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密かな願い

今週は心穏やかに過ごそうと決めたのに、人生そううまくはいかない。
せめて自分のことだけに集中しようとしたが、今度は事務的な手続きの連絡がひっきりなしにかかってくる。

紆余曲折ありながら、どうにか祖母を施設に入所させる目処がついた。

今回の入院のことがあるまで、どこかで祖母はこのまま自宅で過ごし続けるんだろうなと思っていた。年齢は高齢でも、生活するのにそれほど不自由していなかったのと、どうやっても伯父からは離れられないだろうとも思っていた。

だからこそ、ここまで持ってくるのは並大抵ではなく、文字通り紆余曲折を経て今に至る。まだ完全に仕事が終わったわけではないが、少しだけ希望が見えた。といっても、祖母よりも伯父のほうが抱えている問題が多く、祖母はそれに比べたら可愛いほうだ。

今までよりもこれからの方が、もっと道が険しくなると思う。
施設だって、入ったら終わりではなく生活は続いていく。
祖母や伯父の生活だけでなく、もちろん私自身の生活も続く。

少しだけでいいから休みたい。
これが正直なところ。
けれど、仕事も家族の問題も何かと差し迫っていて何も待ってくれない。

♦︎

今日はいつもより仕事が捗った。
たったそれだけなのに、ひどく嬉しかった。
しばらく達成感なんて味わっていなかったし、できないことやダメな自分ばかり見て落ち込んでいた分、余計に嬉しかったのかもしれない。

何かを頑張るためにはエネルギーが必要だ。
そして私は今、エネルギー切れを起こしている。
家に帰った途端、何もかも頑張りたいと思えないし、生活に必要な最低限しか動けない。洗濯物を畳むことすら憚られる。

今年度はもっと余裕がある状態のはずだった。
こんな風に、嘆きながら日々を過ごすはずではなかった。
どこをどう間違えてここに辿り着いてしまったのか、今となっては分からないが、気づけば引き返す道がなくなっていた。

前の道も真っ暗。
そして障害物だらけ。舗装もされていない。
ひどい話だ。

それでも回れ右しないのは、私のような苦労を誰か別の人に押し付けるわけにはいかないという、使命のような気持ちがあるから。
結局、彼らが通った道を今度は私自身が通ることになる。
そのときに、違う誰かが泣かずに済むようにしておきたい。

発散したいというだけでなく、そういう気持ちがあるからここに書き続けているのだと思う。もし同じようにお金のことで困っていたり、介護のことで思い詰めている人にとって、一人じゃないと思える蝋燭一本分くらいの灯になれれば、このどこにもやりようのない思いが報われる気がする。

そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。