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留守番の園児には、繰り返されるベルはホラーでしかなかった

まだ幼稚園時代の話。

母親が歯医者に行くと言って夕方に出ていった。
初めての留守番だ。

すぐ近所の歯医者だが、幼稚園児には十分に緊張の時間。
カタンとわずかな物音がしただけで泥棒の侵入を想像し、鼓動が高くなる。

そこに追い打ちの、電話がかかってくる。

ジリッリリリーン… ジッリリリリーン…

ビクン! 全身が跳ねて反応する。

黒電話にはもちろんナンバーディスプレイなどない。
誰が鳴らしたか分からないベルが、ガランとした家の中に響きわたる。

親さえいれば、はいもしもし…とすぐ終わりにしてくれるのに。
留守番の園児には、繰り返されるベルはホラーでしかなかった。

しばらくそのまま電話を遠巻きに見つめたが、まったく鳴りやまない。

僕は電話なんか出ぇへんよ。
だって難しい話やったらどうすんの。
怖い人やったらどうすんの。
誰からか分からへんなんて、怖くて取れへんよ。

電話を取らない自分を正当化する呪文を口ごもるが、まだ鳴りやまない。

ベルが一つ鳴るたび訪れる静寂の間隙に、もうここらで終わってと祈るが、詠み人知らずのベルは容赦ない。

ジリッリリリーン… ジッリリリリーン…

諦めた。
というより、これ以上恐怖のベルを家中に響かせたくなかったのだ。
そろりそろり、電話に近づく。

電話は棚の上段に置いてあり、背伸びをしなければ受話器に届かない。
つま先立ちになり、受話器に手を伸ばす。

一瞬ためらってから、思いきって受話器を持ち上げる。
ベルの音が中途で断ち切られ、最後のリーンが耳に余韻を残す。
少し浮かしただけの受話器から、もごもご喋る人の声が聞こえてくる。

ベル以上に恐怖だった。
思わず受話器から手を放し、ガチャンと切れた。

あるいは「思わず」ではなく「故意に」かもしれない。
いや、きっとそうだ。
ベルの音、人の声、そうした恐怖を一刻も早く終わりにしたかったのだ。

恐怖との闘いがやっと終わった…
へなへなとその場にしゃがみ込む。
胸はしばらく激しい動悸を続けていた。

それからどれくらい経っただろうか。

――ただいま。

母が帰ってきた。
お母さん! お母さん! さっき電話が鳴って…

――歯医者さんから電話して、やっと繋がったと思ったら切れちゃった。

あぁ、なんてこと…

(2022/1/8記)

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