ある日私は障碍者になった~(9)交流分析の視点から・ストロークについて
昔、主治医から教材として与えて頂いた本と、その内容に関連した「メンター養成講座」で学んだことを振り返りながら今の自分を検証してみたいと思います。
『交流分析のすすめ』杉田峰康 著
この第5章にストロークについて書かれています。交流分析を提唱したのはエリック・バーンというカナダの精神科医です。
ストロークについて
言葉でほめたり、目で同意を示すと言った動作や、もっと広く「私は、あなたがそこにいるのを気づいていますよ」と、相手の存在や価値を認めるようなさまざまの刺激をストロークと呼びます。(79頁より引用)
ストロークには[①スキンシップ、②言葉による心のふれあい、③態度による心のふれあい]この3つがあります。
それがさらに細かく分類されていきます。
A 肯定的ストローク/否定的ストローク
B 条件つきストローク/無条件のストローク
例えば…(私がいま勝手に思いついた)
例)政治家が選挙活動のときに有権者と「握手」をしてまわるのは、肯定的な身体的ストロークであり、人間関係の距離を縮めて親しみをもってもらおうという戦略的意図があるのかなと推測できます。
例)小泉今日子さんの「あなたに会えてよかった」という曲がありますが、これは、あなたという存在に対して無条件に肯定的ストロークを与えているともとれます。存在自体が全面的にOKだというメッセージ。
そういえば、「あなたに会えてよかった」と感謝している方々に私は言葉にしてそれを伝えていないな、とも気づきました。思っているだけじゃ伝わらないこと、言葉にして伝えねば。自分から肯定的なストロークを発することも豊かな人間関係の構築には大切なのです。
※余談(…作曲は小林武史さんだったとは。先日ご逝去された田村正和さんの在りし日のお姿もあるのでこのYouTubeを貼ってみました)。
人は誰しも認められたいという感情を少なからず持って生きていると思います。しかし、いつも肯定的なストロークが得られるとは限りません。自分の存在を気にとめて欲しいがために否定的なストロークでも構わないから何かしらの反応が欲しくて、極端な行動にでた私の失敗談を次に検証します。
#あの失敗があったから
私の失敗を数えだしたらキリがないのですが、まずは1つだけ。
私が心のバランスを崩して倒れてからというもの、休職中も復職した後も職場仲間から距離を置かれるようになりました。それが「そっとしておこう」という優しい気遣いなのか、「関わりたくない」というサインなのか未熟な私には判断がつきませんでした。
どうしたらいいのかわからなくなって相談のメールを乱打しても1つも返信がありません。もう「見捨てられ不安」のどん底です。私のなかでストロークが枯渇してしまったわけです。
私はこともあろうに自傷行為をすることで、その不安から一時でも離れようとしました。0.01%くらいは私はこんなに苦しいんだということに気付いてほしいという気持ちも無くはないですが、痛みによる現実逃避が主たる動機です。
これは逆効果です。破壊的な行動にでることによって余計に周囲から孤立することになります。
倒れる前に「たすけて」の4文字が言えたならば、こんなに心を複雑骨折することにはならなかったと思います。簡単なようで難しいこの4文字。言い慣れていない言葉なので、まだまだ使うタイミングを間違える不器用な私ですが、自分を極限まで追い詰めるようなことはもうやめようと決めました。
まわりとの距離について、今後どうやってバランスをとれば良いのかもう一度学び直すつもりです。それをテーマにまた後日。
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