「猫を棄てる」それでも僧としてその人は、月に合掌した。
このところずっと今の状況を村上さんならどう表現するだろうと考えていたので、新刊が出たのは嬉しかった。
直接、話題には触れなくても、世界(社会)の見方という意味で、今に通じるものはあると思う。
なにより、村上さんが父について語るのをわたしもずっと待っていた読者の一人である。
父の千秋さんは俳句を能くする人であった。
村上さんがこの文章を書き残しておきたかった理由は、これだったのではないか。
兵にして僧なり月に合掌す
二十歳の青年はこの句に、どれほど抱えきれない思いを込めたであろう。
そして、後にこれを読んだ息子の思いは。
小さな人間一人にはあらがえない圧倒的に大きな力がある。
どれだけ叫んでもびくともしない絶対的な「壁」だ。
そういう理不尽な、不条理な、力の中に身を置かれると、人はどうなるのだろうか。
諦めか。
祈りか。
無か。
兵にして僧なり月に合掌す
それでも、僧としてその人は、月に合掌した。
村上さんの作品や短い文章を読んでいると、父との間にはおそらく、書きたくない何かがあった(あるいは通じ合える何かがなかった)ことは、だいたいの読者なら想像はつく。
親子の感情というのは、どの家においても、簡単にはいかない。
ただ、この俳句を目にしたとき息子は、無条件にその人の存在を抱きしめたくなったのではないだろうか。
父の置かれた状況をありありと感じ取り、
その向こうにある「壁」を見たのではないだろうか。
17音という短い表現に込められた静まり返った夜の戦場を。
村上さんの父親が毎朝、仏壇(ガラス・ケースの菩薩様)の前でお経をあげていたエピソードは、2009年、エルサレム賞受賞のスピーチが記憶に新しい。
He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike.
「猫を棄てる」にも同じ父の言葉が出てくる。
前の戦争で死んでいった人たちのためだと。そこで亡くなった仲間の兵隊や、当時は敵であった中国の人たちのためだと。
エルサレム賞受賞のスピーチでは、卵と壁の話が知られているが、90歳で亡くなった父親が、教師を引退し、パートタイムでお坊さんをされていたというくだりが、印象的であった。
そのことは「猫を棄てる」には書かれていない。
代わりに、お父様が本当は、安養寺の住職になりたかったのだろうという推察と、なれなかった理由が非常に克明に(克明すぎるほど)丁寧に書かれている。
あとがきにはこうある。
でも僕としてはそれをいわゆる「メッセージ」として書きたくはなかった。歴史の片隅にあるひとつの名もなく物語として、できるだけそのままの形で提示したかっただけだ。
ここに書かれているのは個人的な物語であると同時に、僕らの暮らす世界全体を作り上げている大きな物語の一部でもある。
月に合掌し、それを句にしたためることで生き延びていた二十歳の青年は、僧である前に兵士という、
「広大な大地に向けて降る増大な数の雨粒の、名もなき一滴」であり、
「固有ではあるけれど、交換可能な一滴」であった。
本書の最終章にある。
「しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。
一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。われわれはそれを忘れてはならないだろう。たとえそれが…」
小説家である作者は、父が俳句によって救われていたことを知る。
いわば初めて、書くことによる救いを共有する。
書くことで父は息子に伝え、作者もまた読むわたしたちに、多くのことを伝えてくれる。
いかにこの俳句が人の心を打つものであっても、二十歳の兵隊の俳句を二度と生み出してはならない。
いかにちっぽけに思える命であっても、段ボールになんか入れて棄てられてたまるか。
「猫を棄てる」を読んだら、感想文を書きたくなった。
参考までに
村上春樹さんの本を読むたび書いている感想文や雑文はこちら
作中の香櫨園にある村上さんの通っていた小学校を訪ねた話
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