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「マイ・プライベート・アイダホ」に至る道②:機能不全家族、教祖誕生、バイパールーム陰謀論、ドラッグ問題

*本記事は映画「マイ・プライベート・アイダホ(My Own Private Idaho)」に関する直接的なレビュー、感想ではありません。
レビュー記事は最後にリンクを貼っておきますのでそちらを見てください(←記事をアップ後)。
この記事はそこに至る導入記事のパート②です。リバー・フェニックス一家のカルトとの関係や軌跡、ドラッグ問題や死亡陰謀論などについて。
「マイ・プライベート・アイダホ」に至るリバー・フェニックスの背景を知ることで、あの映画がどういう映画だったかをもっと理解できるのではないかと自分なりに調べた諸々を書いています。
*真偽不明なことも多いのでそこは鵜呑みにし過ぎないようにお願いします。できるだけソース元を辿ってみることはしてみましたが、そもそもの証言の信憑性自体よくわからないので。

↓パート➀である前記事です。


フェニックス一家の軌跡

前記事において「神の子供たち」の実態を見てきて、リバー・フェニックスにはどれほどインパクトを与えたのだろうと考えてみる。

まずはフェニックス一家の軌跡を追ってみます。

両親の出会いから。

1968年、NY生まれの母親アーリン(ユダヤ系家系。大学を卒業、すぐ結婚、秘書の仕事に就く。しかし単調な生活に嫌気が差す)がヒッチハイクでアメリカを横断し、カリフォルニア生まれの父親ジョン(孤児、失敗した結婚、兵役逃れ)と出会う。←父親がヒッチハイクしている母親を拾ったという話もあれば、ヒッピーコミューンで出会ったという説などもある。
1969年に結婚。野菜収穫、フルーツピッキングなどヒッピー的な生活をしながら西海岸を転々とする。
1970年オレゴン州マドラス、農家のログハウスでリバーが生まれる。

1972年、妹のレインが生まれる。この頃にテキサスのコミューンTexus Soul Clinicで「神の子供たち」に入信。(教団は他のヒッピーのようにマリファナやLSDのようなドラッグを使っていなかったからという理由)
その後、布教活動の為にメキシコ、プエルトリコ(ここでホアキン誕生 1974年)、そして南米ベネズエラのカラカスに赴く(リバティ誕生 1976年)。この宣教活動も敢えて選択したというよりもdesperateな状況、つまり選択の余地がないほど追い込まれた状況だったとリバーは後年語っていたらしい。

1977年に教団から脱退し、貨物船に乗ってフロリダに戻り、ベジタリアンのコミューンに入る。アーリンの両親もリタイアして近くに住んでおり初めて婿と孫たちに会った。
1978年サマーが生まれる。
←見事に2年おきに子をなしている。フリーセックスのカルトにいたわりに計画的😅。

つまり教団にいた期間は6年ほど。wikiによると70年代後半から推奨されるようになったFrity Fishing浮気釣りに疑問を持つようになったので脱退したんだと。
ここでの一つの疑問は、外部への性の行使には疑問を感じたフェニックス一家。果たして教団内での性に関する活動にはどれほど参加していたのか?そこを詳しく述べているようなインタビューがあったら良かったんだけど…見当たらなかった。←おそらく公に出来ない理由(前記事にあった児童性虐待or近親相姦的な行為など)があるんだと思う。

このアメリカに戻ってくる船の上で、漁師たちが魚を船に付けてある釘?で殺している(捌いている?)姿をホアキンが見てショックを受け、リバーとレインが主張し、家族全員がこれ以降”息するもの”は食べない=ビーガンになると決めたんだとか。

フロリダに戻り、父ジョンがミュージシャンのガーデナーとして家族住み込みで働き始める…が、背中を痛めて働けなくなる。よって兄妹4人が大道芸をしながら家計を助けることに(←「神の子供たち」の頃からそれが布教活動の一環だったので慣れてるわけですね)。そして地元のコンテストに出まくって優勝していた子供たちの記事を、母アーリンは女優になってるNY時代の友達に送った。←この女優の友達というのがPenny Marshall。「プリティ・ウーマン」の監督ゲイリー・マーシャルの妹で自身も監督もしている。トム・ハンクス主演の「ビッグ」、デ・ニーロ主演の「レナ―ドの朝」、マドンナが出たた「プリティ・リーグ」など。これは太いパイプだったでしょうね。

何とかスタジオとの伝手が出来たのでフォルクスワーゲンで西海岸に向かう賭けに出る(←後ろの窓がないようなオンボロだったとか)。
この頃に名字をフェニックスに変更。(父の旧姓はBottom。確かに生活もどんだった彼らにはあまり好ましくない名前だったことは想像できる。そこから不死鳥のように復活する意味を込めた。子供たちの名前もキラキラ気味だし、ここで名字もキラキラネームになったわけです。フレンズか何かのドラマで、登場人物が子供にRainレインと付けたいと言ったら鼻で笑われてたか、絶対付けさせないように周りが止めたかしてた記憶があります😅)

子役時代

LAに着き(この時点で約20年間で40回も引っ越ししていたそう)母アーリンがテレビ局での秘書の仕事に就けることに(←一応元秘書だしね)。そして子供たちを売り込んでいくことに成功する(←教団では拒んだ浮気釣り=枕営業してたりして?😅)。Iris Burton アイリス・バートンという腕利きのエージェントと契約することに成功(キルスティン・ダンスト、双子のオルセン姉妹、ジョッシュ・ハートネットなどを送り出した人物)。
リバー9歳、レイン7歳の頃。

当時のオーディション映像。

リバーが10歳くらいまでは子役CMタレントとして三菱(車かな?)のCMなんかにも出る。↓これはジュースのCM。サムネ手前がリバー。

10歳になったところでテレビでの役者としてのキャリアをスタートさせる。「Seven Brides for Seven Brothers (TV series)」という連ドラ。(邦題は「掠奪された七人の花嫁」とちょっと物騒なタイトルだけどホームドラマ)

親のいない七人の兄弟(リバーは七男役)が農場を営んだりしていく冒険ファミリーミュージカルドラマなんだと。1エピソードに1曲ミュージカル・ナンバーが入る。←歌も歌えるリバーには適役だったわけですね。後にホアキンとリバティもチョイ役で出たりもする。

こんな子供レポーターなんかもしてる。結構仕上がってるなぁ~w

その後、1985年に最初の映画「エクスプローラーズ」イーサン・ホークと共演)に出演。3人の子供たちが自分たちで宇宙船を作ってエイリアンと遭遇するというような話。
リバーはちょっとポッチャリしてる?コンピューター・オタクの役。

「グーニーズ」の監督ジョー・ダンテがネクスト「E.T.」のような作品をということで作った。しかし今でこそそれなりに高評価だけど当時は興行収入が伸びなかった。子供心に失敗作に出演したことがショックでイーサン・ホークはしばらく役者業から離れるほどだったんだと。その後、ロビン・ウィリアムズ主演「いまを生きる」の生徒役で復活、そして「リアリティ・バイツ」へと繋がっていく。

↓この動画で「エクスプローラー」について語ってます。

別の動画では死んで伝説になったリバーの存在に23歳の頃の自分は嫉妬する部分もあったと振り返っていたり、こんな風に昔の共演者の感想を数十年の時を経て聞けるのも興味深い。

シットコム「Family Ties」ではゲスト出演してマイケル・J・フォックスとコメディにも挑戦してる。

そして1985年、リバーが15歳頃に撮影され、翌1986年に公開されたのが「スタンド・バイ・ミー」。それで世界中から注目され、ご存じの通りのスター街道を歩み始める。

前記事に出てきたコリー・フェルドマンと太っちょバーン役だったジェリー・オコンネルが当時を語る動画。主人公のゴーディー役のウィル・ウィートンも役者業は続けているみたい。でもオコンネルが一番役者としては出世した感じかな?奥様はX-MENのミスティーク役だったレベッカ・ローミン。

湿地に入るシーンの前に笑いを堪えていたというオコンネルがカワイイw。年上のお兄ちゃんたちに可愛がられて、楽しくてしかたなかった夏の思い出なんでしょうね~。

別の動画でオコンネルは、自分は彼らより4、5歳年下(実際はリバー70年生まれ、フェルドマン71年、ウィートン72年、オコンネル74年)だったからドラッグはやらなかったし、自分の興味の対象外だったと言っている。じゃあ女性だった?と訊かれて、自分はアルコールだったと。ウィートンもアルコール問題を抱え治療を受け現在は禁酒。出演者4人とも依存問題を抱えていたことになる。やはりハリウッドの子役を取り巻く環境は良くなかったんでしょうねぇ…。

フェルドマンはリバーのトレーラーでマリファナがあったのを見たとも言及している。リバーは自分のではなくて誰かのものだと弁明したという話だったけど…。そのソースを探していたら、ブルーレイの特典コメンタリーで、リバーとフェルドマンは近くのナイトクラブに出掛け、酒、大麻をやり、フェルドマンはこの時に童貞を失い、オコンネルは酒を飲んで記憶を失い、ウィートンはアーケードゲームにハマっていた、というのがあるんだそう。結局ガッツリやっちゃった感じですかね?

リバーが演じたクリスの役作りは父親ジョンを参考にしたんだと16歳のリバーが説明しています。

後に出てきますが、父ジョンの経歴は、孤児院に入れられ、兵役逃れ、酒、マリファナも嗜み、15歳の少女を妊娠させ…と確かに筋金入りの不良だったようなので、うん、まあ納得(苦笑)。クリスはそんな悪い子じゃなかったけどね。


フェニックス教の教祖誕生

教団にいた時期、リバーも前記事の元信者たちのようにセックスすること、性虐待を受けることがあったのか?…様々な記事で見かけるのは、4歳の時にセックスをしたと彼がインタビューで言ったということ。しかし、これを後年ホアキンがジョークだったと否定もしている。

ただ時系列を考えると、リバー4歳の時にホアキンが生まれている訳で、当時の実際の状況を彼は知る由もないわけです。教団を離脱したのも3歳頃。後年、親や兄姉からリバーを汚したくない想いを刷り込まれている可能性も十分ある。

そしてネットで原典を探してみると、1991年のDetails マガジンのインタビュー記事が出てきました。←やっぱり原典読まないと信用できないですよね。ありがたや。

ほぼ一問一答形式で、リバーが次々に質問に答えていく。ノリはシリアスではなく割と軽めな印象。
たしかにホアキンが言うように明らかにジョークで返している部分もある。
Q:あなたはソウルな(黒人の魂を持つ)白人少年なのですか?
RiverPheonix:いや、厳格なアフリカンアメリカンだよ

とか。

そして過剰な性的表現で返答したものも見かける。
Q:ドラッグとアルコール以外で意識を変える方法は? 
RP:BlowJob(フェラ)と音楽


や、ビーガンだった彼に、

Q:ソーセージを食べた女性とデートする?
RP:ソーセージの中に入っているクソ成分が彼女の代謝を通して愛液に含まれているなら舐めたくないね。だけど彼女が僕のソーセージを食べるのはいいよ。それを耳に入れようが鼻に入れようが気にしないね。

今の時代ならドン引きされそうな返答😅。でも当時は尖った21歳。キャ~カッコいい!!💓と女性ファンにもウケてたのかな?ウケてそうだなw。

この過剰な性表現から考慮すると”4歳でセックス”もリップサービスと思えなくもない。

ではその部分のQ&Aを見てみると、

Q: Is there anyting you did at an early age that you wished you had waited for?
若い時にもうちょっと待っておけばよかったと思うことで(既に)してしまったことは何かありますか?
RP: Yes ---Make love.
はい、、、愛し合うこと(セックス)←少し返答までに間がある?
Q: How old were you?
何歳でしたか?
RP: Four
四歳
Q: With whom? Another four years old?
誰と?別の四歳児と?
RP: Kids. But I've blocked it out. I was completely celibate from 10 to 14.
I haven't really had sex  with many people. five or six. I've just fallen into relationships that are fulfilling and easily monogamous. You know, that's the way it is: monogamy is monogamy untill you screw someone else.
子供たちと(←複数形!)。だけどその記憶は押し込めてきたんだ。10歳から14歳までは完全に独り身、セックスしていなかった。大して多くの人とはセックスしてないんだよ。五、六人くらい。僕は自分を満たしてくれるような関係にハマるタイプ。だから自然と一対一の関係になるんだ(何股もできないタイプ)。わかるだろ?そういうものだよ。他の誰かとセックスしてしまうまではモノガミー(一夫一婦制、ここでは専属の一人のみとの関係)はモノガミーでしょ。

先述の軽いジョークの返答と、この長い返答。比較してみると私個人としてはちょっとジョークとは違うかな~という印象。10歳から14歳までとか、5、6人とか、具体的な数字も出てきていますしね。4歳というのも妙に具体的。

それにインタビューの最後がこんな感じで締められている。
RP: インタビューは嫌いなんだけど君の質問は好きだったよ。
Q: キミの答えも悪くなかったね。
RP: (今日した回答は)明日には全部違ってるかもしれないけどね。ヨシ、ちょっとつるもうぜ!アーティチョークを食べに行こう!

この”明日には全部違ってるかもしれないけど”と言う付け足し。これって余計なことを言い過ぎた時によく使う常套句な気がしますが…どうでしょう?個人的には幼児性虐待はあったんじゃないかな~という疑念は強いです。

それとリバーが初体験をしたのは15歳の頃、スタンド・バイ・ミーを撮っていた頃という話もある。
Consider how Phoenix lost his virginity: At age fifteen, on location for Stand by Me in Oregon, Phoenix was enamored of an eighteen-year-old family friend. They came to Heart and John and asked, "Can we have your good wishes?" River's parents, far from objecting, decorated a tent for the couple. "It was a beautiful experience," says Heart.(←ハートは母アーリンが改名した名前)
家族の友人である18歳の女の子に夢中になり、二人で両親の所にやって来て「僕たちの幸せを祈ってくれる?=セックスの了承してくれる?」と訊いてきた。両親は反対なんてするわけもなく(なんといってもヒッピーでセックスカルト出身ですから)二人の為にテントを飾ってあげて、「それは美しい経験だった」と母アーリンも言っている…らしい。←なんで母親が美しい経験とか言えるねん!?両親揃ってテントの中を覗いてたんじゃ?そして後でアドバイスとかしてそうw😅。*この話、リバー主導ではなく、両親が早く童貞捨てるようにセッティングしたという説もある。

リバーも幼少期の記憶はブロックしていたと言っているし、家族全員で「神の子供たち」のことは記憶から抹消することに決めていたので、この15歳の体験が(第二の)初体験という認識の可能性は十分あり得る。

リバーの死の翌年書かれたこの記事が凄く興味深い内容でした。

この中でリバーのお別れ会における母アーリンの言葉が幾つか引用されているのですが、どれも少しヤバさが漂っている。

気になった部分を書き出して簡単に抄訳意訳してみると…

*スタンド・バイ・ミーの監督ロブ・ライナーに手を支えられ
"We believed we could use the mass media to help change the world,
 and that River would be our missionary." 
「リバーを宣教師とし、マスメディアを使って世界を変える手助けができると私たちは信じていました」
彼女は最初から、彼を産むのに三日半もかかったので、リバーはこの世に生まれたくないのだと感じていた。彼の死後、二日ほど経った時に(神の)啓示があり、夜明けがなぜモーニングと呼ぶのかやっと意味が分かった(嘆きもmourningモーニングと呼ぶ)し、神がどうしてリバーにこの世に生まれるように説得したかのビジョンが突然見えた。リバーは神に「僕はここであなたと一緒にいるよ」と(生まれることに)抵抗したが、神は説得力があったのでリバーは譲歩し、5年、10年…結局23年間地球を訪れることに同意したんだとアーリンは微笑みながら言った。

*「有名人で、どんな車にでも乗れ、どんな家でも、どんな女の子とも住める夢のような生活をしていたのに…なぜ?と皆思うでしょう。私の解釈は、リバーは地球が死んでいっているのを知っていた。だから彼は自分の死をそのサイン(象徴)として世の中に伝える準備が出来ていたのよ」

*2つの映画で共演し、10代の頃に恋人になったマーサ・プリンプトンの言葉からも伝わるものがある。
「彼は既に殉教者にされているのよ。彼は堕天使、救世主のメタファーになっている。だけど彼はそんなものじゃない。ただの男の子だったの。とても優しい心を持った男の子。だけどめちゃくちゃにされ、その素晴らしい意志をどう表現したらいいかわからなかったのよ。私は彼の死で慰められたりなんてしたくないわ。彼の死に対しても怒ってるし、彼を病ませていた人たちにも怒ってるし、リバーにも怒ってる。そしてそれでいいと思ってる」

*もう一つプリンプトンの言葉。
「リバーは(親に)ずっとアチコチ連れ回され、学校も変わり、いつも彼ら家族だけでいて、アメリカを不信に思うように仕向けられ、ユートピアな(理想の世界を創造する)バブルを作り上げて世の中から隔離していたから社会と馴染むことができなかった。世間やハリウッドとやっていける準備なんて全くできていなかったし、世界に向けてメッセージを出し続けなければいけない、もっと言うと、15歳で、自分のことを予言者(救世主)と思わなければいけないなんてどう考えても不公平、おかしかったのよ」

*もう一度母アーリンの言葉
「私たちの子供は誰とでも上手く過ごせて、とても早熟だった。だけどリバーが成長するにつれ、多くの(フェニックス家にとって)良いと思われる活動のポスターボーイ(注目を集める代表者)でいることがどんどん居心地悪くなっていった。誰でもない誰かになりたいとよく言っていたわ。だけどそんなものになれることは無理だった。映画スターでない時、彼は宣教師(伝道師)だった。大義を持つ人物、(オピニオン)リーダーであることは素晴らしいことだけど、深い寂しさも伴うのよ」

…わかりますよね?
リバーの母親の言ってることやプリンプトンが批判的に語っている内容を考えると、フェニックス一家は「神の子供たち」というカルトは脱退したけど、彼ら両親が信じるラブ&ピースのヒッピー的思想、自然保護、動物愛護などの善き事を広め、世界平和を達成するため、ある種プチ・カルト化し、リバーをいわば教祖、広告塔として表舞台に立たせていたということです。

だからその親に植え付けられた超理想主義とハリウッドに蔓延る毒のようなな現実(ドラッグや性虐待など)の間で苦悩や葛藤を抱え、彼は引き裂かれて自身を保つことが出来なくなり、薬にハマり、抜け出せなくなって死んでしまった。最後の頃には早く楽になりたいと思っていたのでしょう。遺作になる「Dark Blood」のロケ地で、天に向かって「いつでも準備はできている」と言っていたとか。

それで死んでも猶、彼を聖人扱いしようとし、自分達の思想の宣伝に使おうとしている母親の言葉に私はちょっとゾワッとするものを感じずにはいられなかった。この母親なら、4歳の子が(自分たちのせいで)性虐待にあっていても、シラ~ッと無かったことにしてても不思議ではないかな…。自分たちの思想が崇高で一番。そこに多少の犠牲があっても仕方ないと考えてそう。そして自分たちの救世主にネガティブなイメージを付けないためには嘘のひとつふたつ何が問題なの?ぐらいの狂気は普通に感じます。

このお別れ会はShit Show(糞みたいな茶番)だったとも書かれている。
母アーリンのスピーチには感情など無かったし、リバーと会ったこともない芸能人たちが集まっていた、まるでプレミアムチケットでセレブが集まったかのようだった。←ある種の伝説化への後押しと宣伝活動だったんでしょうね。
会場にいた監督のジョン・ブアマンが突然「なぜリバーがドラッグを摂取したか答えることができる人間はここにいるのか?」と叫んだ。するとレインとホアキンが(会場から?)飛び出していき、アーリンはショックを受けたようだった。沈黙を破るように恋人だったサマンサ・マシスが話し出す。「リバーはセンシティブで、心の中で大事だと思う人物や物事に対して多くの慈悲の心を持っていた。そして強迫的な部分もあって、好きなアーティチョークを一気に10個も食べてしまうほど。何事にもそんな感じにハマってしまう傾向があった」と。←嘘くさいフェニックス一家と、それと一緒になってリバーの尊厳を守ろうと必死な恋人という構図なんですかね?

そしてこの記事や他の記事にも書いてあったのが、父ジョンはアル中の問題も抱えていたということ(プリンプトンによると、リバー自身もその問題を引き継ぐかも?と恐れていたんだとか。実際お酒にもかなり若い時から依存していたらしいし、弟ホアキンも後年同じ問題を抱えてリハビリ施設に入ってる)。
それで必然的に家庭の経済的支柱はリバーになっていった。今で言うヤング・ケアラー的要素もこの家庭には含まれていたわけです。彼が働かないと家族を養えない。つまり逃げることは許されない状況だった。

プリンプトンはこうも言ってる。
「彼の両親は彼のことを救世主として見ていたし、彼のことを父親のように扱っていた」
リバーの友人だったボビー・ブコウスキーも
「リバーの心の中では自分が彼らの父親(的役割)だと思っていたけど、それに(そういう状況)ついて怒りも感じていた」
妹弟達のことを「My Kids」と呼んでいたり、ギャラで家族全員(両親含む)に自転車を買い与える中、自分はバイクに乗っていて、彼がこの家族の家長であることがよくわかる家族写真があったりもする。

彼ら家族にとって、リバーは神が遣わし貧困から救ってくれた救世主であり、自分たちの思想を伝えて世界を救う予言者であり、家族の経済的&精神的支えになっていた父親的存在でもあった。そういう見方をしている場合、出来るだけ醜聞は隠し神格化を図ろうとするので真実は中々出てこない気がします。

で、1988年頃、ハリウッドは子供たちに悪影響だということで家族は再びフロリダに引っ越す。リバーがインディ・ジョーンズに出た後ぐらい。←これで仕事の時は1人でハリウッド行くことになって親の目から遠くなり、より薬に手を出しやすい環境にもなっていったということかな?

両親はリバーの死後の1997年に離婚している。
父ジョンはプエルトリコやフロリダで農園をしていて、母アーリンは再婚、非営利の平和団体を設立し平和活動家として活躍したり、助産士養成学校に関わったりしている。

勿論ラブ&ピースで平和な世界になることを望むのは悪くない。
しかし、それは自分自身が決めて実行してこそだと思う。今や環境活動家の代名詞のようなグレタ・トゥーンベリさん。彼女は学校で環境問題を知りショックを受け、そこから自分で勉強して親も巻き込んでいった。自分主導で動いてる。←勿論今後何かの挫折があるかもしれない。しかし自分がやり始めたんだからその責任を負う覚悟はあると思う(そう信じたい)。

しかしリバーの場合は、親が幼少期から全く選択肢を与えずにその思想に染め上げ(歴史や文化・芸術作品、一般常識などは全く知らなかったと当時のエージェントが言及)、さらにはその思想の旗振り役として現実世界と戦うことを”自分達”が前面に出るのではなく”子供”にさせていた。自分が選択したことでも理想と現実の狭間で板挟みになり苦しむことがあるのに、その理想が本当に自分が望んだものなのか分からなくなった時…それが愛する家族から植え付けられたものだったら、責めたくても責められない…二重の苦しみに陥る。
このフェニックス一家には、ヤングケアラー問題に加えて宗教二世問題も内包していたと言うことなんだろうと思います。

上記の記事などを読んだ後に見つけたこの動画。
私が記事から読み取ったことを補強する感じで、より詳しくこの一家について説明してくれていて納得する部分が多かった。

動画主はカート・コバーンに関する動画を多く上げていて、リバーとカートの類似性に関心を持ちこの動画を作ったようです。(続編を作るみたいに言ってるけど無かったのが残念)
確かにちょっと似てますよね、この二人。生きた時代もほぼ一緒。リバー(1970~1993)、カート(1967~1994)どちらも西海岸北西部オレゴンとワシントン州出身。ドラッグ問題を抱え、早逝してカリスマになってる。

動画の最初はホアキンの「ジョーカー」でのオスカー受賞後のスピーチ。
当時聞いた時は素晴らしいこと言ってる(のは事実だけど)と思ったけど、この一家の背景を知って改めて聞くと、彼がフェニックス教の新しい教祖で、法王のように多くの民衆に教義を説いてる姿にも見えてくる。

そして「ジョーカー」にも想いを馳せてみる。ジョーカーというキャラは善良な男が醜い現実によって闇に落ちるしかなかった物語。その闇落ちには妄想を持った母親という部分も大きなトリガーとなっていた。ホアキンはどこまで自分の家族のこと、リバーのことをこの役を通じて考えただろうか?
確かにハリウッドの汚い世界がリバーを闇落ちさせたのも事実だろう。しかし両親の理想と欺瞞を聡いリバーが見抜けなかったとも思えない。本当に家族が全て理解し合える愛で結ばれ、何でも話せる関係だったなら、薬に逃げることも無かったし、最悪の事態の前に助けられていたのでは?親の理想が彼を孤独に追い詰め逃げ道を失くしたことも闇落ちの原因のひとつではなかっただろうか?ジョーカーと違うのはその刃が他人に向かったか自分に向かったか…ということ。
もう一度フェニックス一家のことを分かった上で観てみると違うものが見えてくるかも…。

動画ではリバーが生まれた農家の家、そこのオーナーのインタビューなどもある。←勝手にキリストが生まれた馬小屋みたいな掘っ立て小屋を想像してたから意外にちゃんとした家でビックリ😅。

ヒッピー文化の時代背景もよくわかる。彼らはベトナム戦争の兵役逃れや、組織に属してちゃんと働いていないので税金逃れもしていた。だから自分達の思想は正当だと思っているけど、社会に対する後ろめたさみたいなものも抱えていた。それで閉ざされたコミューン間を彷徨って現実から逃げ続ける生活を送っていたと。しかしベトナム戦争が終わり兵役からも解放されることになる。それまでの逃げることがとりあえずの人生の目的から、逃げる必要がなくなったので新たな目的を求めた結果、カルトの思想が人生の大義だと勘違いして傾倒していった…と。

そして1974年頃、父ジョンは教団からArchbishop of Venezuela and Caribbean ベネズエラとカリビアンの大司教…的な肩書を貰って現地に布教に行くことになる。ただし移住する資金は自己調達。←キビシ~!w

ココまで私はフェニックス一家は教団の下っ端で、教義にさほど従ってなかった可能性=リバーが性被害にあってない可能性もあるのでは?と思っていたのですが…大司教が教義に従わなかったことなんてあり得る?あり得ないだろうなぁ…。
それとデビッド・バーグは、子供がセックスできるようになる年齢は4歳で、4歳からセックス・イニシエーションをするように説いていた=リバーがインタビューで言った年齢と合致する。インタビューだけでなく友人にもこの年齢での性被害を吐露していたとこの動画主は言ってる。そういう証言資料もあるんでしょう。

ベネズエラ、カラカスの道端でリバーが演奏し、レインがお金を集める係で大道芸をしていた。その頃親は何をしていたかというと、父ジョンはガーデナーや小間使い的なことはしていたようだけど、彼らは基本働くということを信じていなかった。どゆこと?と思うけど、お布施など最低限の助け合いで生きていればいいって感じだったんでしょうか?働かずに親がしていたことは布教活動(Love Bombing や Flirty Fishing)。確かにその布教活動こそが彼らの仕事ではある(大司教だしね)。そういう姿を現地のカトリックの司教が見ていた(←のちに一家が教団を離脱してアメリカに戻るのを助ける人物)。

で、布教活動や企画した大乱交パーティー(←これも宗教活動の一環)で親が不在の時、子供たちの世話を任されていたのがHouse Shepherdsハウス・シェパードと呼ばれる人物なんだそう。新しくリクルートした見習い信者が担当する感じ?しかしそもそも乱交パーティーなんかを経てやってきた人物はヤバイ奴が混じる可能性が高い(←ここでレイプ犯で捕まった元信者の顔写真が画面に映る)。そんな人物をハウス・シェパードとして子供の世話を任せたらどうなるか?リバー兄妹たちは大道芸に勤しんでいたから被害に遭っていないと願いたいけど…。

そして一家が教団を離脱した理由ももう少し明瞭に語られていた。
教団の夫婦たちはスワッピングのようなことは当たり前だった。だから妻を使って新しい信者獲得は問題ないと信じ込まされていた。しかしバーグがさらに踏み込んだ信者獲得方法を提唱しだす。それは子供たちもセックスによる勧誘をするようにと。フェニックス一家はこれ以上は無理と言うことで離脱を決意したと…。←Flirty Fishing 自体が嫌で脱退という話だったけど、確かにスワッピングがOKならそこにそれほど嫌悪感を持つものかな?とは思っていた。なので”子供も使う”という新ルールが嫌で脱退を決めたという方が納得はできる。

離脱理由がそれなら、フェニックス一家の教団内での児童へのセックス強要のような性虐待もそもそもなかったのでは?という気がしないでもない。しかし愛し合ってるもの同士(家族や信者仲間)ならOK的な線引きがあった可能性もある。なぜなら教祖バーグの養子だったリッキーは実母とも関係があったと言われているから(←ホントは実母を殺したかったが無理だったのでナニーを殺害)。外から見たら全部NGなんだけど、自分たちに都合のいい線引きをしていたとしても驚きませんね。

動画の最後の方にはホアキンがオスカー獲った後だろうか?割と最近のフェニックス一家がインタビューを受けてる場面が映る(←元動画を探したけど見当たらなかった)。そこで一家は恥と罪悪感を隠そうとしていたし、リバーが経験した性虐待について訊いてくれるなと制作陣に頼んでいた…と動画主は言っている。ソースや真偽はわからない。もし制作陣からの証言があるなら、やはり都合の悪い過去は葬り去ろうとしていたのかもしれない。

この動画もフェニックス一家の軌跡と、子供たちの出演作を画像で観ることができるので興味深かった(9分ぐらいから)。特にホアキンの子役時代が満載。

一方で当事者の長女レインのインタビュー記事もあったので読んでみた。

彼女の親に対する意見部分を抜粋。

「両親は私達にとても献身的でした。ある意味で彼らは20代で経験できる多くのことを諦めて、私たちが夢見るものを見つける手助けをしてくれたのです。それはもの凄く自己犠牲的な行為でした」

←彼女にはそう見えてるんだ…。どう考えても20代を子供たちの為に捧げたというより、自分たちのやりたいことで子供たちを振り回したようにしか私には見えないんだけど…。それに子供が5人いて皆が芸能界に興味をもったというのも疑問。その選択肢しかなかったからでは?まともな教育を受けていなかった子供たちが、すぐ活躍できる世界が芸能界しかなかったと言っている動画もあった。神の子供たち元信者が脱退後に生きる術を知らないので困ったという当事者からの話がありましたが、兄妹は幼いころから路上で稼いできたという唯一の生きる術が偶々上手いこと芸能界と結びついた…としか思えない。

両親が裏で糸を引き、しばしば強引に、(自分たちの)大いなる野望を幼い子供たちに押し付けていると批判されてきたことに対して(←アメリカでも皆そう思ってたんだ😅)、レインはこうかばってる。
「私たちは何かをすることを押し付けられたり決してしていない。人はいつだっていろんなことを言うけど、私が受け取ったのは多くのポジテイブな応援だけだった。両親に関しては、彼らは子供を持つことを凄く享受していた。私たちを授かってすぐ、彼らは自分たちのフォーカスを切り替え、私たちに出来る限り家庭生活とスピリチュアル・サポートと愛を与えることにしたのよ」
確かに教育は受けてないし選択肢も微妙だけど、家庭生活、スピリチュアル・サポート、愛は受け取っただろうし、(この記事当時)40歳になっても親に感謝して家族内で揉めてない=幸せなら…いいんですかね?親の愛に恵まれなかった私がひがんでるだけなのか!?😅もうよくわからなくなってきました(苦笑)。実際ハリウッドに毒のような汚い部分があるのは事実で、それから子供たちを守るために距離を置きフロリダに戻ったりしてる。この部分は素晴らしい行動力とも思える。半面、自分たちフェニックス教の洗脳が解けるのを危惧した=情報を遮断&隔離…という面もあったかもしれないけど。

美空ひばりとかもだけど、特殊だったり極端な育ち方した人に妙な魅力が備わることはあると思ってる。そういう人が時代にハマってカリスマになる。
こんな親だったからこそリバーが悲しみと苦悩を抱えた重層的で魅力的なティーンの役者になったともいえる。この両親もある意味時代に翻弄された存在。彼らを責めてもリバーが生き返るわけでもない。私に責めたい気持ちがあるとするなら、単にリバーという才能のある役者がいなくなったこと、楽しみな未来を奪われた不満をぶつけたいだけなのかも…。

ただ思うのは、ホアキンがオスカーを獲ったからといって、この家族の過去を全肯定し、リバーの死さえも殉教者として聖人扱いするのはやっぱり違う気がする。功罪それぞれの部分を見つめて冷静に評価することが重要。新たなリバーを生まないためでもあるし、彼の苦しみを無かったことにすることこそ彼の死を無意味にすることではないだろうか?


死の真相に関する陰謀論

*この章で話題になってる話はあくまで一部の人たちによる推論を元にした”陰謀論”ですので、その旨留意してお読みください。

海外掲示板でリバー・フェニックスのスレッドをいくつか見ていたら、ファン達があるドキュメンタリーについて度々話題にしていることに気が付きました。それは「VIPER HEROIN X」というもの。昨年か、もう少し前にアップされ一旦削除された。しかし数か月前に再度アップされたようで、今のところは全編丸々観ることが出来ます。←削除されたことでより陰謀論として信憑性が上がってる部分もあるみたい。「揉み消そうとしてるんだ!」という感じで。

再度削除される可能性もあるかもしれないので興味ある方はどうぞお早めに。字幕がなくリスニング能力を結構要するのがちょっとハードル高いかも?…私も理解度はかなり怪しい、なので聞き間違っていたらスミマセン😅。

2時間17分もあって下手な映画より長い。しかし割と見やすくて、嘘の情報がないならわかりやすいドキュメンタリーだとは思う。これ見ておけばリバー・フェニックスの家族、宗教問題、ショービジネス界での活躍、そしてドラッグ問題、死亡当日の様子などを大体カバーできる気がします。
ただ掲示板のファンによるといくつかの些末なエラーはあるそうだし、AI音声なのか?まるで当人が話しているかのように演出している部分がある為、本人が喋っていると錯覚させる印象操作を狙っているなと思う部分は確かにあります。でも他の関連記事で読んできたことと大筋は外れていない。引用元も割とちゃんと出てる気もしますし。

「VIPER HEROIN X」から新たに知った情報をいくつか。

父ジョンの父親(リバーの祖父)もアル中で家族を放置、母親は交通事故で死亡。よって孤児院に入っていた。16歳で既にヘビードリンカーで大麻も嗜む。1966年兵役を逃れてカナダに行き、そこで15歳のトリニティという女子を妊娠させJodeanという娘が生まれた。後にリバーによって発見されフェニックス一家と対面(家族写真もある)。名前もTrust Phoenixに改名。
←ジョン自身も若かったんだろうし、こんな男に任せられないと娘の親に引き離されたのかもしれないけど、そもそも無責任な男だった印象は拭えないエピソード。確かに生育環境が悪くて同情する部分はあるけども…。

3分50秒あたりから父ジョンはリバーの遺伝上の父なのか疑惑
これは度々見かけるフェニックス家の家族写真(3分50秒辺りを見て貰えば)で私も下世話だけど感じていた部分😅。ホアキンは父ジョンにソックリだし、他の娘たちも父ジョンの目の特徴を引き継いでいる+皆濃い顔してるんだけど、リバーだけは薄めの顔なんですよね(髪の色も含めて。これは年齢によって変化する場合アリだけど)。鼻の形は母アーリンを引き継いでいるかな?

そもそもフリーセックスが当たり前のヒッピーたちって避妊とかしてないですよね?コンドーム買う金があったとも思えないし。この一家だけじゃなくても親がヒッピーだった親子で遺伝子検査したら血が繋がってなかったってのはいっぱいありそう(映画「マンマミーア」の父親わからない設定もヒッピーでしたっけ?)。とはいえ祖父、父、そしてリバーも飲酒問題はしっかり受け継いでしまったし、子供が祖父、祖母に似ているなんてこともよくある話。死ぬ直前のフォトシュートでは父ジョンみたいに黒い体毛が濃くなってきていたしどうなんですかね~?
ラブ&ピース、人類皆兄弟、天からの授かりものとして親が誰であろうと平等に愛するという思想なら些末な問題…なのかな。ただこのことがジョンの中でわだかまりとして実はあり、それでリバーに全ての重責を背負わせていたんだとしたら…最悪だなとは思います。アル中の原因もそこだったりして。

ジョンのおばの言葉。ベネズエラからアメリカに戻り、彼が背中を痛めて働かなかったのは単にLazy怠惰だったから。
リバーが撮影してるセットに、酔っぱらってやって来てはリバーに恥をかかせた。←ダメ親父感満載だなぁ😅。

一方ジョンはインタビューでこんなことを言ってる。
アーリンが家族や友達、知り合いの環境活動家グループなどが経済的に安定するまでリバーに映画に出て貰いたがった。ジョンはビジネスから抜けて貰いたかったと。アーリンはアーリンでステージママ。それも自分の利益(思想&金)の為という説が濃厚。家族だけじゃなくヒッピー仲間の面倒も見させられていたんだ…。

Bill Richertの証言もある。彼はリバー主演映画「A Night in the Life of Jimmy Reardon ジミーさよならのキスもしてくれない」の監督で、「マイ・プライベート・アイダホ」ではハスラーたちの親分ボブを演じた人物。 当時44歳でリバーの友人。後にコーヒー豆店を共同経営したりもしている。
「ジミー…」の映画プロモーションにリバーを参加させないとアーリンが言ってきた。なぜなら彼にはティーン女子のファンベースがあり、イメージを壊すからプロモーションはさせないと(映画はいろんな女の子と寝たりする役どころ)。そしてリバーの死さえカバーアップしたと強い口調で話している。一貫してリバーのイメージを作り上げて金儲けの道具にしてきたと糾弾していた模様。

父親がそもそもアメリカ嫌いでアル中。それが悪化し、ハリウッドを敵視する傾向が強まりLAからフロリダに戻り、その後コスタリカに引っ込んだ。母は反対にもっと稼げとプッシュした。やはりリバーはその間で引き裂かれて苦しむという構図だったんですね。役に入り込もうとするのは現実逃避の側面もあったという意見も。

で、ここからが彼の死に関する陰謀論です。

彼が死んだのは1993年10月31日。30日のハロウィーンの夜から翌日にかけての出来事。病院に運ばれ死亡が確認されたのが翌日の1時51分だった。
場所はジョニーデップが共同オーナーだったThe Viper Room。
店に一緒に来たのは妹レインと弟ホアキン。そして当時の彼女のサマンサ・マシス(ちなみに元カレがジョン・レグイザモで、リバーと共演したことによって乗り換えたそうな)。バイパールームに来る前に別のパーティーにも寄っていて(ハロウィンだからね)、そこでディカプリオが初めてリバーを見たらしい。凄く白い肌(血の気が無かった)だったと。

リバーは当初行くつもりはなかったが、友人だったレッチリのFleaから誘われたか、レインやホアキンが行きたいということで訪れた。しかしすぐ帰るつもりだったらしい。

ステージで一緒に演奏しようぜ!と誘われたから来たのに、結局演奏させてもらえなかった。それでムカついたので薬物摂取に至った…というのが摂取した直接的な理由だろうという話もある。
直前に父がいるコスタリカを訪問し、そこではしばらくクリーンだったから余計にダメージを受けて(やり続けてると耐性みたいなのが出来るんですかね?)致命的な結果に至ったという話も。
しかし直前まで撮影していた「Dark Blood」の監督は、撮影後半、リバーの様子がちょっとおかしい時があったとも言っている。よって、この時の彼がどれほどクリーンだったのかは不明。バイパールーム行く前の4日間にヘロインを友人とやりまくったという話もあるし。

そして店内で薬物の過剰摂取で気分が悪くなり、店の前に出てきて路上で発作を起こした後に心肺停止に陥る。

↓この記事ではロン・デイビスというパパラッチが見ていた様子が詳細に書かれていた。臨場感が伝わってくる内容。

ザッとその様子を拙訳。
*****
1時頃、クラブのドアが開き、サマンサ・マシスによってリバー・フェニックスが運び出されてきた。そしてホアキン、レインも出てきた。デイビスが最初分かったのはマシスだけだった。

デイビスは運び出された男は最初酔っているのだと思った。「ゼリー、液体のようにグデングデンだった」短い黒髪(「Dark Blood」の役作りで染めていた)、黒いコンバース、ジーンズという出で立ち。地面に寝転がされて、激しい発作が始まった。発作はクラブ内から始まっていたと言われている。クラブ内ではジョニー・デップが演奏していて、すぐにリバーも参加する予定だった。クラブのドアマンであるエドがある時点でリバーを店から出すように促した。リバーがクラブ内で叫んだり吐いたり、顔に水をぶっかけられたとも言われている。タブロイドによると、彼は「I'm gonna die, dude」と外に出る際に叫んでいたとか。

リバーが地面に寝かされた時、ドアマンは「何かしろ、911に電話しろ」と言っていた。弟は何度も振り返って「彼は大丈夫、彼は大丈夫、彼は大丈夫」と怒鳴り返していた。

一瞬静止があって、二度目の発作が始まった。デイビスは少し近寄り、それが如何に深刻かがわかった。目は裏返って白目になり、震えていて、腕は暴れまわっていた。
リーフ(ホアキンの当時の名前)は救急車を呼んだ。この時の会話は録音されており、後に公開されている(救急サービスの本部で閲覧できる)。

テープでは、リーフは泣きながらパニックによる怒りと、彼のある種特徴的な注意深い礼儀正しさの間で揺れていた。交換手に無礼だったことを謝りながら会話(挨拶?)を終え、そこからテープが歪むほど大声で叫びはじめた。←ちょっと意味不明だけど、繋がった時に失礼な言い方をしたことを謝りつつも、交換手にリバーの状態を説明する時にまた叫んでいたってことですかね?

リバーは約5回ほど発作を起こした。彼の腕は上下に飛び回り…静かになった。デイビスは写真を撮らなかった(←それどころじゃなくて撮れなかった?)。「腕が上に下に、また上に下に…」
リバーは頭を地面に何度も打ち付け、レインは上に乗って何とかその動きを止めようとしていたが無駄だった。5回の発作の後、リバーは動かなくなった。レインは彼の傍らに横たわり、シャツをたくし上げ、お腹をさすって「ねえ聞こえる?聞こえる?」と言っていた。

(4人いた救急隊の一人)Ribar隊長は発作が止まってから5分後に到着した。患者には脈も呼吸も無かった。近くで見ると肌が灰色に見えた。路上で基本の蘇生処置を試みた。この段階で人混みが出来始めた。リバーは救急車に運び込まれ、発車しようとするときにFleaがクラブ内から出てきた。彼は救急車の後ろに乗ったが、前の座席に座るように言われた。セダーズ・シナイ病院に着くまでの短い期間もRibar隊長は蘇生措置を続けた。彼は誰の命を救おうとしているのか全く分かってなかった。隊員の一人が「彼は逝きそうだ、カモン、リバー!(戻ってこい)」と言ったので、リバーだって?と思った。

マシスとフェニックス妹弟は消えていた。デイビスはドアマンのエドに近寄った。彼は救急隊が残していったゴミ、何かのフタやプラ包装紙、注射器などを拾っていた。

*****
ではこの死に関してどんな謎、疑問があるか?
「VIPER HEROIN X」で指摘している部分をザッと書いてみると、

疑問➀ 救急車を呼んだのがホアキン。それも公衆電話を探しまくってかけたとか。←どうしてバイパールームの電話を使わせて貰えなかったのか?一般人でなくジョニー・デップとは面識もあったVIPだろうに。

疑問② ジョニー・デップは一度様子を見に来て、すぐ戻って自分の演奏を続けたらしい。←そんなことある?道行く人たちはリバーのことをホームレスだと思ったという証言もあったから、リバーだと認識していなかった可能性はあるのかも?自分の店の前で面倒なことを起こしてくれるな的な感じ?

疑問③ 電話をしたのはホアキンなのに、救急車に一緒に乗っていったのはレッド・ホット・チリ・ペッパーのFlea(リバーの友人)。レインが人工呼吸なども試みていたが、救急車に乗せられた時点では心肺停止状態。そんな状態で身内が救急車に乗らないのも不自然
結局その後二人はすぐフロリダ、そしてコスタリカに行ったとか。死体の引き取り、お別れ会の準備等はエージェントのアイリス・バートンが行った。当時レインは21歳、ホアキンは19歳で未成年。もしかしたら彼らも飲酒、薬物等をしており色々尋問されるのを避けるために逃げた?or 誰かが逃がした?

疑問④サマンサ・マシスは、レッド・ホット・チリ・ペッパーのジョン・フルシアンテがリバーに薬入りの青いカップを渡してDrink Up(飲み干せ)と言ったと証言。しかし後に覆している…らしい。
フルシアンテは当時重度のジャンキー。リバーの友人且つ、薬、ヘロインなどを一緒にやりまくっていたジャンキー仲間だったそう。
そしてリバーが彼を薬物療養施設に送って行ったことがあり、その時にリバーに対して”殺してやる”と言ったんだとか。←それを脅迫、殺人の動機というのはちょっと無理がある気がしますが…そういうトーンで語られてる。ジャンキーなら普通に言いそうだし、それを言ったことさえ覚えてなさそうですけどねぇ。

疑問⑤ジャンキーは薬があったら自制が出来なさそうだけど、何度も気持ちよくなりたいから一回に使う適切な量はわかってるんだそう(←無茶な摂取はしないということ。しかしそれだと度々過剰摂取で亡くなる人は出ないですよね?ちょっと無理ある理屈な気もする)。
リバーが飲んだカップには致死量の8倍スピードボール(コカインとヘロインの混合物)が入っていた。この量が不自然(←勿体ないからね)。検視の結果、針の跡や鼻から吸った形跡が無かったので、これを飲んだのが一番の原因だろうと考えられている。飲んだ直後に首が膨らんだようになり、何かおかしいと何度か吐き、薬の効果を薄めるためにバリウムを飲んだ(←そんなのが店にあるのか疑問なんだけど。オーバードース用に常備されてるのかな?)。ちなみにヘロインが体に入るとモルヒネに変化するみたいですね。今回初めて知りました。

疑問⑥カップに入っていたスピードボールのヘロインは溶かさないといけない。ヘロインはよく映画とかでも見るけどスプーンを熱して溶かしているように、高温を加えないといけない(覚せい剤とごっちゃになってるかも?そんな薬なんてやらないからシリマセン😅)。よって事前にそこそこの量のヘロインを溶かしてコカインと混ぜて…と手間をかけて作っている(←計画的)。現場で火がある場所はバーぐらい。そこを使えたのは誰だろうか?(←オーナーなどの関係者だと動画は暗示している)

疑問⑦それだけの薬物を買うのは高額。当時のフルシアンテは薬にハマり過ぎてバンドを離れていた。お金もそんなに持ってなかったはず。それなのに自分用ではなくリバーに高価なヘロインを飲ませるのは不自然←誰かが買い与えたのでは?
フルシアンテはリバーの死後にとんでもないことをしてしまったと口走ったとか。その後、鬱が深刻化し、死ぬことも決意したという友人の話もある。←どういった自責の念なのかは不明ですけどね(殺したからか、単に友人を亡くしたからか)。家に引きこもっていた彼をジョニー・デップがドキュメンタリーに撮っている。←ジョニー・デップの友人でもある。

疑問⑧フルシアンテの父親は判事。そして彼の弁護士とフェニックス一家の弁護士は同一人物。家族が訴えれば、本当なら第二級殺人=故殺で捕まっていてもおかしくない。しかしリバーのイメージを守ることやレイン、ホアキンの将来を考えて妥協したのでは?という意見もある。どこかから示談金みたいのを受け取っていたってことなのかな?
数年後のオーストラリアの雑誌インタビューで、父ジョンはフルシアンテに会うようなことがあれば殺してやりたいし、起訴されるべきだと言っている。
一方の母アーリンは、そんなことをしてもリバーは戻ってこないし、リバーの友達だった人物にそんなことをしても彼は喜ばない。さらにただメディアの注目を集めるだけだと。←この言い分も理解できる。

疑問⑨この後リバーがするはずだった「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」の役をクリスチャン・スレーターがすることになる。彼は自分のギャラをリバーのチャリティ団体に寄付したいと申し入れた。すると母アーリンは団体ではなく自分の所に送って欲しいと言ったらしい。←この辺りの銭ゲバエピソードでリバーの死もお金で解決したのでは?という動画主の印象誘導も感じなくもない。でもこのエピソードは他の所でも見かけました。ただリバーのチャリティ団体を母アーリンが担ったいたらそれほどおかしな話でも無いような?厳然とした区別があったなら横領容疑で怪しいけど。

疑問⑩その後、ジョニー・デップとバイパールームの共同オーナーだった人物が行方不明になっている。ジョニーの不正?管理者注意義務違反?(横領とか薬物売買とかでしょうか?)ちょっと詳しい不正内容はわかりませんが、それで共同オーナーから訴えられていた。その裁判の直前でその人物が車、拳銃と共に行方不明に。
ジョニーの友人によると、裁判はほぼその人物が勝つ内容だった。もし訴えていなければ今もココにいただろうにと。←ジョニーが消したって示唆してるっぽい。

↓この動画では現在のバイパールーム周辺の様子、ホアキンが使っただろう電話の場所、リバーのエージェントだったアイリス・バートンが捧げた慰霊碑などを紹介してくれている。←この動画主、亡くなったセレブの現場や墓を訪ねる系の動画ばかり上げてる。

ジョニデは現在もう共同経営者ではないらしい。店内の壁に書かれたリバーへの追悼メッセージも新しいオーナーに消されているだろうと。リバー自体は火葬され、遺灰は家族に渡され、フロリダかの家族の所有する土地の木の元に撒かれたらしい。フロリダの海って話も聞いたけど…。

ということで、この「VIPER HEROIN X」の動画はジョニー・デップが裏でフルシアンテに薬を渡しリバーを殺した大元の犯人では?と疑念を向ける感じで終わっている。

エエ~衝撃!!…と、思ったかというと、そんなに思わなかった(笑)。
私は黒い妄想もよくする方なので、ジョニー・デップの店で起った、誰が薬を用意したんだろう?リバーが消えたら得する人物、業界で仕事回って来そうな人物にジョニデは当て嵌まらないか?当て嵌まらなくもない…かも?リバーに嫉妬していた可能性は? という簡単な妄想?素人探偵的推理?はとっくにしていたので、逆にいろんな怪しい点を教えて貰って、う~んあるかもな~🤔…とミステリー事件気分で最初は思ったのです。

しかし色んな意見も見てみないと!と思い、海外掲示板を見てたら、ジョニーのファンやフルシアンテのファンなのか、擁護したり、この指摘の矛盾点を挙げてたりしていて、うん、そうね~と思う部分も。そもそも殺すほどの動機があるのか?とかね。

確かにわざわざ殺さなくても、この頃のリバーは既にかなりのジャンキーになっていて、直前の仕事でも演技がちゃんと出来なくなっていたという話もある。放っておいてもある意味下り坂にいたわけです。一方のジョニデは、この年の頭に「ギルバート・グレイプ」を撮了し、このハロウィン後の12月に公開という時期。「シザーハンズ」はその前だし、確かにトップ俳優ではなかったけど、とはいえ映画の主役を張ってるわけでそこそこ順調に売れてきてはいたはず(アッ、逆にこの頃からプッシュして貰い始めたとも取れるか…)。個人的な恨みなどがあったら別ですが、ちょっと動機としては弱い気はする。ただこの事件の後、尋問を逃れてフランスに2週間ぐらい逃亡(←言い方っ!滞在?)していたらしく、召喚状かで呼び戻されたという話もあるみたい。

それにジョニデが後にリバーがやりそうな役をしたかというと疑問。なんでもテリー・ギリアムと詩人ランボーの映画をやる話もあって、それにリバーは乗り気だったとか。結局それは別の監督でディカプリオ主演「太陽と月に背いて」になるわけです。ディカプリオの方がリバーの後釜に上手く収まったという意見もある。
確かにタイタニックを健康なリバーならやっててもおかしくはない…と思っていたら、こんなディープ・フェイク動画がありました😲。

ディカプリオの顔にリバーの顔を嵌め込んだ感が凄いけどw、確かに違和感はあまりない(でもディカプリオのお茶目な感じは大事な要素なのでドラッグによるヤサグレ感満載だった当時のリバーだとイマイチだったんじゃないかと個人的には思う)。コメント欄を見ると、ジェームズ・キャメロンはリバーを念頭に脚本を書き、もしリバーが生きていたら彼が最初の候補だったと言っていたとか。

リバーほどでないにしろディカプリオもプリウス乗ったりして環境問題のアンバサダー的なポジションに収まった風もある。そういうのを鑑みて、ハリウッドの大物(性搾取してる人物)がリバーを切って、ディカプリオに乗り換えて用済みになったから殺されたんだという中々ぶっ飛んだ意見も見かけました。←「ギルバート・グレイプ」で共演したことでディカプリオとジョニデが繋がり、オファーがなされ…という裏で繋がる共犯だった!?んなアホなwww

でもまあ分らんよね~。ワインスタインだって被害者達は地獄だったろうけど、部外者にしたら都市伝説みたいなもんだっただろうし。P.Diddyの裏にクライブ・デーヴィスがいる構図みたいに、ジョニデ&ディカプリオの裏にスゴイ映画会社の大物とかがいたりして!?P.Diddyが実力以上に業界の大物になっていく姿とジョニデがハリウッドで大物になっていく姿、時期もほぼ一緒だし、二人とも悪人顔だしw。そういう悪い奴らの組織的ネットワークがあってもそれほど驚かないかな。

結局真相はさっぱりわかりませんが、こんな陰謀論もあるということで。
何年かしたら新たな展開があるかもしれないし、ないかもしれない。フルシアンテかFlea辺りが急に証言でもしだしたらまた考えると言うことで。
ジョニデも元妻アンバー・ハードとの裁判でイメージ結構落ちたし、今後どこでシッポ出すかわからないですしね(←疑ってるやん!w)。
単にアンバー・ハードとのDV問題でイメージ低下したから、ここぞとばかりに叩きたい層が便乗してるだけかもしれないし。

バイパールームとジョニデ

たまたま図書館で「Johnny Depp : A Modern Rebel」(ブライアン・J・ロブ著)という本を見つけました(2006年に出されたジョニデの半生記的な本。パイレーツ・オブ・カリビアンのヒットを受けて出された感じ?内容は比較的ジョニデに好意的に書かれている)。
そこにバイパールームについての記述があったので、wikiにある詳細も少し加えてつつ抜粋してみますね。
ジョニデ側の言い分も知ってみたいので。

*****

バイパールームは元々1920~40年頃は食料品店。その後「コットンクラブ」というナイトクラブに改装。そこから色々と変遷してジャズクラブ「The Central」となる。
しかし閉店されると言うことで、店で演奏していたロックスターのチャック・E・ヴァイスがジョニデに声をかけて「バイパールーム」として共同経営することに。それがリバーが死亡した1993年の8月。←開店ホヤホヤだったんですね。

ジョニデが暗くて狭い、薄汚かった内装をアールデコ調に変更。1920年代の禁酒法時代のもぐり酒場風の空間にした。←「グレート・ギャッツビー」とか「バビロン」の時代の雰囲気ですかね?
古き良きハリウッドの雰囲気を出すために煙草を販売する売り子の女性まで用意した。

ブース席はわずか五つ。その一つはICMのジョニデのエージェントであるトレイシー・ジェイコブズ専用。「邪魔するな」という金のプレートが付いていた。

このクラブはジョニデの遊び場だった。ミュージシャンの友達とジャム演奏をした。
収容人数200人の小さなダンスフロアもある。開店と同時にあっという間にLAで一二を争う人気ナイトクラブになった。
客にはハリウッドの若手スターも多かった。ジャニファー・アニストン、リサ・マリー・プレスリー、アンジェリーナ・ジョリー、クリスティ―ナ・アップルゲイト(彼女はリバー死亡の日にいたとか)、ディカプリオ、トビー・マグワイア、ジャレッド・レトなどなど。キアヌもここで演奏している。

ジョニデ「僕がやりたかったのはルイ・ジョーダンやヴェルヴェット・アンダーグランウンドを演奏することだったんだ」

ジョニデはリバーと親友というほどではなかったが知り合いだった。
二人とも1980年代に流行ったハリウッドの”ブラットパックBrat Pack”(青春映画に出演していた若手俳優の一団。トム・クルーズ、マット・ディロン、ロブ・ロウ、チャーリー・シーンなどなど)のような馴れ合いからは距離を置き、ハリウッドの主流からは外れた形をとっていた。

リバーがドラッグをやっていたのはハリウッドでは公然の秘密だった。親しい人たちは度を越し始めていることに気付いていたが、タブロイドのネタにはなっていなかった。
リバーはその夜、ステージで演奏する予定だった。

ジョニデがこの件について語れるようになるのは時間を要した。

ジョニデはマスコミの中傷にさらされ、彼がバイパールームのようなクラブを経営し、秘密の部屋でドラッグを使用するのを黙認していたことがリバーの死の一因だと書き立てた。←そういう糾弾の声もあったのね。

それに対して「色々な憶測が飛んだ。誰もが探偵気取りで、視聴率稼ぎや新聞雑誌の売り上げを伸ばすために食い物にした。タブロイドが書くことは完全にフィクションだ。本当に悲劇だ。悲しい。何度(ホアキンの)救急車を呼ぶテープを聞く必要があるんだ?何度記事にすれば気が済むんだ?ホアキンはこのあとどれだけ苦しみながら生きていかないといけないんだ?誰もが悪い面にばかり焦点を当てて、良いことについて見向きもしない。この仕事を初めて10年になるけど、トイレやどこでもドラッグをやれる場所を提供するためにクラブを開店しただなんて…。皆、僕の頭がおかしいと思っているのか?そんな世捨て人だと?クラブでハイになりたい奴の為に自分の子供の将来だって台無しにするような行為をするなんて。バカげている」

「マスコミはリバーを愛する人々の思い出を汚そうとしていた。突き詰めて考えれば、とてもイイ奴が致命的で大変な過ちを犯してしまったということ。僕らの誰もが犯してしまう可能性のある間違い。起きてしまったことはあまりに重い。僕に向けられた非難に対して報復さえできなかった。僕はあの場にいた。事件が起きたのは僕のクラブだ。「お前らみたいな救急車を追いかけ回す奴らの病的なサーカスに関わるのはゴメンだ、失せろ!」と言ったよ」

実質の経営はジョニデの長年の親友のサル・ジェンコがしていた。

リバーの死亡事件の後、1995年にはソープオペラのスター、ジェイソン・ドノヴァンがドラッグ由来の発作で死にそうなる。カート・コバーンの元妻コートニー・ラブも死にかけてジョニデによってCPRを受けた。←ドラッグが蔓延していたことを否定するのは無理がある気がするんだけど…。
英タブロイドはドノヴァン事件の後に「デップのセックスとドラッグと死の隠れ家」という見出しを付けた。

「ドラッグだらけで客はみなやりまくっている」と書かれたことに皮肉っぽくこう語る「きちんとしたナイトクラブなんだ。ウエスト・ハリウッド市長のレセプション会場になったこともある。そんなことは誰も書かないんだ。それでは雑誌が売れないからね。市長の首に注射器が刺さっている写真でも撮れば、違うんだろう」
「開店と同時に皆のたまり場となった。でもこんなことになるなんて考えもしなかった。小さくてクールなアンダーグラウンドな場所になるだろうと思っただけ。小さく目立たない店だから隠れ家っぽい場所になるはずだと。リバーの死後に起こったことを考えると気分が悪くなる。弔意を表して二週間店を閉めた。彼のファンがメッセージや花を残せるように。しかしその後の数か月は最低だった。デリカシーの無い観光客、墓巡りツアーみたいなやつらが押し寄せた。しばらくは店に足が向かなかったよ。気の利かない奴は追い払った。今は元通りのいい場所になったよ」

リバーの死について責任があるのでは?という報道に腹を立てて見せていたジョニデ。あの日の明け方、四時、五時頃に大通りを行ったり来たりする姿を目撃されている。50ドルや100ドル札を歩道にたむろするホームレスに渡していた。それはまるで良心の呵責に堪えかねたジョニデ流の罪滅ぼしのようだった。←よくわからない論理だなぁ。なんかの口止め料を払っていたとかも考えられるよ(苦笑)。

翌1994年、ケイト・モスと付き合い始め、LAでドラッグ使用の恐怖について描く8分半の超現実的短編映画「Banter」を上映した。ヴォーグ誌主催のアンチ・ドラッグ教育プログラムのDAREの企画。
ハード・ドラッグの世界へと堕ちていく様を陰鬱だが挑発的に描いた作品。
これによってジョニデ本人にドラッグ経験があるのかという疑問が投げかけられることに。
「僕はずっとマスコミに嘲笑われ、自己弁護しなきゃならない立場に置かれ続けていた。何も間違った行いはしていない。アンチ・ドラッグの映画も作った。これを見て子供たちが学んでくれることを願っているし、ドラッグが逃避にならないことも知って貰いたい。何かから逃げ出したいのなら方法は他にもある。読書、絵を描くこと、文章を書くことをしてもいい」

「良からぬ場所にいたことが何度もある。自分の周囲で何が起こっているか全く把握していなかった。それでつい誘惑に負けてしまう。それでもほんの少しなら大丈夫なんだ。でもそれが生き方の全てになってしまうとダメだ。ひどいことになる。初めてハイになった時の感覚を求めて、のめり込んでしまう。13歳、14歳で初めて酔っぱらったり、マリファナを吸って最高だと思ったりしたあの瞬間。でもそんな感覚は戻ってこない。あれは二度と味わえないものなんだ」ジョニデは自分自身を厳しく見つめ直し、彼なりの心理分析をし、自分自身が中毒に陥りやすい性格なのだと気付いていた。ケイトと出会って禁酒していたが、それ以前は一晩でボトルを一、二本平気で空けていた。
何年も憂さ晴らしのために酔っぱらい続けていた。でも上手くいったことなんて一度もなかった。僕は内面に悪魔を抱えている。アルコールとドラッグーーーある種のドラッグはこうした悪魔を解き放つことができるんだ。心の扉を開いて、そういう悪魔たちを解き放つっていうか」

その1994年の9月にNYのホテルのスイートルームで大暴れをし、部屋中の備品を破壊する事件を起こす。警備員に通報され一晩留置所に。
破壊されたものは、17世紀の額縁二点、陶器のランプシェード、陶器の壺、ガラス製のテーブルトップ、脚の折れたコーヒーテーブル、木製棚、花瓶、カーペットに付けられた煙草の焼け焦げ跡数か所、赤いデスクチェア。
ジョニデは警備員が挑発したからだと言い、弁護士はジョニデが一人でやったと思いますか?誰も見た者はいない。宿泊費の2,3日分を含ませているんじゃないか?忌々しいゆすりだと反論。
しかしジョニデは事件自体は否定せず、
「僕にとって最高の夜じゃなかった。自分のしたことについて弁解しようとしてるんじゃない。確かに他人の財産は尊重しないといけない。でも、何が何だかわからなくなることがある。人間だからね」
損害賠償額の支払いの判決が下った。

*****

で、ジョニデのwikiにある依存問題の項目を見てみると、

デップは人生の大半で薬物乱用と闘ってきた。母親の精神安定剤11歳で摂取したところから始まり、12歳で喫煙14歳では当時あったほぼ全てのドラッグを経験していた。
1997年のインタビューで、「ギルバート・グレイプ」の撮影中にアル中だったことを認めた。
2008年のインタビューでは長年アルコールで自分自身を毒で冒してきたと言った。
2013年にはできる限りのことを全てしてアルコールを絶つことを宣言した。
2018年、ローリング・ストーンズのリポーターは、ジョニデが彼の目の前でハシシ(大麻製品)を使い、「陽気で狡賢くて支離滅裂が交互に起こる」と書いた。
2020年の名誉棄損裁判でオキシコドン中毒であり、アルコールの乱用を認めた。さらにはマリファナ、MDMA,コカインの使用も認めたが、依存はしていないと言った。

これだけ薬物とアルコールに依存していて止められていない人物が、リバー死亡当時にアンチドラッグを唱えたり、自分が被害者的に言っていたこと…彼の言葉より行動を長いスパンで見た結果、残念ながら嘘というか、自己弁護の為の詭弁を言いまくっていたという気しかしないです。ホテルで暴れたのはたぶん薬のせいだろうし、アンチ・ドラッグ活動も批判をかわす為の隠れ蓑的な感じかな。

なので、リバーを殺害した黒幕とまでは思いませんが、バイパールームが彼が言うようにドラッグ・フリーな場所だったとは信じがたいし(どちらかというとフリー・ドラッグ=自由にドラッグやり放題の場所)、ドラッグが蔓延する環境を作っていた(自分自身も使っていたとしか思えん)or 見逃していたのは間違いないわけで、オーナーとして責任が無いとは個人的には思えません。


薬物履歴

自然保護、動物愛護などと同様にアンチ・ドラッグの立場を貫いていたリバー・フェニックス。よって彼は死の当日まで薬なんかやってなかったのに、たまたまバイパールームで薬を摂取して亡くなってしまった…みたいなファンの方の意見も見かけました。。うん、そう思いたいですよね。永遠に理想のリバーを信じていてもイイと思う。関係者の発言だってどこまで利害関係あって話しているか部外者からはよくわからないし。

事件当時、家族や彼女のサマンサ・マシスもリバーが薬をしているのを知らなかったと言っていた(マシスは薬断ちをリバーと約束していたからクリーンだと思っていた的発言なので彼にドラッグ問題があったことは知っていたはず。それに皆でバイパールームに着いてすぐテーブルでコカインを回したという記述も見かけました。それが本当ならレインもホアキンも知っていたどころか一緒にやっていた可能性あり(しかも未成年で)だし、マシスだって大人とはいえコカインは違法薬物だろうし、女優としてのイメージもあるわけで、自己保身故の発言の可能性は十分あるだろうな…とは思う)。

ということで、私は彼は薬をやっていたという意見は妥当だと思っている派。なので一応関係者の証言や記事を元に彼の大体の薬物遍歴を追っておきたいと思います。

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ヒッピー両親の元育ったので、小さい時から薬、少なくとも大麻は身近にあったのではないかと思うのですが、一応両親が「神の子供たち」に入った理由が”大麻やLSDをやらない団体だったから”ということらしいので、そこは信じるとすると、一応最初の証言と思われるのは「スタンド・バイ・ミー」撮影時を振り返ったコリー・フェルドマンのこの発言。

“I was away from my abusive mother for the first time, and I was running around like a bird freed from the cage,” he added. “I went to my first nightclub, got drunk for the first time, kissed a girl for the first time, shot a music video for the first time, with River for his music, and even smoked weed for my first time, again with River — and also his first.”
僕は虐待母から初めて離れられて、籠から逃げて自由になった鳥のように走り回っていたんだ。初めてのナイトクラブに行き、初めて酔っぱらって、初めて女の子とキスをし、リバーの音楽の為のミュージック・ビデオに初めて出演し、さらには初めて大麻も吸ったんだ。それもリバーと一緒にね。彼も始めてだった

ということで、コリーもリバーも14、15歳で大麻を初体験。
大麻は”ゲートウェイドラッグ”とも言われるようにその他のより強い違法薬物への入り口となるもの。フェルドマンもこの後にコカインを大人に勧めれれて初体験し、その後パーティー三昧の日々で山盛りのコカインを目の前にして依存していく。

リバーがどうやってコカインに手を出していったのかはこれと言って書かれているものは見つけれなかったのですが、1989年まで4年ほど付き合った彼女であるマーサ・プリンプトンの言葉にこんなのがある。
「私たちが別れた時、多くの出来事があったけど、叫んでも、ケンカしても、頼んでも、何をしても彼を変えることはできないと言うことを学んだの。彼自身が変わろうとしないと。だけど彼はまだその時、変わりたいと思ってなかったのよ」
二人が別れた理由がリバーのアルコールと薬物問題だと言われていて(wikiにもそう書かれている)、それを振り返っての発言。「In Search of River Phoenix」という2004年の本に書かれている。
(映画雑誌スクリーンが特別編集した「リバー・フェニックスの伝説」というムック本の中にも、「マイ・プライベート・アイダホ」で来日した際、朝10時からのホテルでのインタビューで、すでにウォッカ入りのブラッディーマリーを飲みながらだったと書かれていました。アル中だったのは間違いなさそう…)

恋人にここまで懇願されても止めなかったのが大麻とはちょっと考えにくい気がします。アメリカの映画やドラマでは一応違法(州にもよる)だけど皆よく吸ってる描写が出てくるし、そこで「大麻をヤメテ!」と懇願するような恋人なんかはほぼ見たことがないですから。コカインとかはヤメテ!ってのはありますけど。そこには線引きがある気がします。

そしてほんの時々しか使用しない程度なら、これまたここまで言われることも無い気がします。ということは結構ハマり始めていた、もしくは日常的にハマっていたということ。18,19歳ぐらいの頃にはそういう状態だったと。

で、20~21歳の頃の「マイ・プライベート・アイダホ」」撮影時に、ハスラー仲間たちと共同生活しながら、役作りの為、体験的に試したのがヘロインだと、いろんな記事に書かれている。

この記事に、リバーの友人で、当時はアシスタント的なこともしていたMatt Ebertマット・イバートによる当時の様子が書かれています。

”リバーはさらに役に没入するためにハード・ドラッグを試し始めた。
元ストリート・キッズだったマット・イバートにもリバーはフレンドリーだった。彼は「DogFight」と「マイ・プライベート・アイダホ」の製作アシスタントとして働いていた人物。リバーはイバートに、前にも(ヘロインを)やったことがあると言っていたが、思い返すと、彼は嘘を言っていたように思う。イバートによると、アイダホのキャストとクルーの間でヘロインの使用が横行していた。リバーはイバートを訪ねてきては一緒にドラッグをやった。そして彼がカジュアルなユーザーから深刻なドラッグ問題を抱えるまでにはそう長く時間はかからなかった”

このハスラーたちと話しているところを撮影した動画では夜なのにサングラスをかけていたり、
この当時のインタビュー動画でもサングラスをかけてることが多くなっている印象はある。

サングラスだけじゃなくて、顔を絶えず触ったり落ち着かない様子にも見える。
薬物使用者は光に過敏になると言われます。瞳孔が開くから。やはりこの頃からかなりの乱用に陥っていたのかもな~というのはこういうところからも少し感じます。

そして「マイ・プライベート・アイダホ」で共演したレッチリのFleaを通して先述のジョン・フルシアンテと繋がり、ヘロインにドップリ嵌るドラッグ仲間になっていく。

遺作である「Dark Blood」のユタでの撮影を終えてLAに帰ってきたリバーは、四日続けてジョンの部屋に籠ってコカインからヘロインなどのドラッグをやり続けたと言われている。

リバーのエージェントだったアイリス・バートンのアシスタントだったクリス・スナイダーの本「Hunting with Barracudas」にも当時の彼の様子が書かれている。彼は非常に疲れていて、バートンや母アーリンがシャワーを浴びればスッキリするわ、と明らかにおかしいのに見ないようにしていた様や、見た目が血の気もなく青白く、まるで死体のようだったと書いている。

バイパールームに行く前のハリウッド・ヒルでのパーティーで初めて会ったというディカプリオも、リバーが真っ青だったと言っていたらしいし、写真家のブルース・ウェバーもリバーを駐車場で見かけた時にかなり病的だったと発言しているそう。

「Dark Blood」のトレーラーを見ると、そこまで病的だとは思いませんが(一応撮影前にコスタリカに行って2ヶ月クリーンになっていたらしいし)

頬辺りはこけてきているし、首辺りも妙に痩せてきている。←成長に伴う子供っぽい脂肪が減った or 役作りのせい、とも考えられますが。

しかし死亡日の数日前に撮られたというフォト・シュートの写真を見たら、あ~薬やってそうだな…と思わずにはいられない。

特に3枚目くらいの上半身はだけてのけぞってる写真。もうジャンキーにしか見えない。目もちょっとイっちゃってるし。「Dark Blood」の役がヤバくて気味悪い男だったので、そのイメージを踏襲したフォト・シュートなのかもしれないけど、病的なのは一目瞭然だと思う。

薬をやっている人って顔つきが怖く、悪い顔になっていくんですよね。
の〇ピーが捕まる前、ポニョのCMやっていたんですけど、奇妙なテンションでハイな感じ。肌は血の気がないような真っ白さ。顔の輪郭、特にアゴ辺りが尖って見えるほど痩せていて、作り笑顔で笑っているけどスゴイ怖い顔に見えたんです。こんなの子供向けのCMに出したらアカンだろ…って言うのが直感的な私の感想でした。すると数週間後?に彼女は捕まったわけです。薬やっていると分かってたわけではなく、本能的に”何かおかしい”ってのが伝わっていたんですよね。

あと某モデル上がりの俳優さんも、俳優として評価高いし、イケメンで人気もあるし、環境問題にも取り組む会社の経営もしてるとかなんとかで意識高い系からも支持があった。しかし私はどうにもこうにも顔が怖くて、笑う顔も悪魔が笑ってるみたいに見えるし、これまた本能的にヤバい人物だと感じてずっと気味悪かったんですよね。するとコチラも薬物で捕まってしまった。

なんだかそういう怖い顔にする何かが薬物、ハード・ドラッグ系にはある気がします。捕まらないために嘘ばかりついてるからそんな顔になるのかな?でも役者なんて嘘ついてなんぼですからねぇ…。

最近一人、昔はキラキラした顔していたのに、ちょっと嫌な顔になって来たな~という俳優さんがいるんですよね。彼もちょっと痩せてきて、肌は血の気がない白さ。顔も脂肪が取れて尖ってきた。目にも冷たくて悪い色を帯びるようになった気がする。好きな俳優さんだったからお願いだから薬やってないでくれ~って思ってますが…果たして私の思い込みか?動物的直感か?

リバー自身の責任と言われればそれまでかもしれないけど、やっぱりハリウッドという環境が悪すぎると思うんですよね。この年代の俳優は本当にドラッグ問題やアルコール問題を抱えている人が多い。去年亡くなったフレンズのマシュー・ペリーもアルコールを14歳で初めてアル中問題、加えて薬物問題も抱えていた(こちらは痛み止め系から依存になったということだけど、ホントかな?)。彼もリバーと「ジミー/さよならのキスもしてくれない」で共演しているほぼ同年代。ブルック・シールズと結婚していたテニス選手のアガシ(リバーと同い年)でさえクリスタル・メス=覚醒剤をやっていたと自伝に書いていたし。
勧めてくる大人も多いのだろうけど、やることがカッコイイ、やってないとイケてないみたいな空気もあって、スターほどやっておかないと!的な愚かな同調圧力みたいなのがやっぱりあるんだと思う。そして簡単に手に入る環境も。で、結局真剣に業界をクリーンにしようとまではなっていない所に業界の闇がある気がします。こんなに依存問題を抱えて亡くなっている仲間がいるんだし、一般人でも同じ問題を抱えている人がごまんといる。影響力のある有名人たちが、自分のプラットフォームを最大限に活かして#Me Tooみたいなムーブメントをどんどん起こせばいいのに、そこはそれほど目立ってしている印象はない。皆やめたくないんだろうな~と勘繰ってしまいますよね。


結局ハリウッドでの性被害はあったのか?

色々とリバーに関するものをここまで見てきて、最初にコリー・フェルドマンのハリウッドでの児童性虐待告発から持った疑問…

コリーにあったなら、リバー・フェニックスはハリウッドで性虐待に遭っていなかったのか?

というのは、ウ~ン、よくわかりませんでした。
何かしらそういうことがあったら誰かがポロっと言ってそうだけど、そういうのは全く見当たらなかった。煙も立ってないということは火の気もないということかなと。

状況を鑑みると、
➀母アーリン
がテレビ局での秘書の仕事に就いていたこと(業界に詳しくなる)+リバーに稼いで貰わないといけないステージママだったので変な人物が近づくことはさせなかった?
②アーリンがハリウッドに移る前に頼った友人がペニー・マーシャルという女優。ペニーの兄も映画監督のゲイリー・マーシャル。ハリウッド大物の後ろ盾があった?
③エージェントのアイリス・バートンも腕利きの女性。フェルドマンのように変な男がエージェントやアシスタントのポジションに収まるようなことがなかった。

この辺りが運よくリバーを児童性虐待から守った要素ではないか?というのが私が考察する所です。

わかりませんけどね。次の記事でリバーのセクシュアリティについても考察しているのですが、色んなものに興味持ってそうだし、少しくらいのものなら経験として冷静に受け止めて問題にしてなかった…ということだったのかもしれません。


ということでリバーの生育環境と、ハリウッドでの状況、薬物問題など、これまでうっすらとしか知らなかった部分もガッツリと知ることになりました。これが「マイ・プライベート・アイダホ」の演技にどう影響を与えているか?反映されているか?次回の記事ではその辺りを考察していきたいと思います。

次回の記事↓


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