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魂のことと、亡くなった人との繋がり

ここ数年、ずっと思っていることがあります。
そろそろみんな、死生観を変えてもいい時なんじゃないかなぁ、と。

生まれて、生きて、死んで終わり。
と、本当にそう思っているのかな?
今ここに生きていることは大事なことだけど、魂の旅路はそんなに短くはない。

そういったことは、以前から話のなかに織り交ぜて発信はしているけど
あまりちゃんと書いたことはないかもしれません。
だから少し勇気がいりますが、もし誰かの気持ちが楽になったらいいな、という思いで書きます。

今日はとても霊的な話です。
亡くなった方は空の上から見守ってますよ、というようなふわふわした話ではありません。
故人との通信についてもご紹介します。
スピリチュアルな話が苦手な方、状況によってはこういった話を不快に思われる方もいらっしゃるかもしれません。そういう場合は、スルーしてくださいね。

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これまでに何度も書いていますが、2018年3月に高齢の母を見送りました。
数ヶ月経ったくらいに、セラピストをしている友人のところにセッションを受けに行きました。

いろいろ話しをしているなかで彼女は、「お母さんが来ているみたい」と言いました。
別の時期に彼女のセッションを受けた時にも、私が以前ずっとお世話になっていたヒーラーの女性(故人)が来ている、と言われた事があったので、そういうことはすんなり受け入れることができました。

「ちょっと若い時みたいで、目が印象的」と聞いて、それは確かに母だろうと思いました。そして、「生きていた頃には見たこともないくらいの笑顔」だと聞いて、心の底からホっとしたのです。「ああ、元気なんだ。よかった」と。
家に帰ってから母の50代くらいの時の写真を送って見てもらうと、やはりそうだということでした。

私はあまり霊感が強いわけではないので、なにかが見えるとか、そういうことはありません。金縛りにもほぼあったことはありません。
とても怖がりでホラー映画もダメだし、怪談話もつい聞いてしまうと、あとで眠れなくなったりしていました。

ただ、若い時から、まわりに霊感や霊能力がある人がいることが多く、派遣スタッフとしていろいろな職場に行くと、行く先々で同僚に霊能力のある人がいて、いろいろな話を聞かされてきました。

日本人はもともと、魂とか輪廻転生とか、そういったことを受け入れやすいと思います。「海が好きだから、前世は魚だった」みたいな冗談を言ったりもできる。

でもそういう、ふんわりとした感じではなく、もっとはっきりとした事実として、肉眼で見えない存在と交信できる知り合いが増えたのが、ちょうど2000年あたりでした。
その頃から、そういった能力が開花する人が増えたのだと思います。

以前は、霊的な話には「怖さ」がつきまとっていましたが、今は違います。
「現実」と思われている今のほうが「幻想」で、来て戻っていく世界が本当なのだろう、という感覚です。

以前「頑張っても頑張らなくてもどちらでもいいという話」にも書きましたが、だからここ、地上には経験をしに来ているということのようです。

亡くなってからも魂は続いているという説を受け入れたとしても、大切な人が地上からいなくなった悲しみや寂しさが無くなるわけではありません。その感情自体も経験のひとつではありますが。

それとこれとは次元の違う話で、悲しいものは悲しいし、私には想像もできないくらい壮絶な経験をされて、どうしたって許せないことはあるし、受け入れられないという人も多くいると思います。

ただ、やはり亡くなった人の魂は続いている。
あちらに還った後は、カウンセリングを受けて、次の学びをどうするかを決める、という話を聞きました。
もっと言えば、大病など特に大変な経験をされた魂は、まずリハビリステーションのような場所に行ってヒーリングをしてもらえるそうです。
(私たちが想像するような雲のような場所ではなく、ずっとハイテク(って死語?)で進んだところのようです)

この辺りは、信じる信じないはご自由に。
死んでみたらわかる(思い出す)と思うので(笑)。

大切な人を見送った後、ああしておけばよかったとか、あんなこと言わなければとか、あの時苦しかったんじゃないだろうかとか、今となっては考えても仕方のないことを、つい考えて悲しくなることがあると思います。

私も、母が意識のあった最後の晩はそばにいなかったけれど、苦しかったのではないだろうか、もっと面会時間ぎりぎりまでいてあげればよかったと思い出しては辛くなっていました。

そんなときに読んで救われたのは、ネット上で長年繋がってきた友人で、エンジェルライトワーカー、チャネラーのKeikoさんのミディアムシップの記事でした。ちょうど母を見送った数日後にアップされたのです。
ミディアムシップとは亡くなった方とコンタクトを取ることです。

この記事に、「亡くなる時に肉体的に大きな痛みや苦しみがあったり、期間が長かったりした場合、地上にいる私達はその姿を思い出しいつまでも悲しむことがあります。しかし言うまでもないことですが、天国にいる人達は皆、肉体の痛みからは解放されています。」
と書かれています。

そう、もう肉体を持っていないので解放されて、元気なんです。
そのことを思い出すこと、知ることは、残された人にとって大きな癒しになります。
「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません」という歌詞は本当のことだと思っています。

リンクを貼った記事は2018年のものなので、いまのKeikoさんのブログとプロフィールはこちらです。

インスタグラムもご紹介しておきます。興味がある方は行ってみてください。

前述のお世話になっていたヒーラーの女性がまだ健在だった頃、私の父の病気がわかったことを話していて、「母方の亡くなった誰かがサポートに来ている」と言われました。実家から誰かがサポートに来る場合、それは通常配偶者の終末期なのだそうです。

私はそれを聞いたとき、母方の祖母だと思いました。
子供の頃、毎年夏休みに栃木の母の実家、祖母が一人で住んでいる家に泊まりで遊びに行きました。
私はその家も祖母も大好きで、毎年楽しみにしていたし、祖母も私のことを可愛がってくれていました。

その「実家の誰か」は、私を通して母をサポートしている、ということでした。それを聞いて、有り難くて有り難くて涙が止まりませんでした。いまでも思い出すと祖母の愛を感じて、泣けて仕方なくなります。

そうやって、縁のある魂とは繋がっていきます。

だとしても、いまのこの姿、この人生は一度きりで、誰かとの今の繋がり方も一度だけです。だから、次もあるということではなく、いまのいのちをどう生かして行くのかが大切なのだと思っています。

なにより、向こうに帰って大切な人たちとまた会った時、やり切ってきたよ!と胸をはって報告したいと、そんなことを思うのでした。


書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。