きくなる。
これらが4/1から実施されることにともない、全国バス協会では全国でバスドライバーが数万人規模で不足すると予測しているという。
思えば2017年、クロネコヤマトの昼間配達中止の発表は衝撃だった。
それまで、やれお客様は神様だとばかり日本的献身システムが機能して、サービス業は客のわがままを叶えるために存在するかのようだった。
僕らサービスを享受する側もそれを日本らしさのように思い、今後さらにどれほどサービスが拡充されていくのかと期待をし、業界を煽った。
まさか、宅配がサービスを縮小するなんて考えもしていなかったのだ。
そこからは一気だ。
宅配や郵便の翌日配送や日曜配送は約束されなくなり、24時間営業のチェーンが激減し、バスや電車の最終便が繰り上がり…
僕らはいったい何の上にあぐらをかいていたのだろう。
客が利用したいと言ってるんだからなんとかしろよ、おまえらサービス業だろ、と言ってきた日本人のいかに多いことか。
ドライバーの2024年問題は、象徴的に言えば誰かの犠牲の上に成り立つ快楽の終焉を意味するのだ。
ただ、これでドライバーの待遇が他の業界並みになるのかといえば、まったくそうではない。
ドライバーの残業が「年960時間」に制限されるというのは上に書いたが、他の業界では「年360時間(労使が合意すれば720時間)」だ。
さらに他の業界では「月100時間、2~6か月平均80時間」という制限もあるが、ドライバーにはこれも適用されない。
4/1、たしかに僕たちは一定の利便性を手放すことになるだろう。
それでもなお、過酷な状況におかれた人たちが僕らの利便性を少しでも確保しようと奮闘してくれていることを忘れてはならない。
(2024/3/2記)