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借金の苦しさは金額の大きさではない〜人間は感情が欲しい生き物〜

こんばんは。Vinoです。
今日もコツコツnoteをしたためております。
はじめましての方へ。


元旦からnoteはじめて、今日で18日目です。
そろそろ最初の勢いが落ち着いて、何を書こうか考えあぐね始めております。
最近、ダッシュボードの存在を知り、今までのどんな記事がニーズあるのかな??と、見たりするのですが、自分が消化できていない文章は、なかなか目に留まりにくいのかなぁなんて、思いました。

意外と、自分の中では少しウェットというか、エモーショナルな感じの記事の方が、目に留めてくださっている方が多い気がしました。改行を工夫したりして、しばらく見やすさ重視をしていたのですが、実は関係ないのかな?という気もして、戻してみました。

借金返済を加速するために書きはじめたのですが、過去の古い感情はだいぶ消化出来てきた感じがあります。
最近は、その下に隠れていた過去の忘れた記憶や感情が浮かび上がってきているので、今度その時のことを書こうかなぁなんて思っています。

借金生活を振り返り、1番苦しかった時期は、今よりも半額以下の負債を抱えている頃でした。誰にも相談できなくて、一人で抱えて苦しかったなぁって。
周りにバレたらどうしよう、バレて失望されたり、あざけ笑われたらどうしよう、そんなことばかり考えていました。

きっと、理想の自分でありたいと思っていたのだと思います。
自分が勝手に作り上げた理想の自分像に苦しめられていました。
素の自分が嫌いだったのだと思います。
だから、自分の感情も嫌いだし、自分のつたない部分も嫌いだし、もっと良くなろう、良くなろうとしていました。

人前で流暢におしゃべりできる自分になりたい。
ステキな自分になりたい。デキル自分になりたい。

そう思えば思うほど、現在地の素の自分からかけ離れて、自分の中の不協和音が発生してしまい、それをなんとか解消しようとしてきました。
案外、人は、その人のキャラクターがキライなのではなくて、その人の本来の姿と、その人が作り上げた虚像の不協和音に居心地の悪さを本能的に感じるのかなと思います。

もういいや、資金ショートしたら、そのときは、何もかも捨ててイチから人生やり直そうって、いつの頃からか最悪の選択肢も選べるようになりました。
そうしたら、借金に対する肩の力は、以前より抜けたなぁと思います。
Vinoさん、借金返せなくて銀行辞めちゃったんだってって言われても、もういいや、そしたら、また別の人生を生きれば良い。それは、それで一つの人生だなって。もちろん、そうならないように最善の策は練りますが。

誰か一人でもいいから、洗いざらい話せると、心理的に本当に楽です。
味方がいてくれるって大事です。
本当は自分で自分のこと肯定しなきゃいけないのかもしれないけど、誰か一人でもいいから親身になって聴いてくれる人がいるだけで、感情的には楽になる。
普通に暮らせるようになる。負債があっても自分でいられる。

誰かに話すのは、めちゃくちゃ怖いし、嫌われるかもしれないし、もしかしたらドン引きされて、自分から離れていくリスクはあるけど、そのリスクを勇気出して乗り越えられたら、自分への信頼感が戻ってきます。

結局、自分に1番ダメ出ししているのは自分なのだと思います。
正直、借金の金額ではないのですね。多いから苦しいかというと、そうではないというか。借金総額が多い方が返すのに時間は掛かりますが、そこまで借金を膨らませても返済出来ているということは、お金を回す技術も一緒に身についているはずなのですね。
ここから引っ張って来ればいい、こうすれば返済していけるという経験が、自信につながるのだなぁと思いました。
しかし、今年の上半期は、昨年の見通しの甘さにより、例年よりも借金返済に不安が残っています。ちょっとマズイなという感じです。

でも、やるしかない。頭をフル回転させて、お金を生み出す術を考えます。
神さま、教えてください!わたしは、どうやったら上半期、乗り越えられるのでしょうか!


また記事が長くなっちゃった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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