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芸術とは痛みを伴う ~映画『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』~

題は英国の作家オスカー・ワイルドの名言を冒頭に用いた。映画の冒頭に流れた言葉であり、映画で切に感じた言葉だったからだ。右手に痛みが伴おうとも、言葉を2分しか話せずとも、白の鍵盤を血で濡らそうとも、ただひたすらにバッハを表現し続ける男、ジョアン・カルロス・マルティンスの生涯を、美しい音楽と共に追った2時間となった。

最初の妻(?)は、「辞書には芸術の追求により周りが見えなくなる。それは強い欲望だ(曖昧)」と言い残しジョアンの元を離れる。だがその後出会ったカルメンが「それは性的欲求と同じだと同じだと、心理学辞書が言っていたわ」と話す。この考え方の置換に魅了された。

私が言葉を重んじるように、彼らは言葉ではなく音符を、そして静寂を重んじる。静寂を大事にしろと若かりし頃のジョアンに話すレッスンの男性も素敵だと思えた。私も言葉と同様、静寂も大事にしたい。音楽に嗜みたい。強く思うことができた。

冒頭に述べたワイルドの言葉について。私は今のところ、創作を「楽し」んでいる。決して「痛い」と感じたことはない。音楽を嗜む彼らはきっと、痛いけれど、それでも気持ちがよい。否、それが自慰行為のようなものなのだろう。ランナーズハイと似たものだろう。私も時々貪るように文章を書くときがある。常にその域に達したら、どれだれ気持ちがよいのだろうか。

翻訳について。恐らくジョアンたちの公用語はポルトガル語だ。だからその部分は曖昧だが、英語翻訳について疑問を覚えた。翻訳には難しいのかもしれないが、日本語に訳すると、英語本来の美しさが霞んでしまうように思う。いつかそれを感じない作品に出会いたいものだ。私自身も翻訳に少し興味があるので、窓を叩いてみてもいいのかもしれない。

基本的に私は、数多のことを考えながら生きているし、物語を嗜む。しかしこれは音楽映画ということや、言語が日本語や英語ではないことも相まって若干のミステリアスを孕むからか、無心で見入っていた。ジョアンの激情からバッハやピアノに思いを馳せる二時間、大変貴重なものとなった。

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