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全ての歴史を抱く、慈愛に満ちた母

僕は「あの人」を思い出したことで、人生の「見える広さ」が大きく変わった。

12年という自分の短い人生の中で形作られ、養われた、「世界」という感覚……。


周りを奥深い緑で囲まれた、この小さな村。

家も、お店も、本の蔵も、神殿も、すべて石で造られていて、みんなが集まる神殿などの建物以外はみんな同じような形・見た目をしている。

村に住む住人もそんなに多くはない。

自分は内気だから全員と話したことがあるわけではないが、顔と呼び名を知らないという人はこの村にはいない。

仕事は自分の家のすぐ近くの畑を手入れしたりする程度。

それ以外は、気が向いた時に学びの舎(いえ)で同じ年齢の子たちと一緒に勉強したりしている。

村の外がどうなっているかなんて、考えたこともない。

というか、村の端に行ったことさえほとんどない。

(噂によると、本の蔵の建物の裏は、森が寄せ集まって鬱蒼と生い茂っていて、そこが村の一番の端らしい)

そんな僕が”ここ”以外に世界があることを知った。

自分がいかに狭い小さな世界に住んでいたのかを知ると同時に、
自分の「心の世界」が一気に果てしないほど大きく広がった。

「あの人」の姿を追い求めているうちに、知らず知らずのうちに知った、「下の世界」の存在。

この村が何千個も――いやそれ以上か――集まってできた、
一つの大きな家のような、広い世界……。

その家の中には、とても偉大で高貴なお母さんがいる。

歴史を抱き、時を愛で、家を守り、慈しみをもって子供たちを育ててくれるお母さん。

時には愛に溢れる言葉を。

時には厳しい言葉を。

子供たちが住んでいる地域の分だけ、お母さんにはそれに寄り添った「顔」がある。

また、子供たちが時代と共に成長して行くにつれて、お母さんもそれに合わせて「顔」を変えてゆく。

だけど、どれだけいろんな「顔」を持っていようと、子供たちにとってのお母さんは世界に一人だけだ。

……そんな空想をしてみた。


いる。

たしかに、「下の世界」には僕の探している「あの人」がいる。

ここまで研究を進めてきて、僕はもうほとんど確信に近づいていた。

それに、「あの人」のイメージから底知れない母性を感じたのは、勘違いなんかじゃなかったのかもしれない。

「あの人」の胸に包まれて、とても幸せで、とても安心感を感じている自分。

その感情の記憶が、僕を「あの人」の真実へと近づけた。

僕はまだ子供で、広い大人の世界を知らない未熟者ですが、こんな僕でも支えてくださるという方がいらっしゃったら、きっとこれ以上の喜びは他には見つからないでしょう。