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今、落語を勧める3つの理由

女子大生の娘さんを初めて落語会に連れて行った友人曰く「娘が、落語の内容がわかったのは2人くらいだった、って」。
おそらく10人近くが高座に上がっていたはずの落語会だ。ちなみに娘さんは日本人で日本語がわかる。
談志師匠なら「あー、あれか。お前の娘は、馬鹿か」って言いそうなところだけど、わたしは優しいのでそんなことは言わない。「へえ。」心の中で思うだけだ(あんたの娘は…)。うそ、嘘だよ。

ちょうど、インターネットで「ラジオで何を言ってるのか聴き取れない小学生」という話を見たばかりなので、最近の若い人は目からの情報に過分に頼ってるんだろうなと思った次第。
とはいえ、若くないわたしも、最近本を読むと写真が少ないな、と思ってしまうので同じようなものだ。

だから落語を聴いてそれを克服しよう、みたいな話がしたいわけじゃなくて、単純に落語は面白いから聴いた方がいいよ、という話。

(※文中、噺(はなし)=落語、噺家=落語家、で置き換えて読んでもOKです。っていうか、混在していますがご容赦ください。)

さて、わたしが、落語を聴いた方がいいと思う理由。

理由 1 昔がわかる 今がわかる

理由 2 笑える、泣ける

理由 3 話芸の凄さ、芸人の凄さがわかる

理由 3 暇つぶしになる。

あ、無理やりまとめたのに、3つ以上あった。


理由 1 昔がわかる 今がわかる

落語には、江戸~昭和初期時代に作られた落語がそのまま今に伝わる古典落語と、それ以降に作られた新作落語があって…以下略。

○古典落語で昔を知り
古典落語は、そうだなあ。時代劇に飛び込む感じ。殿様がいて偉そうな武士がいて、欲望に忠実な若旦那がいて、退屈なご隠居がいて、かぼちゃも豆腐も路地に売りに来て、けんかっ早い大工がいて、ちょっと足りない与太郎も愛されていて、花魁がいて。そういう登場人物がでてくる時代の噺だ。ストーリーもさることながら、そういう時代が実際にあって、その中で人々が生き生きと生活していたことがわかるのが面白い。

吉原や、借金のかたに娘を差し出す、なんていう、今時どうかというような、その辺にうるさい方々の目に留まりませんように、と祈らずにはいられない噺もあるけれど。それはそれで、そんな時代もあったのだと、鷹揚に受け止めてほしい。

時代劇になじみがない、というのはみんな同じなので安心して。
たとえば、”へっつい”なんて、なんのことやらわからない言葉はちゃんとわかるように説明してくれる場合が多い。ちなみにかまどのことです。え?かまどがわからない?そのうちそこから説明が必要になるかもしれないね。
喧嘩のたんかや、講談や歌舞伎のセリフの言い回しで何言ってるかわからない時は、リズムだけ聴いて、なんかすごいって思っていればいいのだ。

○新作落語で今を知る
とっつきやすいのが、新作落語の方なのは間違いない。普通にジーンズを履いてるような登場人物が出てきて、今の言葉でしゃべっているので、場面が想像しやすい。これが落語なの?と思うことも多い。素直に聴いて、笑ったり泣いたり笑ったり泣いたりして楽しめばいい。

噺のテーマやその中で語られるディテールは、まさしく今を描いている。例えば、わたしが最近聴いた関西の超大御所の新作落語は、スマホのお客様相談室の悲喜こもごもがテーマだった。がっつり、現代の話。

けれど、世の中がちょっとずつ変わっているうちに、新作が新作っぽくなくなっていくこともあって。
立川志の輔師匠の『みどりの窓口』という新作落語がある。老若男女誰もが笑える落語で、わたしが落語が面白いと気づくきっかけになった落語で、まごうことなく誰もが認める名作なのだけれど、題名どおり、JRのみどりの窓口が舞台になっている。
まさか、みどりの窓口に並んで切符を買う光景がなくなりつつある世の中になるなんて!紙の切符がじゃんじゃん出てくる世の中じゃなくなるなんて!!
設定の前提が崩れていって、この後この落語はどうなっていくんだろう、と気になっているのはわたしだけではあるまい。

というわけで、新作落語を聴くと、今現在の風習、もしくは時代の移り変わりが感じられるのだ。おそらく後から、それぞれの新作落語が作られた時代が、どんな時代だったかの証になっていくのだろう。

とはいえ、新作が古くなったからといって、即葬られるわけでもなく、即古典になるわけでもなく。古典落語を現代に置き換えている噺も多々ある。有名な『寿限無』君も、現代のいろんな場所に生息している。
『みどりの窓口』も今時にリメイクしてくれたら嬉しいなあ。たとえば切符を買う時の支払方法で混乱する駅員さんとお客さんが登場するとか。

理由 2 笑える 泣ける


わたしは笑いたくて落語を聴きに行っている。
人情噺で、じーんとしてこっそり涙をぬぐったり、怪談噺でゾクっとしたり、いけすかない登場人物にイライラすることもあるけれど、最後にはオチがある。それが落語。
噺の世界に浸って、帰りにはほっこりとした気持ちで会場を後にできるのだ。感情を揺さぶられる良い時間を過ごせることは間違いない。

難点は入り込み過ぎると、口調を真似したくなること。「ちょいと、お前さん」とか帰り道に友人に呼びかけしちゃうので、おそらくわたしの周りは迷惑している。
ちなみに、朝、なかなか起きてこない夫を、『芝浜』の女房をまねて、「お前さん、起きておくれよ、商いに行っておくれよ」と起こすと、「あー、朝から鬱陶しい!」と怒りながらすぐに起きるのでお勧め。

落語自体もさることながら、もう一つの楽しみは「マクラ」。落語の前のちょっとしたおしゃべりだ。
日常の些細なことの場合もあれば、時事問題のこともあって、たいていは面白い話をしてくれる。とらえ方や切り口がやはり落語家さんは冴えているなあ、と思う時間。センスが問われるし、何度も同じことを言うわけにもいかないし、大変だろうなとも思う。
生で落語を見ることを勧めたいのは、マクラはその方がぜったいに面白いから。テレビで毒舌だと思う人を実際に見たら、テレビではそれでもマイルドに話してることがわかるだろう。決して、テレビで流れることのないマクラを聴いて、共犯者気分を味わうのも一興。
マクラだけをまとめた本も出ているので、好きな落語家のものがあったら読んでみるのも面白いと思う。


理由 3 伝統芸能の凄さ、落語家の凄さがわかる


先日、音楽のライブに行ったときにびっくりしたのは、舞台演出の派手さだった。特にぱっぱと変わる照明の美しさには、演奏よりも目を奪われるくらい。

それに引き換え、落語はー。
舞台の真ん中に座布団が置かれている高座がポツン。ホールであれば後ろに屏風があるものの、それが大道具のすべて。
登場するのも落語家ひとり。
なんてシンプル!ミニマムの極致。これぞ和の粋。

他の国にもこういう伝統芸能はあるのかと思って、調べてみた。…という人がいたら教えて欲しい。落語だけであって欲しいと思っているのだけど。

落語がすごいのは、同じ噺を何度聴いても楽しめること。落語家が違うと雰囲気は変わるし、同じ落語家の場合でも過去に聴いた安心感をもって楽しむことができる。なんて持続可能性のある芸能なんだろう。

複数の登場人物をひとりで演じる落語家もすごい。子供から老人まで、動物から神様まで、幽霊から絶世の美女まで。セリフ回しと所作だけで、高座の上のおじさんが本当に美女に思えてくるミラクルをぜひ味わっていただきたい。最近は、テレビドラマやお芝居の舞台に落語家が出てることもあるけど、いつも座ったままで何役も演じわけているのだから、違和感がないのもうなずける。
芸人って、芸のある人を指す言葉だよな、ってテレビを見てて思うこともあるけれど、落語家はまごうことなく芸人だ。

それから地味に尊敬しているのは、長い時間正座でいられること。わたしだったら舞台そでに戻るときに生まれたての仔馬のようにヨタヨタの姿をさらすことだろう。


理由 3(?) 暇つぶしになる


暇つぶしになる、なんて書き方は言葉がよくないけれど。
落語が面白くなってくると、いろんな方面に興味がわいてくる。もちろん、他の噺が知りたくなる、他の噺家が知りたくなる、というのもあるし、噺の舞台である江戸時代の風俗や、場所についても知りたくなってくる。
そんなわけで、余暇を持て余している人にはもってこいの、長く楽しめる趣味になりうるのだ。

待ち合わせまでの数時間を持て余している人にとってももってこい。今、駅前から本屋さんが消えて、ふらりと入れる場所がなくなってしまってしまったけれど、そんな時には落語。池袋、浅草、上野では毎日落語が聴ける寄席があるし、ちょっと調べれば落語会が毎日どこかで開かれていることがわかるはず。
勇気を出して飛び込めば、待ち合わせの時間まであっという間。待ち合わせすら忘れることうけ合いだ。

とはいえ、初めての人にとって落語の敷居が高いのは間違いない。
初めての経験は何であれ記憶に残るもの。最初に誰を聴くかで、落語が好きになるかどうかが決まってしまうので、そこは失敗してほしくない。
ファースト落語には、とりあえず名前を知っている落語家が出てる会をお勧めする。
テレビなどで見知ってる顔が高座に現れたら嬉しいし、やっぱり有名な人の落語は面白い。ただ、あまりお年を召したベテランの方の落語だと、聴きとりづらいというのもあるので、選択の余地があるならば、若い方の人を選んだ方がいい。
理想は、寄席ではなく地元のホールで行われる二人会の夜の部、という感じかな。地元の広報誌を次回は必ずチェックしてみてほしい。

ちなみに、20年くらい落語を聴き続けているわたしは自他ともに認める暇つぶしのプロに成長した。それから、自己紹介が上手いと言われるようになったのは、落語のおかげだと思う。


我が家の落語本コーナー。ガンダム写り込むなよー。



落語を聴こう、それも今!、というのは、コロナのせいで存続が危ぶまれるほど、寄席が財政難に陥っているということもある。新宿末廣亭はクラウドファンディング実施中だ。落語会に足を運んで、応援をする人が増えるといいなと思う。








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