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人生初の就職はイタリア?

私がウィーンでのヴァイオリンの勉強を終わりにしてミラノのオーケストラに就職が決まったとき、いちばん慌てたのは母ではなかっただろうか?

母にとってイタリアとはいかにも怪しい国−—つまり女好きな男達が街を闊歩し、泥棒がそこら中にたむろし、商売人たちが哀れな観光客から金を絞りとろうと手ぐすね引いて待っている−—といった、まさにステレオタイプなイタリアの印象を持っていたと思う。

その時の私はオーディションに受かったというだけでなく、私にとっては「雲の上のような存在」だった世界的に有名な指揮者に直接の賛辞をもらったことなどで有頂天になり、その後に続く様々な現実的な問題についてなど考える余裕もなかった。
9月からの就職先であるオーケストラに就任するその指揮者の名前を聞いて、母は一応驚いたそぶりを見せはしたが、[それで給料のほうは?]と間髪入れず尋ねてきた。現実を冷静に見定めようとする山羊座らしい反応である。

ー?給料?

何だか嫌な予感がした。そうだ。これは言っていいのだろうか?自分の中で不吉なためらいがあった。とうとう私はその金額を「多少多めに」言った。すると母は [えー?!!!]と聞き返したまま動かなくなってしまった。

これはマズイ。明らかに失望している。

母の反応は多少予想していたものの、こうもはっきりと失望されるとどうしてよいかわからなくなってしまった。

たしかにその額というのは、当時バブリーな時代を生きたばかりの日本人にとっては普通に暮らしていけない額だったかもしれないが、イタリアにおいては[ある程度普通に]暮らせて、僅かながら貯金もできる給料(*当時イタリアはまだリラ)だったのだ。

(続)

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