実践!ポーカーフェイスの作り方
梅雨空で洗濯物がたまるイヤなシーズンとなりましたが、私シーズン野田は、皆様にとってイヤなシーズンにならないように気をつけるばかりではありますが、いきなり小粋な挨拶をかましてイヤな気持ちにしてしまった可能性もあるので、前言撤回です。
ラフテックの動画チームでnoteをつけ始めて一週間。自分は基本的には映像に特化した内容をお届けしようと思います。日々動画を作りながら考えてることなどをまとめて整理し、次なる動画制作に活かせればといければと思います。
さて、皆さんは「セッション」という映画をご存知でしょうか?
https://www.youtube.com/watch?v=v7jEDQlR9BY
ものすごく怒るコーチが、ものすごく怒りながら音楽家を鍛え上げる映画です。自分は映画自体はとても評価しておりますが、この映画が嫌いです。なぜなら、コーチがものすごく怒るからです。怒っている人を見ると笑っちゃうという人もいますが、椅子を投げられて、ビンタされて、笑ってられる人などいるのでしょうか?僕は怒る人が怖くてたまりません。人ならまだしも、クマやチーターだったら殺されています。できれば怒る何者からは距離を置きたいのです。
あの演出家は怒る。という話を聞くだけで、もうすごい嫌な気分になります。
僕の周りには演劇人が数多く存在しており、そういう噂を耳にすることが多々あるのです。
実際に体験したことではないので本当かどうかはわかりかねるものの、お願いだからあまり怒らないでほしいです。
「怒るってことは感情の吐露だから、怒らない人より何を考えているのかがわかって逆にやりやすい」
とほざく人がたまにいますが、そうは全く思いません。
どんなに心の中で自分を馬鹿にしていようが、イラついていようが、ニコニコしてて欲しいです。表層的にニコニコ笑っていてくれればいいです。
宮崎駿がドキュメンタリーで怒っているのを見ましたが、怒ってまでアニメなんか作るなよって思うのです。どんな良作や傑作が誕生してもです。
ポニョポニョと、ラピュラピュと笑いながら作って欲しい。
もし何かしらで自分を気に入らないのなら、もう二度と使ってくれなくて結構です。「ああしろこうしろ!」と怒りながら結局舞台に上げてくれるのなら、気持ちよくやらせてくれよと思います。
怒って舞台から下されるのならまだいいです。
どうせ上げるんでしょ?なら怒らないでよ。
あ、でも、どうせ下ろすなら怒らないでくれよ、とも思います。
結局怒らないで欲しいのです。
自分はもう本当に怒られるとダメです。
怒鳴られたり、小突かれたりするだけで思考が停止し「とにかく怒られないようにしよう」という目的にすり変わっています。
いい作品を作るためにそこに存在しているのにもかかわらず、怒られないように日々が過ぎるのをただ待つばかりになるのです。
こういった悪循環が日大のタックル問題のような悲劇を引き起こすのです。
しかしながら、こんなにもこんなにも怒られることがいやなのに、自分は本当によく怒られます。 これまでいろんな怒られ方をしてきました。もちろん全部自分に非のあることばかりなのですが。
ですのでなるべく怒られても顔に出さないようにしてきました。ポーカーフェイスというやつです。なんら気にしてないという余所行きの顔にするのです。嫌な感情を顔に出すと、また怒られかねないし、周囲にも気を使わせてしまうからです。
これには訓練が必要ですが、基本的には以下のような考え方をベースに実践します。
例えば、蜷川幸雄は灰皿を投げて来ました。
普通なら「怒るから灰皿を投げる」と考えます。
しかし自分は違います。
「灰皿を投げるために怒る」と考えるのです。
蜷川幸雄は灰皿を投げるのがもともと好きで、その行動を肯定するためにさも怒ったふりして投げている、と。
こう考えているうちに、怒られても顔に出なくなりました。
ただこれがまた誤解を生み始めました。周囲から「ハートが強い」と勘違いされ始めたのです。「ハートが強いこの人にならある程度怒ってもいいだろう」とさらに周囲を怒らせる悪循環に陥りました。誤算です。世紀の大誤算です。
目先の「怒られ」が嫌なせいで、余計に怒られる人生に自分で仕立ててしまったのです。
自分は、本来なら褒められて伸びるタイプです。
1浪の時、美術予備校の講師によく怒られてました。
講師の期待だったと思うのですが、そのせいで筆が持てなくなりました。
ただカンバスに向かってなにもせず、時間が過ぎるのを待つばかり。
しかし、2浪目で予備校も科も変え、優しい講師がいる環境に移った時、ぐんぐんと表現力が上がりました。
1浪目の反動だったのかもしれませんが、身をもって褒められて伸びるタイプだと実感したのです。
萎縮するとなにもいいことなんてありません。
ですからあの演出家は怖いとかを噂レベルでも耳にするだけで「演劇」とか「映画」とか表現全体に対して、とても憂いを抱くのです。
先にも言った「セッション」もまた、端的に言うと「怒られ」がテーマになっていました。
「怒られてやめる奴は、最初からやめるやつだ」という名言もありましたが、僕は違うと思っています。
優しくすればもっともっと伸びるよって話なのです。
優しくしたことでスポイルされるなら、表現がつまらなくなるならその程度のやつなのです。
優しくしまくればいい。
僕はそう思っています。
言いたいことがあるなら、優しく、比喩的に言ってあげてください。
夏目漱石がアイラブユーを「月が綺麗ですね」に置き換えたという逸話がありますが、
そういうことです。怒ってどうにか相手を支配するなどというのは、考えることの放棄です。
ということで、今回のnoteの内容が、全く映像と関係のない話になってしまったことも、どうか怒らないでください。
普段どれだけ動画制作しながら怒られることへの恐怖と戦っているのかがわかっていただければ幸いです。
じゃあの。じゃあのだ。
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