タイトル_01

囃(はや)されても踊れない

お世話になります。てっぺいです。

Amazonプライムビデオ見放題に『ラ・ラ・ランド』字幕・吹替版が追加されましたね。

あれほど話題になった作品ですが、いつか観たいと思いながら2年近く経ってしまいました。いつか観ます。

ミュージカル映画の話になると「いきなり歌って踊るなんてリアリティがない!」と、したり顔で語り出すタモリフォロワーがたまにいますが、むしろ、芸術作品の中で、感情高揚の表現として「歌って踊る」というのは、至極まっとうだと思います。

ダンサーって本当凄い。
身体の所作だけで美を生み出せるなんてほとんど神に等しい行為です。
あんな風に華麗に踊れたら素敵だなという憧れはありますが、僕は踊るのがとにかく苦手です。踊るのが恥ずかしいです。
誰かが、さあ踊ろうと手を差し伸べてくれても、照れて俯いて小さく首を横に振ってしまいます。
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーvol.1のガモーラのような消極性です。

正直、「踊る=恥ずかしい」という考えは圧倒的多数派で、なんだったらデフォルトで現代人に備わっている機能ぐらいに思っていましたが、最近はそういうことでもなさそうです。
現に、若年層に圧倒的人気を誇るショートビデオプラットフォームTik Tokでも、小中高生達が男女関わらずみんな当たり前のように踊ることを楽しんでいます。

TikTokがmusical.lyと統合されるというニュースにも驚きました。
これで、若者の踊ることへの抵抗はさらになくなりそうですね。

もしも僕が今、高校生だったら、
クラスメイトに「TikTokだよ!さあ踊って!」とスマホを向けられて、踊らないとノリ悪いやつの烙印を押され、無理して踊ればノリきれてない痛々しい姿が全世界へ配信される。
そんなTikTokハラスメントに苦しみながら学園生活を送る姿が目に浮かびます。

なぜ踊るのが恥ずかしいのか考えてみると、僕は動きを合わせるのが苦手で、音楽に合わせて、周りに合わせて、同じように動く事が出来ないんだと思います。

まぁ踊らなくても生きていけますから別にいいんですが、
根っこにある“踊れない性分”というのが、厄介なんです。

文字通りダンスするということ以外にも、精神的に踊れない場面が今まで何度もありました。
・「まさか〇〇しないよね?」というダチョウ倶楽部的なフリをされて、本当に何もしない
・飲み会で一気コールをされると、一口だけ飲んでグラスを置く
・修学旅行の好きな人発表会で、頑なに口を閉ざす
・「押」と書いてあるドアを見ると、本当かどうか一回、引いてみる
・みんなで浴衣を着て花火大会に行こう!というイベントに、オーバーオールでいく
などなど、数えたらきりがありません。

僕はとにかくノリが悪い人間なのです。
誰かに囃(はや)したてられると、その逆の行動をやってしまう。

敬愛する落語家・立川談志は生前、弟子たちに「芸人は、囃されたら、踊れ」と言っていたそうです。
乗せられるんだったら乗っかってやれ。ということですよね。

人が喜んでくれるなら、望まれた通りに振る舞うのも優しさですよね。

はたしてクリエイターにとっての「囃す者」とは誰を指すのでしょうか。
観客なのか、トレンドなのか、クライアントなのか。

天邪鬼な性質を変えれないとしても、囃す者に乗っかった上、クリエイティブの中身で天邪鬼さを発揮して「そう来たか!」と相手に思わせることも全然出来ますよね。そうなろう。

囃されたら踊れる人間を目指します。




天邪鬼な俺は人の意見に従うことはできないぜ!という自意識を匂わせる鼻持ちならない駄文でした。
本当はリズム感がないから踊れないだけです。

次は読んだ人の人生が華やかになるような訓示のあるブログにします。
いつもすいません。

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