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母の手作り

 私の母親は専業主婦だった。料理も裁縫もピアノも字を書くのも上手だった。夕飯にスーパーで買ってきたお惣菜が出たことはなかったし、手作りのおやつもよく作ってくれた。ピアノをひいて歌を教えてくれた。

だけど私は、

遠足の時に持たされるクレープのお弁当が嫌だった。サランラップに包まれたクレープと、クレープに巻くための生野菜とツナ、生クリームで和えられたフルーツ(確かこれは冷凍してあった気がする)の入ったタッパーを母は私にニコニコしながら渡してくれた。私は、おにぎりと卵焼きとウインナーのお弁当がよかったのに。

ギンガムチェックの手作りの幼稚園バッグが嫌だった。洗濯してくれてベランダに干してあるバッグを見るのも嫌だった。私は、黄色い長方形のマチたっぷりで安全丸出しの市販のバッグがよかったのに。

でも、そんなこと母親には言えなかった。私は4人兄弟姉妹で、特段裕福ではなかったこともあるし、クレープ弁当や手作りバッグも、一つ上の姉が喜んで受け入れていたからだ。私は、本当はみんなと同じがいいという気持ちを封印して、じっと耐えるしかなかった。

「よそはよそ、うちはうち」と、呪文のように言って聞かせる母親にむかって、みんなと同じがいいとは言いだせない状況、それは私が小学生高学年になるまでずっと続いていくことになる。

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