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人生の目的はどこかに到達することではなかったのだ。

どこかに到達すること、何かを成すことが人生の目的ではない、ということが腑に落ちたのは先月のことでした。
そんな言葉はこれまでに何度も聞いた気はするけど、腑に落ちたのは初めてだったかもしれません。

振り返ると、いろんなことをやってきたなと思います。
興味を持ったらやってみたくなるタチなので、やってみたい、やれそうと思えることはやってきました。
小学生のころから少女漫画を描いていて(全国あちこちに会員がいたこともある漫研を友人たちと主宰)、エレクトーンやブランスバンドもやったし、大学では精神的なものに惹かれて武道をやりました。

大学で漫画を描くのをやめたのは、現実の生活のほうが面白くなったのと、絵がうまく描けなくて自分の絵が気に入らなくなったから。

社会人になってからはなかなか情熱を注げるものが見つからず、フラストレーションを長いこと抱えていました。
再びエレクトーンを習いに行ったけれど、講師や奏者になるのは違うとすぐにわかりました。

美術はずっと好きで、美術館にはよく行きました。遠目で見ても、あれは誰それの絵かな、とわかるくらいにはなっていました。
見るのは好きでも、じっくりデッサンを習おうとかそんなことは面倒で、でも絵が描ける人が羨ましかったような気がします。

写真を見るのも好きで、写真のポストカードのコーナーはよく立ち寄って、気に入ったものを買ったりしていました。
絵を描くよりも、写真は自分のイメージを表現するのに手っ取り早いということにも惹かれて、父の古い一眼レフを手にして写真専門学校の、週1の社会人向けの講座に通い始めたのは1992年でした。

その後イタリアに行きはじめ、イタリアに関する活動も何かしら続けていました。

子供の頃からずっと生き辛さのようなものを抱えていたので(でも辛さと同化しすぎて自覚がなかった)、精神世界のことに興味を持ったり、様々なセラピーを体験したり、色彩心理やアートセラピー、アロマテラピーなど、メンタルケアをいろいろと学んできました。

心理学をちゃんと学ばなかったのは不思議で、学ぼうとした時もなかなか頭に入らない自分がいてやめました。多分、それはやることが違ったのでしょう。

学んだことを生かして、講座をしたり、ワークショプを主宰していたこともありましたが、数年前から全て休止しています。

そうしていろいろと自分の道を探したり経験してきて、振り返って思ったのは、
私は結局、何かに成ったのか?
ということ。

昔からずっと何かになろうとしていて、何にもなれなくて自分はだめなんだと思っていました。
何か、というのは例えば、社会でちゃんと「私は○○(職種)です」と言えるような人。

メンタルケアとか精神世界とか、そういったものを学んで、「何かになる必要はなく、ありのままの自分を肯定するといったことが大事」だと解った後も、やっぱり無意識に何かになろうとか、何かを達成しようとか、ゴールのようなものに辿り着こうとしてきたかもしれません。

そうこうするうちに「いつかなりたい、いつかやりたい」と思っている場合ではない年代になってきました。

で、先月、ときどき聞いているyoutuberさんの話をなんとなく流していた時、わかったんですね。

何かを形にすることや、どこかに辿り着くことが重要でも目的でもないんだと。

そうではなくて、その瞬間瞬間で何かに夢中になって没頭している自分、そういう自分そのものを創造することが、ここにいる目的だったんだとわかりました。

そうなると、過去いろいろなことをやってきた自分がOKになりました。

あれもこれも、中途半端になってしまったなと思うことも多いですが、もういいと思えるまでやっていた。そのやっていた自分がもう到達点でした。
やってみて、それを味わうことで目的は果たしていたのですね。

大切なのは、やっていて本当に幸せに感じることだったのかどうか。
誰かや何かに認められようとして、または、好きでもないけどやったら役に立つかな?という程度ではなかったか。
妥協や、社会に合わせてやっていたことも多々あったかも。
それはそれで、本当の幸せには繋がらなかったけど、多少の経験の引き出しにはなったと思います。

これからは、今までの枠をもっともっと外していったら面白いかもしれない。

以前の記事にも書いたけれど、体験にお金を払うことを重視してきたから、物を買うことを結構我慢してきたところがあります。
だからもっとトキメク物を持ってもいいと思うし、いっそ服装もがらっと変えてしまうのも面白いかも?!おばあさんになる前に(笑)。
いや、かっこいいおばあさんというのも憧れますね。

書いていたらなんだか楽しくなってきたので、どんな感じが今好きなものなのか考えてみたいと思います。

今日の首都圏、雪がけっこう積もりました。
雪の白は、すっきりと何かをリセットしてくれそうです。
本当の2022年がスタートする節分まで、今年の自分についてイメージしてみようと思います。

書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。