運命があるなら、それは自分自身の夢に近づくものだ
どうも、スロバキア出身のベロニカです。
何もかも上手く行かないと誰だって思ったことがあるはず。
私もその一人。
少なくとも、昔はちょっとした失敗や運の悪さで病む人だった。
色々あったけど、そんな中で気づいた。
遠回りしても、一歩ずつ、自分にとって最もいい方向へ進み、夢へ近づいているということに。
もはや目に見えない何かにそういう方向へ引っ張られているようだ。
何の話かというと、最後まで読んでいただければ分かるはずだ。
それでは!
どんな夢がありますか?それは生き方に関する夢ですか?働き方に関する夢ですか?
その夢に向けて努力していますか?または川の流れに身を任せて生きていますか?
夢が叶うために努力しているはずだが、なんだか遠ざかった気分ですか?
色んな困難や苦労を乗り越えて夢に近づいていますか?
何もうまく行かないと感じながら、目標へ一歩ずつ進んでいるかもしれない。
どういうこと?
子どもの時から周りから私への期待値が高い方だった。勉強が普通にできたし、言語も話せたため「国連とか大使館で働いてもいい」と親などによく言われた記憶がある。
やりたい職業が拒否され、とにかく高いところを目指せというプレッシャーもあった。
「こんなに言語ができればきっといい仕事に就くに違いない」
と言われる度に100円をもらえば、もうどんなに金持ちだったんだろう?w
しかし、何も分からない周囲と違って、現実はそんなに甘くなかったし、甘くない。
大学で日本語を専攻して、チェコのどこかの日系企業へ入るんだろうな、と思っていたが、念願の留学で「やっぱ日本がいい」と思い、チェコに戻っても日本での遠隔就職活動をしていた。
星の数ほどの応募をし、数多くの面接を受けた。しかし、毎回同じ問題に直面した。
気づけば
「労働ビザがないと雇ってもらえない。内定がないと就労ビザが下りない」
という永遠のループの中を走っていた。
どうもできないのは何より悔しかった。
自分が無能すぎる!!と断りメールが届く度によく泣いていた。
大学の勉強と忙しいバイト生活に覆われる日々を送りながら、よく2年も頑張ったとは思うけどね。
こんなことをしていたら、チェコの日本語通訳市場もオーバーしていた。留学へ行く直前にオファーがあったのに、日本へ行きたい私がいたので、状況が変わって仕方がなかった。
それで先生の誘いで、博士課程へ進学することになった。PhDを取りたかったわけでもなかったけど、どうしたらいいのか分からなかった。それでも真面目にやっていた。仕事をしながら。
そして予想外のことが起きた。結婚願望マイナスの私はある人と電撃結婚をした。
好きな人と一緒にいられるように、この道しかないと感じていたから、ついていくことにした。
博士課程の課題をやりながらついて行こうと思っていた私が愚かだったかもしれない。仕事できると思っていた私はバカだった。
ビザがないので働けないし、日本での滞在も限られていたので、旅することになった。いろんな国を回りながらの生活がとても楽しかったし、夢のようだった。しかし、サラリーウーマン兼研究者だった私は、結局やりたいことを何もできなくなった。
その悩みを旦那に明かしても理解してもらえず、気づいたら何も言えなくなり、不満がたまっているだけだった。
そんな感じで、研究ができなかった私は博士課程を辞める決意をした。先生はベロニカのことを分かっているから、相当な理由がなければ辞めてないだろう、と私の現状を理解してくれた。
これでヨーロッパ生活の全てを捨てたと言っても過言ではない。
とはいえ、その2週間後には、旦那が離婚したいといきなり告げてくる。
ショックで涙をこぼした。
これで全てを失った。
全て失ったが、ヨーロッパに帰りたくなかった。アジアが好きだったから。
そしてどこかで感じた。
「今ヨーロッパへ帰れば、夢が叶わない」
だから、全てを失った私は、友達がいるタイのバンコクへ行くことにした。行ってから次どうするか決めようと。
有難いことに、人に恵まれているという何よりの財産を持っているから、皆の力を借りて気づいたらバンコクで働いていた。
しかし、生活ができるとはいえ、満足していなかった。職場での虐めや理解してくれない上司の影響で働くことが地獄だった。それでも辞めなかった。
そしてコロナがやってきた。
で、私を含め一年未満のスタッフが解雇されることになった。
当時はすっごく色々不安だったが、振り返ってみると、精神的にやられている私をコロナが救ってくれたといってもいい。
幸い、二週間で次の就職先が決まった。
そして、終わりそうにないバンコクの厳しいコロナ規制の中で、2回目の失業を迎えた。
1年経った今や「戻ってくれないか」という常連さんからの連絡があるけど、私はもう進んだみたい。
どこの誰かの名言なのかはもう覚えていないが、確かこんな感じだった。
「上司にしてはいけないのは、ギャンブラー、アル中、麻薬をやっている人だ。こういう人は上司になるとどんなに頑張ってもいいことがない。」
いや、ちょっとまった!
この3年、ギャンブラー上司もアル中上司も麻薬上司もいたんだけど??
そして確かに良いことはなかった。
こういう話をもっと早く知りたかったけど、働き始めた頃に、どんな上司の元で働くかは分からないから、避けるのは余計に難しいことだと今や思う。
みんないい人だったけど、一緒に働くのはとても辛かった。
もしかして、いいタイミングを待つための一段階だけだったかもしれない。知らんけどw
そういうこともあって、会社とか飲食店とかではなく、方向を変えなきゃと感じつつどうしたらいいのか分からなかった。
そして、ノマドを目指すことになった。
そのきっかけの一つは、去年訪れたジョージアで出会ったノマド達だ。
旅行や異文化大好きな私は、ノマドに憧れていた。いつかなってみたい、という夢を見ていた。しかし、なれる自信がなかった。
現在、周りの支えと応援を貰いながら、ノマドという働き方かつ生き方を目指している。
4年くらい住んでいたバンコクを去り、新しい道を歩むことに挑戦しようと思っている。
今のところ、生活できるレベルではないため、決して簡単な方を選んだわけではないが、失った自由を取り戻すのに、今はこの選択肢しかないように感じている。
再びのゼロからのスタートだと言いたくても、支えてくれている仲間がいるので、ゼロとは言えない。
むしろ、大きなプラスです。
心の底で持っていたあの偉大な夢を今実現できるよう、頑張っている。
まだまだ力不足を感じているけど、今の私にはこの挑戦、この道しかないと強く感じる。
凄く不安ではありながらね。
働き過ぎた時期と、全く仕事ができなかった時期と、どっちもこの数年で体験した。
解雇とか、悲しいこと、悔しいこと、失ったモノすべては、私に今の道へ案内しようとしたんだろうな、と今強く思う。
もちろん、タイミングとかあったんだけど、直感が強い私は「これからだ」と感じている。
長い間、博物館にある像のように留まっていた私は、今はとにかく「刺激」と「成長」を求めている。
振り返ってみると、どんな苦労があっても、それはただの方向変更に過ぎなかったことだった。自分にとってよりいい道を歩ませるために。
だから夢が叶うためにこれからも努力しようと思っている。
だって、夢へ一歩ずつ近づいているよ?
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