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ミラノのヨガ道場で眠る

トリノに住んでいるイタリア人ペンフレンドEと一緒に、1日ミラノの観光をしたことがある。

ドゥオーモ(大聖堂。町で一番重要な教会のこと)の上まで登ったり、ブレラ美術館に行ったり、レオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」を見に行ったりした。

特に「最後の晩餐」のあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、おそらく今よりもずっと気軽にすんなり入れて、その部屋(食堂)に入って、なにげなく壁を見たら、無造作に(というのは的確な言葉じゃないけれどそんな感じ)「最後の晩餐」があって、びっくりした。もっと「ジャーン!」というふうに物々しくあるのかと思ったが、本当にただ壁に描いてあるんだ、という印象だった。2度目に行った時は、もう少し入場するのがややこしくなっていたので、今はもっと変わっているのだろう。

その日はEの日本人の友達のお家にお邪魔して、泊めていただくことになっていた。確か大聖堂のすぐ裏手の建物で、行ってみたらそこはヨガの道場をされているところだった。

1993年のことなので、今はどうされているのかわからない。あまり詳しくは書かないほうがいいのかもしれないけれど、イタリア人も出入りしていて、こんなところにヨガ道場があるのかと、驚いた。

トリノのEに会いに行く前は、別のイタリア人ペンフレンドの家に数日泊まらせてもらっていて、日本を出てからすでに1週間くらい日本語を喋っていなかった。だから、その道場主の方やそこに出入りしていたミラノ在住の日本人女性などと日本語で話した時は、本当に全身の力がふうーっと抜けた。
それは、お風呂に入った時に身体がほぐれていくのと同じような感覚で、その時初めて、自分がどれほど緊張していたのかがわかった。外国語だけの環境で緊張するから、血流が悪くなるのかもしれない。日本語を聞くだけで身体がほぐれる感覚は初めてだった。

道場は20畳くらい、いやもっとだったかもしれないが、天井が高くて、とても気持ちのいいところだった。お香が焚かれていて、エンヤがかかっている。大聖堂の鐘も聞こえてくる。

私は一人でその道場に寝かせてもらうことになった。

壁には「Silenzio(静かに)」と書いた紙がさりげなく貼られている。

窓からは大聖堂の尖塔、夜のミラノの街の灯が見えて、たぶん、ざわめきや車の音も聞こえたのではないか。

でも、その部屋はとにかく静かで、おそらくイタリアに来て初めて、ぐっすり眠れたのだと思う。

ミラノは都会で買い物には便利だけれど、ブランド物などにはあまり興味がないので、できれば素通りしたい街。だから、ミラノの思い出はやはり、あの静かな道場の夜が一番かもしれない。

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Photo by KAORI K.(photofran)
*photoshopでちょっと加工してみました。加工は邪道だと思ってやらなかったけれど。

書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。