人を知るにはまず自分から
人は人同士、言葉を紡いで会話を交わす。
しかし、時には言葉と言葉をぶつけあって口論もするし、殴りあっての大喧嘩だってもちろんあるが、そこには必ず原因がある。
何もないのに殴りあうような血の気の多い人は、そうは多くない。
人は一人で生きられないから、誰かの傍にいるし群れたりもするが、一方で、これより先不可侵、というような見えないバリアもある。
思想、信条、趣味、嗜好などおよそ個人の内面に属する性質のものは、たいてい他人に触れられたり介入されたりしたくないはずで、相手のこの部分に触れてしまったために諍いが生じることがが多い。
中学生の頃、自己の思いを声高に主張するあまり、心ない言葉で相手の大切な領域を侵し、複数の友だちを一気に失った苦い経験もあるが、後味の悪いことといったらなく、大いに消沈し、そして反省した。
自己主張もいいが、時と場合とそして方法によるのだと。
この歳になると、まぁそんな地雷を踏むことはなくなった。
これ以上進むな、と気づけるようになったからだが、それはおそらく自分自身の心の要注意ゾーンがよく見えるようになったからだろう。
ここは絶対触れてほしくない、というのが明瞭になってきたのだ。
中国の故事に、彼を知り己を知れば…というのがあるが、彼を知るにはまず自分の心のありようが分からねばならない。
人を知るにはまず自分から、だ。
(2016/4/28記)
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