普通の人

時々、楽しいことも悲しいことも起こるけどだいたい誤差のうち。 数少ないエピソードしか持…

普通の人

時々、楽しいことも悲しいことも起こるけどだいたい誤差のうち。 数少ないエピソードしか持ち合わせていないのに、それでもどんどん忘れていく。 思い出せるうちに思い出しておく自分勝手な回顧録。

最近の記事

事実と小説、事件と事故は似て非なる

目が覚めたら病院のベッドの上にいた。 こんなことって本当に現実にあるものなんだと思う暇もなく、「ここはどこですか?」とすっとぼけたセリフをはいた後に、急に襲ってくる吐き気。 「気持ち悪いです!」とうったえると、看護婦さんは慌ててプラスチックのおもちゃのバケツのようなもの持ってきて思う存分吐かせてくれた。 吐き気が少し収まった頃に、「自分の名前と住所はわかりますか?」と、まるで子供にするような質問を浴びせる医師。そんな簡単なことわかるに決まってるだろうと、もう10年以上も

    • 春の日差し

      「暖かな春の日差しを浴びて私たちは今日○○中学校に入学します。」 もう20年以上前のワンフレーズなのだが、今でも鮮明に覚えている。そう、これは私が中学校入学式の日に新入生代表で挨拶をした時の最初の出だしだ。 普通が一番、みんなと一緒は安心する、と常々思っていた小学生時代。私のそんな密かな願望はなかなか思い通りにはいかなかった。端的にいうと、当時、私はわりと勉強ができた。学級委員や生徒会役員に推薦されることはしばしばあったし、何より大人受けのいい良い子だったと思う。一歩間違

      • 丁寧に生きるとは

        過去を忘れたくなくて、回顧録という形ではじめたNOTE。 たいしておもしろいこともびっくりするようなことも起こらない人生だったから、あっという間に終わると思っていたけれど、そうは問屋がおろさないわけでありまして。 仕事が忙しかったり、父が入院したり、コロナが大爆発してたり、地震があったり、季節の変わり目だったり、まぁ過去を振り返る心の余裕がなくて、しばらく放置してました。 気が付けば2021年になっていて、もうすぐ春ですねって感じなんですけど、今年の抱負というか目標は、

        • 理由

           私の母は、"みんなと違うことは素晴らしいと信じてやまない人”だったというのは95%本当だけど5%くらい盛っている。母が、"よそはよそ、うちはうち"と私に言って聞かせた理由がうちの家族にはあった。 私のうちは6人家族。4人の子供と父と母。母は働いていなかったけど、何年かに1回は海外旅行に行けるくらいの稼ぎが父にはあったから、きっと裕福ではなかったけど貧乏でもなかったと思う。 でも、とりあえず、ケチだった。 節約家といえば聞こえがいいのはわかっているのだけれど、なんていう

        事実と小説、事件と事故は似て非なる

          欲しかったもの

           小学生というのは恐ろしく残酷な生き物だ。人より少し前歯が出てればあだ名は出っ歯だし、家の外観が少し古ぼけていればあだ名は貧乏だし、ちょっと足が短ければあだ名は胴長だ。 そんな地獄みたいな世界でも、私の母の”みんなと違うのは素晴らしい教”は続いた。 絵の具セット、リコーダー、彫刻刀セット・・・小学生は定期的にそういう類のものを買う必要がある。当時は、学校からパンフレットと、申込書と現金を入れる封筒が一緒になったものを渡されて、買いたいものに丸つけてお金を一緒に持ってきてねと

          欲しかったもの

          母の手作り

           私の母親は専業主婦だった。料理も裁縫もピアノも字を書くのも上手だった。夕飯にスーパーで買ってきたお惣菜が出たことはなかったし、手作りのおやつもよく作ってくれた。ピアノをひいて歌を教えてくれた。 だけど私は、 遠足の時に持たされるクレープのお弁当が嫌だった。サランラップに包まれたクレープと、クレープに巻くための生野菜とツナ、生クリームで和えられたフルーツ(確かこれは冷凍してあった気がする)の入ったタッパーを母は私にニコニコしながら渡してくれた。私は、おにぎりと卵焼きとウイ

          母の手作り

          魚の色

           ある時、幼稚園のイベントで図画工作展があった。市内の幼稚園や小学校に通う生徒の作品を、市民センターとかに飾って眺めるイベントだ。私が通っていた幼稚園のその時の出展のお題は、幼稚園が、どっかからもらってきたスポンジの端材を好きに使って、お魚の形を作るものだった。私は、せっせとグレーのスポンジを集めて、お魚を作った。スポンジなので、魚の光沢感がでないのは残念だが、全面グレーの魚らしい魚ができあがった。それなのに、本当にこれでいいのかと幼稚園の先生に何度も何度も確認された。私の家

          誤差

           これから先に綴られる文字は、一人の人間がただただ生きてきた軌跡であり、寝ても覚めても上にも下にもピークはない。過ぎてきた時間を繋いだだけの文字の羅列である。だって私は、平凡な人生という直線からはみ出さないように、誤差が大きくならないように、そうやってずっと生きてきた。  平凡な人間の考えることは、びっくりするぐらい平凡である。なので、その期待を裏切らず、まぁまずは幼少の頃の話をしようと思う。 私が幼稚園生だった頃、外で遊ぶ時間はいつもジャングルジムの塗装をはがして遊んで