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野良猫が「帰るべき家」

わたしはその日の午後もピア通りの角にあるBIOショップに立ち寄り、スペルト小麦の丸いせんべいみたいなガレットを買った。そしてそれを持っていつものように、勝手に「宇宙ステーション」と呼んでいるちょっぴりミッド・センチュリー風のアパルトマン群の前を通り過ぎて、ビュットショーモン公園へと向かった(時刻は大体いつも午後の6時頃だ)。

6時という時間帯は不思議だ。母が言うには私が子供の頃、毎日大体この時間になるとなぜだかしくしく泣く出したという。母はちょうど夕食の支度に忙しいころで、わたしをなだめるのも一苦労だったという。それは説明のつかない現象ではあるのだが、わたしは大人になってもこの時間帯は哀しくなるのだった。なんというか、世の中の風景が少しづつ輪郭を無くしていくような、夕日の中に街や屋根がぼんやりと溶けて行ってしまうような、不思議な淋しさだ。だからわたしは家を出る。この奇妙な淋しさから逃れるために。家の中で、地球上にたった一人残されたような、このどうしようもなく泣きたくなる時間に捕まらないようにしなければ。

横断歩道を渡ったところにある小さなブーランジェリーのおばさんに「ボンジュール。サ・ヴァ?(今日は。お元気?)」と挨拶し、コーヒーを買うとまっすぐに公園の入口へ向かった。入り口を入った途端、夕方の柔らかい風が湿った土や花の匂いを運んでくると心からほっとする。そこにはたくさんのひとたちがいて、思い思いに時間を過ごしていた。真っ白な犬と金髪のこどもが向こうの広々とした草地に寝転んでいる両親のもとへと走っていく。

しばらく歩いたところにあるマグノリアの植え込みの前のベンチに座ると、少しだけ冷めたコーヒーを飲んだ。日が沈むまであと少しある。8月に入るとある日突然日が短くなっていることに気づくのだが、それはほんとうに突然やってくる。それまで22時まで明るいことに慣れていたわたしはそんなふうにして「夏の終わり」が近づいていることを知ると同時に、今は最も遠くにあるように思える冬のことを思い出した。  

ビュットショーモン公園は、パリのどこの公園にも似ていない。もともと広大な採石場だったこの公園にはチュイルリー公園とかリュクサンブール公園のようなお行儀の良さはかけらもなく、100メートル先の風景を予測できない。突然目の前の視界が開けて荒々しい切り立った岸壁や、吊り橋や、人工湖などが目に飛び込んでくる。吊り橋からは、遠くにパリらしいオスマン建築の連なりが見え、このように広大なテーマパークがパリの中に存在するとはにわかには信じがたいくらいだ。

湖まで降りていくとたくさんの人たちが湖畔に憩っている。ジョギングをするひとたち、鴨に餌をやる子供、最も多いのが草の上に寝転ぶ人たちだ。圧巻なのは、湖の真ん中に浮かぶ小さな島いっぱいに聳え立つ岩山と、その頂上に君臨する古代ローマ神殿風の東屋だ。ブリューゲルのバベルの塔を彷彿とさせる、このどこか非現実的な光景はどんなに眺めても飽きることがない。

湖畔でしばらく鴨の群れをぼうっと眺めながらPC画面に疲れた目を休ませた後、いつもすぐ後ろの砂利道ををゆっくりと歩くことにしている。
ざく、ざく、という音に耳を澄ませながら歩いていると瞑想をしているような気持になる。すべての悩み、すべての焦りがこの砂利の下に踏み潰されていくような不思議な爽快感だ。

コロナになってから、人と人の間に実際の距離以上の深い隔たりが生まれた気がしてしまう。こころの隔たりだろうか?それは昔から親しんだ感触の何かが奪われてしまったかのような、もしくは何か目に見えない支配者によって私たちのひどく人間臭い何かが抹殺されつつあるような、不気味な予感である。そこでは何か得体の知れない恐ろしいことが起きているかもしれないのに、私たちは皆ぼうっと無感覚にさせられているようなのだ。

そんなことを考えながら、わたしはもう一度目の前のちいさな神殿を見上げた。湖に再び視線を落とした途端、ぽつんと一粒の雨が水面にすうっと波紋を広げた。

ーあ、雨だ!


最初の一粒は瞬く間に数十個の粒を呼び集め、それらが一斉に波紋を描き始めた。私は見とれていたが、気が付くと後ろの草地にはもうほとんど誰もおらず、私の他に傘をさした2、3人の人たちだけがそこにいた。
そこでまったく自然に私も【我が家に帰ろう】と思って、はたと気がついた。我が家とはいったいどこのことか?と。

【帰るべき家】というのは抽象的な表現だ。
今私が雨から逃れるために、または夕食をとるために帰る家はひとつしかない。そんなことはわかりきっている。でも、この暗い湖のそばで私が咄嗟に思い浮かべたのは明らかに別の家、すなわち【母が私の帰りを待つ家】だったと思う。そのことに気がついた瞬間、わたしは自分を野良猫のように感じた。地球上に数え切れないほど存在し、私にとって今は消え去ってしまったそんな【帰るべき家】を持つことの尊さが、見果てぬ夢のように、そして小さい頃に読んだリンドグレーンの絵本の中の家のように、私を魅了すると同時に哀しくさせた。

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