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見送って12年

一昨年投稿した記事が5回シェアされたと、先日お知らせがありました。
少しでもどなたかの参考になったり、元気に繋がったりすれば幸いです。
その続きで書いた「私は可哀想じゃない」という言葉は、亡くなった方からのメッセージです。

今日は父の命日です。
もう12年も経ってしまいました。
光陰矢の如し
なんて言葉が、ひさしぶりに浮かびます。

東北の震災が起こった時はまだ四十九日前で、家にお骨がありました。
原発事故も含めて、日本全体に不穏な空気が広がり、輪番停電で真っ暗になった時でも、なぜかお骨があることでホっとしたのを覚えています。
白い布で包まれた箱があると、不思議と父に守られているような感じがしたものです。
震災でご家族を亡くされた方々と、同じ歳月を思っていくんだなぁと、思いました。

あの日は普通に仕事をして、家に帰る途中に電話があり、入院している病院に駆け付けましたが、バスで向かっている途中に父の笑顔が突然脳裏に浮かんで、もう逝っちゃったんだ、とわかりました。
それから病院に行って母と、父の側で過ごしたあと、葬儀屋さんを決めて、夜中の0時過ぎに葬儀社でお葬式のプランを決めているというシュールさ。
家に帰ったのは、午前2時過ぎていました。

遺体を病院から運びだすとき、エレベーターの前で整列して見送ってくださった医療者の方々、遺体を車に乗せた後深々と礼をして下さった(それが決まりだったとしても)葬儀社の方々、お通夜で手を合わせてくれた身内に対してすら、有難いという思いが沸いてきたのは自分でも驚きました。
そして、人が人としてリスペクトされて見送られるということが、どれだけ慰めになるかということを初めて知りました。
逆にいえば、災害や事故、戦争などで遺体が見つからないということが、身内にとってどれだけ辛いだろうか、ということも思います。

確か1周忌の法要のときに来てくださったお坊さんが、けっこう若手のイケメンで、それよりなにより、読経の声が素晴らしかったのがいまだに忘れられません。
お経を聞いて「終わらないでくれ~!」と思ったのは初めてでした。
目をつぶって聞いていると、祭壇とお坊さんのまわりに光が降ってくるようで、ドーン!ドーン!と光の柱が立っていくイメージが浮かびました。
よくスピリチュアル系の人が「光の柱を立てる」みたいなことを言ったりするのを聞くと、なんとなく「けっ」と思ってたんですけど(自分もじゅうぶんスピリチュアル系統の人間だと思うけど)、こういうことか~?!!と思ったことでした。

考えてみたら、絵や写真が好き、外国や外国語が好き、霊的なことに興味があるなんてところも、私は父から受け継いでいます。生きているときはあまり話をしなかったですが、きっと話は合ったのかもしれないなあと思います。

今日はスーパーで買ったお花(見出しの写真)と和菓子をお供えしました。
もうちょっとちゃんとしたお店で買いたかったけど、それも家らしくていいかな、と。



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