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パリの朝食

ロンドンに続きパリの朝食も、あらためて描いてみました。
2020年に左の画帖の絵はnoteにアップしていて、エッセイも書いていますので、ここに再掲してみます。


カルチェラタン辺りにあったその一つ星の宿は、セーヌ川添いの道から少し内側に入った通りにあった。
入り口も部屋の感じも、もうぼんやりとした映像しか思い出せない。
「地球の歩き方」に載っていたのを見て、飛び込みで行ったのだと思う。

覚えているのは、バゲットとカフェオレの朝ごはん。

コーヒーとミルクが別々に出てきて、
両手で持って、同時にカップに注ぐ。
バゲットはちぎって、バターを中に塗りつけるようにして齧った。
たぶん、まわりの泊まり客が皆そうしていて、真似したのだと思う。

パリにいる数日、毎朝そんなふうに朝ごはんを食べていると
その食べ方とその場の空気に慣れてきて、
自分がパリという町に馴染んでいくような気分になった。
卒業論文がフランス革命だったので、歴史的な思い入れもあると同時に、多くの日本人女性同様、かなりミーハー的にパリに憧れがあったのだと思う。

次に行く時はフィルムではなくデジカメでいろんなものを撮りたいし、
カフェの朝ごはんにも行ってみたい。
今年行く予定だったが、今度はいつ行けるだろうか。
その時を楽しみに、記憶の中を掘り起こしながら綴っている。


北部のノルマンディー地方のディエップという港が初めてフランスの土地に足を踏み入れた場所で、上陸したのが夜中の3時くらい。
そこからおそらく人の流れについていくように列車に乗り換え、朝の7時にパリに着きました。
日記を見返すと、サンラザール駅に到着してから地下鉄に乗り換え、リヨン駅構内のスタンドで初めて、カフェオレとクロワッサンを立ったまま食べました。
これは以前noteにも書いています。

80年代、パリのフランス人は英語を決して話さない、感じが悪いというのが有名で、その朝ごはんを食べたスタンドで最初の洗礼を受けたのでした。
本当に英語を話さないし(話せないのか話さないのか)、小銭がなくてお札で払おうとして拒否されて、ものすごく感じが悪かったのです。
噂にたがわずといったところでしたが、カフェオレもクロワッサンも感動的に美味しかったので(初めてフランスで食べたからだと思う)、そんなことはどうでもよくなりました。

地下鉄でリヨン駅へ移動中、ルーブル駅など、魅力的な駅名が並び、降りて観光したくて堪らなかったけど、そのまま特急でスイスへ抜けてしまいました。
パリに戻ったのは、約3週間後。
最後の滞在地で、一つ星の安宿に泊まったのでした。

フランス人は、フランス語を守るために英語を話さない、といった記憶があるのですが(もちろん良いホテルなどは別)、観光客にはやはり評判が悪くて、その後徐々に英語で対応するようになったのではなかったかと思います。

1996年にふたたび行った時は、現地に駐在していた元同僚にホテルを取ってもらいました。
前回とは打って変わって16区の3ツ星ホテル。
ここでの朝ごはんはまったく記憶にありません。おそらく同じようにバゲットとカフェオレや紅茶ではなかったかな。
こじんまりしたところでしたが、受付の女性が英語を話してとても感じがいいので驚いた記憶が。
変われば変わるもの。
日本人は魚を生で食べると聞いて、生魚を頭から齧るようなことを想像して顔をしかめていたというフランス人が、いまや寿司やラーメンが好き。
日本のアイドルが好きで来日するフランス人男性なんかをテレビで見ると、人種が変わったのかと、くらくらします。

***
のんきに朝ごはんのことなんて書いてますが、パリやフランス各地で暴動がおこっているようですね。
でもそれはそれとして、楽しい気分になることのほうへフォーカスしたいと思います。

書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。