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【冨山和彦】“日本式企業”の仕組みは溶けてなくなる。問われるのは個人の武器

「自分の力で道を切り拓き、生きていける人になりたい」と考える大学生や20代の若者は、どのようなキャリアを歩んでどのような力をつけていくべきか――。
本企画は、日本を代表する経営者が悩める若者にエールをお届けする連載企画。第一回目のゲストは、長期・持続的な事業・企業価値の向上を目指し、経営支援サービスを提供する株式会社経営共創基盤のCEO冨山和彦氏です。
冨山氏は20代の頃にどのような意思決定をし、どのような経験を積んできたのか。またこれからの社会を生き抜くために必要な思考について、VENTURE FOR JAPAN代表の小松が話を伺いました。

冨山 和彦_HP

株式会社経営共創基盤(IGPI)
代表取締役 CEO
冨山和彦

東京大学法学部卒、スタンフォード大学経営学修士(MBA)、司法試験合格。
ボストンコンサルティンググループ、コーポレイトディレクション代表取締役を経て、2003 年に(株)産業再生機構設立時に参画し COO に就任。解散後、IGPI を設立し現在に至る。
 パナソニック(株)社外取締役。 経済同友会政策審議会委員⻑。財務省財政制度等審議会委員、財政投融資に関する基本問題 検討会委員、内閣府税制調査会特別委員、経済産業省産業構造審議会新産業構造部会委員な ど政府関連委員多数。
近著に『コーポレート・トランスフォーメーション 日本の会社をつくり変える』『コロナシ ョック・サバイバル 日本経済復興計画』『AI経営で会社は甦る』『なぜローカル経済から 日本は甦るのか G と L の経済成⻑戦略』他。

日本の大企業のサラリーマンにはなりたくない

――冨山さんは20代の頃、どのような考えでどのような意思決定をしてきたのかを教えてください。

僕の最初の意思決定は、東京大学3年生の3月に司法試験を受けると決めたことです。試験があるのは4年生の5月なので、勉強期間は2ヶ月程度。さすがに1回目で受かるとは思わなかったので、1〜2年は留年してもいいかなと思っての決断でした。

普通なら就職活動を始める時期ですが、なぜ司法試験を受けたのかというと、いわゆる日本の大企業にサラリーマンとして入社するのは絶対に嫌だったからです。この思考は僕の父親が大きく影響していて、父は最終的には経営者として成功しましたが、最初に入社した名門商社は倒産したんですね。

どんな企業でも潰れる可能性があって、自分でコントロールできない環境に運命を委ねるのはリスクでしかありません。幸いにも父にはカナダ生まれで英語がネイティブという武器があったので、企業に依存しない道を自ら切り拓きましたが、父の人生と世の中を冷静に見たとき、会社が潰れても生きていける武器が僕にも必要だと思いました。

また、子どもの頃から父の仕事仲間である海外のトップリーダーと接する機会が多く、その意思決定やスピード感を知った上で、高度経済成長期から変化していない“日本式企業”に属するサラリーマンを知ると、正直まったく違う生き物に見えたんです。

確かに、大量生産型の日本企業の現場オペレーションは素晴らしいけれど、先進国がこのまま現場オペレーションの素晴らしさだけで戦い続けるのは無理があります。それを30年前の学生時代からぼんやりと感じていたので司法試験を受けるという選択肢を取りました。

ただ、本当にショックだったのは大学5年生のときに受けた2回目の司法試験にも落ちてしまったこと。受かるつもりで受けた試験に落ちたのは、このときが人生で初めてで、愕然としたことを今でも鮮明に覚えています。

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日本の大企業ではなく、知名度のない外資コンサルファームへ

――6年生で受けた3回目の司法試験には合格していますが、冨山さんはコンサルティングファームに入社されました。その背景には何があったのでしょうか。

司法試験の結果は10月にならないとわからないので、春に3回目の試験を受けた後に就職活動を始めたんです。たくさんオファーをもらう中で、面白そうだったのが経営コンサルティングファーム。

そこで、6年生の夏頃からBCG(ボストン・コンサルティング・グループ)で働くことにしました。すると学習量が多くて仕事が楽しかったため、数ヶ月後に司法試験の合格通知を受け取った頃には、僕の興味は士業から遠のいていました(笑)。

BCGは、今でこそ世界的な3大戦略コンサルティングファームとして知られていますが、当時はグローバルで500人もいない、知名度の低い会社でした。しかも1980年代の日本は「Japan as No.1」で、日本の技術力や大企業こそが世界一と思われていた時代。

日本の大企業やエリートコースに行くことこそが「王道」と信じて疑わない世の中なのに、ほとんど知られていない外資のBCGに入社したことで、周りからは「ドロップアウトした」と思われている感覚はありました。でも、この選択は僕にとって大正解だったと思います。

先輩たちは僕を引き上げようとしてくれるし、僕自身も乗りに乗っていた。そんななか、入社後1年も経たないうちに人生の分岐点が訪れました。BCGに残るか、スピンアウトして日本初の独立系経営戦略コンサルティングファームCDI(コーポレイト・ディレクション)の創業に参画するかを決めなければならなくなったのです。

正直、BCGに居続けたらトントン拍子で“日本人最年少パートナー”になれる可能性はありました。でも、80年代前半の日本では会社を作ること自体が一般的ではなかったし、その貴重な機会に当事者として立ち会えるなんて、またとないチャンスです。一度きりの人生だからこのチャンスを逃すと後悔するだろうし、若い自分に失うものは何もない。だから、迷わずCDIの道を選択しました。この決断も、周りから見るとかなり驚きだったと思います。

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20代から30代半ばまでは、給料をもらいながら勉強する期間

――冨山さんは学生時代からチャレンジングな道を選択されていますが、世の中の多くの若者が同じように選択できるわけではありません。どんな思考を持てば挑戦の道を選べるでしょうか。

安全な道を選んだと思っても、その場所が安全だとは限りません。防空壕が安全とは限らないのと同じです。大切なのは、最低限、人生で諦めることが無いように稼ぐ力を身につけられる場所はどこなのかを見極めること。

学習能力も吸収力も高い20代から30代半ばまでをどこで過ごすのかはしっかりと考えたほうがいいし、むしろ給料をもらいながら勉強する期間と捉えてもいいと思います。その大切な期間を「花見の席取り要員」として使う企業は、辞めたほうがいいですね。それから、20代のうちから「自分のバリューを出す」ことに固執する必要もないと思いますよ。

――親や学校の先生からの“ブロック”に合ってしまう場合はどうするべきでしょうか?

もし、親や学校の先生が日本式の大企業や銀行が安全で、それ以外に行くことを認めない価値観ならば、その意見は聞かなくていい。そもそも、倒産するはずがないと思われていた日本長期信用銀行(長銀)が、バブル崩壊後に経営破綻したことや、リーマンショック後にJALが破綻したことを、親や学校の先生が知らないはずがないですよね。

僕を含め、周りにいるいわゆる成功者たちに、日本式の大企業や銀行を自分の子どもに勧める人はいません。なぜなら、長いこと変化できずにいる日本式企業の仕組みは限界があると思っているから。それよりも早いタイミングから意思決定ができるスタートアップや、ハードワークだけど勉強の機会が豊富なコンサルティングファーム、プロフェッショナルな学者や医者などへの道を応援する人が多いですね。

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今も残る日本式企業の仕組みは、1990年代に終わっていた

――新型コロナウイルスの影響で、人の働き方や価値観は大きく変化しています。今後社会はどう変わっていくと思いますか?

外出自粛要請によってリモート化が進んだ人は、不要だった会議やクローズドな場所での根回し、無駄な飲み会などがなくなって、これまでどれだけ貧しい経済活動をしていたかを痛感したと思います。特に、若い世代はコロナ以前から“サラリーマンの当たり前”に対して背を向け始めていたから、今回の社会の変化は嬉しい変化ではないでしょうか。

そもそも、日本式企業の仕組み、つまり終身雇用や年功序列といった高度経済成長期に作られた会社の仕組みは、ネットワーク化が始まった1990年代で終わっていなければいけないものでした。それが、30年も引きずって今日に至ってしまったのは、会社の仕組みに合わせて社会保障を含めた社会全体のシステムが作られていて、違うシステムに移行できなかったからです。

でも、有事の際に既存のシステムは一気に移行するので、今は日本にとって本当にチャンスのとき。もともと溶けてなくなるべきだった仕組みは、この機会にどんどん溶かせばいいと思います。

そうなると増える仕事は、ホワイトカラーと個人が価値を創造するナレッジワーカーです。本来仕事とは、誰かのために付加価値を生み、それを欲しい人に買ってもらうことで対価をいただく活動。当然、サラリーマンを演じることが仕事ではありません。

顧客に直接訴求する仕事が優位な世の中に変わりつつある中で、自分と顧客との関係性が見えない大企業の歯車の一部のような仕事はますます厳しくなるでしょう。また、ホワイトカラーやナレッジワーカーは物理的に集まって集団で作業する仕事ではないので、会社はその仕事を効率化する・サポートする以外に、存在する意味がなくなる可能性もあると思っています。

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最終意思決定は、エリート組織でも大企業でも経験できない

――若者が2年間の期限付きで、地方の中小企業やスタートアップの経営者の右腕に就き、経営力や起業家精神を身につけるVENTURE FOR JAPAN(以下、VFJ)の可能性について、冨山さんはどう感じていますか?

20代から30代の若い時期に困難な課題に直面して、自ら克服する経験を積むのは極めて大事なことなので、その場を用意しているVFJは素晴らしいと思っています。将来リーダーや経営のプロフェッショナルになりたい人はもちろん、自分の力で生きていく力を身につけたいと考えている人は、VFJという選択肢は視野に入れたほうが良いでしょう。

VFJのプログラムに参画すると、中小企業やスタートアップの意思決定者として、2年間は自分で経営判断をして、その決断に責任を持つことになります。逃げ場がないから不安や焦り、恐怖などを伴う“しんどい仕事”になるかもしれませんが、そもそもそういった経験ができる環境がほとんどないことを考えれば、相当恵まれた機会だと思うんです。

仮に大企業やエリート組織に入社して20年のキャリアを積んでも同じような経験はほとんどできませんし、経営コンサルタントとしてキャリアを積んでも、経営者の横で評論家として見ているのと、実際に自分で意思決定するのとでは雲泥の差があります。

もっといえば、1万人の組織で副社長まで登りつめたとしても、最終責任者でなければ1万人を管理する「中間管理職」止まりなので、意思決定者の世界を知ることはできません。だけど、たとえ10人の組織でも自分で決断したことに対してリスクを取る最終意思決定者になれば、経験者にしか絶対にわからない世界を知ることができる。それを20代の2年間で経験すれば、今後の人生は大きく左右されるでしょう。

僕も20代後半から30代半ばにかけて、相当厳しいリアルを経験して今があります。CDIに移籍後しばらくしてスタンフォード大学MBAに留学したのですが、帰国するとバブルが崩壊して会社が傾いたんですね。

資金がショートする寸前まで追い詰められ、リストラをしたり資金調達に走り回ったり、全国を行脚しながら“ドブ板営業”をしたりと、会社が「生きるか死ぬか」の状態を当事者として経験しました。このリアルなサバイブ経験が僕を大きく変えたのは間違いありません。

企業に属せば社会に何らかの価値を“自動的”に提供できていた時代は、そろそろ終わりに近づきます。そうなると多くの人が直面するのは、自身が持つ業(わざ)は何で、誰に何を提供できて、それに対価を払う人はどれくらい存在するのかという“問い”。VFJでの2年間で意思決定者の世界を知れば、それはグローバルで戦える強い武器になると思いますよ。

コロナショックにより世の中はますます流動化が進み、30年変われなかった日本の社会が大きく変わる転換期となりました。それは、若い人にとってすごく良い時代の幕開けと言えるので、withコロナやアフターコロナのダイナミックでチャレンジングな時代をどれだけ愉快に過ごすかを考えながら、ぜひたくさんのチャンスを手に入れてください。正直、30歳若返ったらどれだけ面白いだろうと、羨ましいほどですから(笑)。


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