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#41 ジャン=ルイ・トランティニャンが残した言葉・人生を語るフランス語

stand.fmで紹介した言葉と収録内容の概要です。
音声はこちらからどうぞ。 
https://stand.fm/channels/5fafb858c646546590cea001

Youtubeでもお聞き頂けます。



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Et si on essayait d'être heureux, ne serait-ce que pour donner l’exemple.

お手本を示すためだけであっても、幸せになるよう努力できたら。

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詩人、ジャック・プレヴェールの言葉です。
ジャック・プレヴェールの詩は、シンプルな言葉でわかりやすく、読むと映画のシーンのようにイメージが浮かび上がり、同時に人生の奥深さを感じさせてくれるところがとても好きです。

この言葉を初めて知ったのは、先日亡くなった俳優、ジャン=ルイ・トランティニャンが、カンヌ映画際でパルム・ドールを受賞した映画「アムール」の主演男優として、監督のミヒャエル・ハネケに続いて、壇上でスピーチをした時です。

壇上に上がったトランティニャンは、「ジャック・プレヴェールのとても短い詩を言わせてください」と前置きをして、たった一言、この言葉を言ってスピーチを終えました。
数秒で終わった彼のスピーチ。
フランス語自体は理解できるけれど、実際に何を意味するのか、これは個人の解釈による気がして、トランティニャンが発した言葉として、彼の伝えたかったことを考えました。


(トランティニャンのスピーチは1分36秒辺りから始まります)

この時のトランティニャンは、81才でした。
娘で女優のマリー・トランティニャンを夫の暴力で亡くしてから、その後、10年以上映画から遠ざかっていましたが、復帰して主役の一人として出演した映画が、「愛・アムール」でした。
彼は、映画の主人公である夫婦の夫を演じました。
ストーリーは、ある日、奥さんが脳梗塞を患い、徐々に弱っていきます。
夫のトランティニャンは、他人の手を借りず、献身的に世話をし、介護をするのですが、今までのような2人の穏やかで幸せな暮らしができなくなってきます。最後の結末は、これからこの映画を見る人もいるかもしれませんので、お伝えしませんが、深い愛と悲しみに満ちた映画です。

トランティニャンは、自身の人生で、生れて間もない娘さんも病気で失くしています。
映画で演じた妻を失っていく夫の心情と、トランティニャンの2人の娘さんへの深い悲しみが、この言葉の背景にあるのではと感じました。

「人生には、癒えることのない悲しみがあり、二度と完全に幸せになれないとしても、少なくともその努力を生きている限り続けること、そして、それが大切であることを、自身の人生に向き合う姿勢通じて、周りの人に感じてもらえたら」
トランティニャンの言葉から受け取った私なりの解釈です。

20年以上前トランティニャンが夫婦で来日した時、私は奥さんの通訳兼アテンドとして、上司と共にトランティニャンを始め関係者の方々と数日過ごしました。

その時の思い出のひとつですが、盛岡の風情のある古い映画館で、トランティニャンが舞台挨拶をした時、私は客席で奥さんの隣に座ってその姿を見ていました。
挨拶をしている間、トランテニアンさんの視線は、奥さんに最後まで注がれていたこと、その時のまなざしを今でも覚えています。

トランティニャンが亡くなったことは、フランスのメディアでも大きく取り上げられています。noteのフランスのニュースを紹介する記事でも、彼についてのニュースの動画と、トランティニャンとアヌーク・エメが主演したクロード・ルルーシュの「男と女」のワンシーンもアップしています。この映画は、1966年にカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞しています。


また、映画専門のかなりマニアックな番組があって、私は大好きでよく観ているのですが、トランティニャンの特集番組もアップしました。彼が出演した映画のシーンが数多く観ることができます。

トランティニャンは演技だけではなく、その声も称賛されていて、こちらの動画の最後のシーン、「男と女」のワンシーンですが、彼の声をたっぷり味わえます。

トランティニャンさんが、今は天国で2人の娘さんと再会されていることを考えると、彼が亡くなった悲しみが少しは癒える気がします。

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