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星辰は降る(1)

慈光寺の本堂の裏庭には見事な紫陽花(あじさい)が咲いていた。
どの花も赤ん坊の頭ほどの大きさで、青や赤紫の球(たま)を深い緑の丸い葉の間に置いたように咲いている。
ぼくは、慈光寺の住職の息子、斎藤公明(きみあき)と同級で、幼馴染だった。
今日も、公明と星の話をしようとこの本堂の裏手に回ったのである。
いつも、本堂の濡れ縁から呼ばわるのが習慣だった。
「きみちゃん、おーい」
奥から、
「今、行く」
と、いつもの高い声の返事があった。
寺の息子らしく、公明は、よく通るこの声で本堂でお経をあげるのである。
障子をあけて出てきた公明は、きれいに七三に分けた頭で、どう見ても坊主には見えなかった。
彼に言わせれば、浄土真宗では頭を丸めなくてもいいのだそうだ。
「よっ!あがってよ」
「うん」
先月十七になったぼくたちは、兄弟のように仲が良く、喧嘩らしい喧嘩をしたことがなかった。
だいたい公明は、寺の子であり、達観したところがあって喧嘩の相手にならないのである。
『子供の科学』や村山先生(村山定男、五島プラネタリウム館長)の『星の手帖』などを公明から借りて読むうちに天文への興味が湧き、ぼくらの通っている県立高校でも二人で天文部を創部する活動をして、今年の春から学校に認められたところなのだった。
顧問の山本史郎先生とたった三人の部活動で、これから一年間、何をするのかを今日は公明と二人で話し合おうと来たわけである。

本堂は天井は高く薄暗かった。目が慣れるまでしばらくかかった。
板の間から畳の仏前のほうに進み、わずかな光線で陰影を得て浮かび上がる本尊、阿弥陀様にぼくは手を合わせた。
「すわってよ」「うん」
足元の畳の上には、『フラムスティード天球図譜』や野尻抱影(のじりほうえい、五島プラネタリウム理事)の星座関係の本が散らばっていた。
公明はずっとここにいたらしい。
「きみちゃんさ、望遠鏡を部室に持ってくるって、ほんと?」
「ああ、無いと、天文部の格好がつかないじゃん」
「大事なもんだろ」
「ここにあっても使わないし」
「ふぅん」
「それよか、部費っていくらくらいもらえるんだろうね」
「わかんないよ。山本先生に訊いてみるか」
「最初は、もらえないんじゃないかな。おれ、そう思うんだ」
腕を組んで、公明が思案顔で言う。
そこへ、ぺたぺたと足音が近づいてきた。公明の六つ上の姉、良子(りょうこ)だった。
公明は二人姉弟なのだった。
「あら、浩二くん、来てたの」
「こんにちは」
ぼくは、そのぽっちゃりとしたやさしい笑顔におじぎをした。
「きみあきは、また本堂でこんなに散らかして…もう。住職に叱られるよ」
「おれの部屋は暑いんだよ」
「またそんなこと言って」
二人のやり取りを聞きながら『天文ガイド』の今月号や『星の手帖』なんぞをぼくは、見るでもなくめくっていた。

民俗学者の野尻抱影は「プルート」に「冥王星」という訳をつけた人で、星座や星の和名について日本中を歩いて調べた偉人でもある。
文化勲章受章作家の大佛次郎(おさらぎじろう)は野尻抱影の弟であった。
当時、ぼくらは野尻氏の著作を、何冊も読んでいたのである。
去年、東京渋谷の五島プラネタリウムにも二人で出かけたのであった。
※五島プラネタリウムは2008年に建物ごと解体され、財団も解散した。この物語は、野尻抱影が亡くなった1977年より数年後の東京周辺の県が舞台と考えてほしい。

空模様が怪しくなってきたので、とりとめもない話だけでぼくは寺を辞した。
翌日にでも学校で話せばよいことであるから。

家に帰ると本降りに、雨が激しく屋根を叩いた。
「浩二、帰ったんかい?」母が台所から声をかけてきた。
「ああ、ただいま」
ぼくはそのまま、二階の自分の部屋に上がった。
この部屋は、去年までは兄の浩一と一緒に使っていたものだが、兄が今年から東京に働きに出てしまったので、独り占めしているのである。
兄が使っていたベッドに仰向けに倒れ込み、雨脚の音に耳を澄ませた。
ふと、公明の姉、良子さんの豊かに揺れる胸元が思い出された。
匂い立つような女の色香を感じたのである。
ぼくは勃起していた。
手が、ズボンをずらし、パンツの合わせ目から恐る恐る侵入し、熱く、硬くふくれあがった分身を握る。
表に引っ張り出すと、ぼくは良子さんを思いながらしごいた。
「あの、おっぱいに顔をうずめたい…」
そんな破廉恥な妄想があざやかに瞼の裏に浮かぶのである。
汗ばんでいるであろう、透き通るような胸肉を想像して、手を早める。
骨でも入っているかのような硬さを保つペニスをさすり、包皮を下に引っ張る。
しびれるような神経の感覚が下半身を走る。
うぐっ…
喉が鳴って、ぼくは射精してしまった。
何度も、白いものが噴きあがったのを、もうろうとした頭で見ていた。
雨脚の音が、一段と大きく聞こえてきた。

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