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心配されることの嬉しさ

仕事で定期的に出張がある。
世の中がこんな風になってからは、出張先でもご飯に行かずコンビニで買い込んでホテルに籠ることが増えた。
それまでは定期的にご飯を食べに行き、ご当地の美味しいお酒を飲んでお土産に買って帰るなんてこともしていたがそれは遥か昔のことだ。

今はなんにもないビジネスホテルのベッドの上でこじんまりしている。本当に何もすることがないので持ち込んだタブレットでちょこちょこ作業してみたり、ぼーっとTVを見たりしているだけなんだけど、個人的には家とはまた違った空間でいい気分転換になる。
どこにも行けないけど、ある意味旅行しているのと変わらないし、寂しいけどご飯はコンビニでもまぁいいかなと思っていた。

ところが会う人会う人からご飯の心配をされる。
ご飯いつもどうしてるんですか?
コンビニのご飯だと飽きませんか?
そうやって、ありがたいことに多くの人が私のご飯問題を私以上に心配してくれるのだ。「土地勘のない場所で1人で外食もしづらいですし」と答えると心から同情して様々な提案をしてくれる。なんだかもうその気持ちだけで十分すぎるくらい嬉しい。おかげで一食をもっと大切にしようという気持ちにさせてもらえた。

私は元々食に関心が薄い。
今でこそわりとしっかり自炊して時間内に食べて、という規則正しい生活をしているがそれまではとても人に言えたものではなかった。朝食や夕食がお菓子だけの日もあったし、食べないで過ごすこともざらだった。ジムに通い出した頃、一日の食事を聞かれて正直に答えたら大学生より酷いと苦笑されたこともあるほどだ。それくらい食べることに関心が薄く、低血糖状態になるまで何も口にしなかったことも一度や二度ではない。だから、出張先でのご飯が3食コンビニになりかけていても正直そこまで気にしていなかった。

でも、こうして心配されてみるともうちょっと自分自身でも気にした方がいいかも、という気持ちになってきた。ただ、陽性者が減ってきたとは言えまだ気軽に誘いにくい状況には変わりない。とはいえ流石に晩御飯までお弁当にして持っていくのは衛生面が気になるので現実的では無さそうだ。立地的に気軽に立ち寄れるチェーン店がほとんどないのも辛い。となると、コンビニではなくスーパーに立ち寄って買い物するのが一番現実的かもしれない。それならもう少しラインナップも充実しそうだ。ご当地のものも置いてあるかもしれないし。

食事一つとっても自分に無関心って怖いなと感じた。
何かを不満に感じても、「まぁいいか、仕方ない」で我慢したり気にしないようにし過ぎる傾向があるので、今後はもっとこうしたいという自分の気持ちを優先させてあげようと思う。

それにしてもご飯の心配をしてくれる人がいるって嬉しいものだ。ご飯というかその気遣いが嬉しい。私もこんなこと聞いたらお節介かもと思わずに誰かの心配ができる人でありたい。

そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。