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SNS時代以降のスポーツ・アスリートと団体・協会運営の関係

五輪ビッグビジネス化に歯止めを…鈴木大地長官「スポーツの報道や観戦の仕方も新しい時代に来ている」

ビッグマネーが動くにつれて、アスリートの奴隷的側面が増している。SNSやインターネットが出てくる以前には、それでも問題が無かったかもしれない。しかしSNSやインターネットの大頭で、メディアの使い捨てが明るみになってきている。この記事ではそのあたりを考えていきたい。

スポーツ大会の構造の起源

スポーツ大会の構造は古代ローマ時代からあまり変わっていない。よって問題はもともと存在していたが、メディアが「問題」を浮き彫りにさせているといっても過言ではない。マスメディアが出現してきてから、放映権による収益化により、より加熱されることになる。

マスメディア以降

マスメディアの最大の関心は視聴率である。画面で切り取っている映像のクオリティをここで最適となるのは、次から次へと出てくるアスリートを、本気で競わせて最高のパフォーマンスを引き出すことである。引退後に手のひらを返して、アスリートを次から次へと使い捨てにしたとしても、ごく一部の関係者にしか悲惨な引退後が広まることはない。選手が納得していようがしていまいが視聴率に関係が無いのであれば、気にすることはない。業界の仕組みとして使い捨てが最適である。闇の部分は報道せず、あこがれの対象であるキラキラしたアスリートの頂上決戦だけを報道し続ければ、次から次へとアスリート志望が現れてくる。これが続く限り問題にはならない。

見る側も日の丸を付けた日本人っぽい人が世界で戦っていることに興味があり、特定の人である必要もない。



インターネット・SNS以後

SNSというよりもインターネットの登場以後というべきだろうか。マスメディアだけでなく、個人や団体が積極的に発信することが出来るようになってから、少し風向きが変わってきた。

以前まではマスメディアが取り上げないことで広まらなかったが、インターネットとSNSにより、引退後が悲惨であることが、選手や関係者などから発信されるとそれが一気に広まるようになってきた。マスメディアが取り上げなくとも近い業界の人たちは、結構精度よく知ることとなる。アスリートも志望者もそれを見る機会は多くなる。

活躍しても何にもならない(?)

アスリートの発言で「金メダルを取っても何にもならない」のような表現をよく聞くが、これは裏を返せば「金メダルを取ったら何かが起きる、と思っている」ということだろう。

メダルを取ると何が起きるかというと、大体メディアに呼ばれ、インタビューを受け、ドキュメンタリーが作られたりもする。これは「何にもならない」のだろうか?

周囲の人からは『あそこの人、何やってるの?』っていう感じで見られていました。『テコンドーです』って言っても分からないから、説明すら面倒くさくて(笑)。他の人から見たらスポーツ選手じゃなくて、ただのフリーターなんですよ。
 五輪のあと、自分は世間からメダリストだと言われるようになりました。だけど、ただ五輪のメダリストというだけで、人を育てるような大事なこともしていないし、なにより自分が未熟だなという気持ちがありました。柔道教室で教えるときも、うまく言葉が出てこないんですよ。メダルを取っても、自分の人生が変わったわけじゃありません。だって、これからの人生の方が長いじゃないですか。


逆に言えば、普段からずっとフリーターであった場合「おめでとうございます!」とインタビューを受けることはあるのだろうか?ドキュメンタリーを作ってくれることが有るのだろうか?おそらくない。仮にあったとしても目線が入れられ、ボイスチェンジャーが入れられ「悲惨な高齢フリーター」等のドキュメンタリーで使われるなどであって、顔と名前が表に出て持ち上げられることはない。

ということは、この「何にもならない」の「何にも」は何を指すのだろうか?多くのインタビューなどから予想するところによれば、おそらく「金メダルとをったとしても、一瞬持ち上げられるだけで社会的地位が上がったり収入が増えなかった」といいたいのであろう。

現在はこういう記事は溢れているので、以前よりは知られやすくなっている。スポーツに取り組む人はこういう現実を知り、納得した上で取り組むのが本人にとっても、運営にとっても、メディアにとっても望ましいといえる。

裏も明かして、関係者が納得がいく方向へ

冒頭の記事「五輪ビッグビジネス化に歯止めを…鈴木大地長官「スポーツの報道や観戦の仕方も新しい時代に来ている」」にもあったが、このようなアスリート連続使い捨てモデルは限界に来ているのだろう。

スポーツに真剣に取り組んでいたのに、アスリートが「騙された」「こんなはずじゃなかった」と思うのが最も良くないだろう。もし関係者が最初から状況を知り、納得がいく状態であれば、こういう不満も出にくいはずである。


スポーツは「Amazonのアドオンアイテム」のようなもので、それ単体だとあまり意味がない。金メダルとっても何にもならないし、コメンテーターなどになるには、スポーツの実績に加えてメディア受けをする属性が必要。例えば芸人バリのトークやモデルのような容姿等。


こうなるのは宝くじみたいなもので、くじが外れると、残るものがほとんどない。そして大半の人は日の目を見ず、引退をすれば大多数はこれといったスキルもない30代フリーターのような状態になりがち。スポーツでの集中力や馬力を生かすには、ある程度頭もよくないと効果が薄い。

待遇面ではスポーツに取り組むこと自体の年収の期待値を計算すると、プロだけでも下手したら最低時給どころか、ブラック企業の年収にも負けるかもしれない。競技人口全体を含めた期待値(スポーツを取り組むことだけから来る全員の年収を、競技人口で割る)は下手したら年収で1000円くらいになるかもしれない。

それでも、もしかしたら、他では得られない感動や達成感は得られるかもしれない。

上記を踏まえてもスポーツで上を目指しますか?とことあるごとに提示し、それでも納得がいくのであれば、競技生活を続けてもらえば選手にとって納得は行くのだろう。ただし競争原理で人数が減るので、国際的な順位などは下がるかもしれないが、そもそもこの国際大会における順位自体が自己満足の域ではないだろうか?

理想のインタビュー

これらが促進されていけばこんなインタビューが起きるかもしれない。

インタビュアー「金メダルおめでとうございます。素晴らしい活躍でした。」
田中選手(仮名)「そうですね~(中略)」
インタビュアー「さて田中選手、スポーツ以外のお仕事は何をされておりますか?まさか、スポーツだけやっているだなんてことは・・・ないですよね?」
田中選手(仮名)「はい、もちろんです。普段は外資系の投資銀行で資産運用の戦略を策定しています。」(勿論ここは何でもよい。「医者です」とか「サイバーセキュリティの会社の社長やってます」とかでも。)

こういう状況になっていけば、スポーツも健全になってきたように見受けられる。

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