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真の平等 ~その人はあなたの奴隷ではない。対等な人間だ~

平等ってなんだろうか。

絶対的な平等、相対的な平等、いろいろあって難しいと思うので僕には結論は出せないが、僕のなかにひとつある考えとして大事だと思うことに

"人として対等"

というものがある。
どういうことかというと、
老若男女関係なく、人と人との間に理不尽な上下関係などない
というものです。

理由や実力ゆえの上下関係というのは生きていたら絶対ついてくる。

・情報を持っている人は持ってないひとより得をすることが多い
・裕福な家庭で生まれたこは貧乏な家庭のこよりもいい暮らしができる
・イケメン美人の方がモテる
・大企業の役員は零細企業の社員より豪華な暮らしができる
・とある国ではその国民以外に選挙はない

等々、キリがないほど差やハンデはあるし、構造的にどうにもならないこともある。
そんな中にも、時代に合わせて変えていく必要があるものもあるでしょうが、そんな大きな話を今回しようというわけではないです。

もっと根本的で、そして直接的に我々の心身に関わることについてです。
本質的に、一番最初の根っこまで戻って考えたら自分も相手も"同じ対等な人間"なんだ。対等な相手に対して奴隷のような扱いをしてはいけないというものです。具体的に言いましょう。
人に対してハラスメントや嫌がらせ、無礼な態度をしてはいけないというものです。

この意識を持つことは、理不尽クレーマー、モンスターペアレント、パワーハラスメントなど現代の多くの深刻な社会問題について考える際に重要だと僕は思います。

横行する客による店員へのハラスメント

一番始めに取り上げたいのは、客と店員の関係についてです。
カスハラってことばが最近出てきましたね。
カスタマーハラスメント…客による店員への必要以上の攻撃や嫌がらせ。

僕はずっっっとこれについて思っていたので、やっとワンフレーズの言葉が世間に出てきて(まだそんなに定着していないと思いますが)少しすっきりした気がします。

僕は今、そういった仕事をしてるわけではないですが、客として色んなお店へ足を運ぶとやはりちょくちょく目にします。

お店(コンビニでも飲食店でも)で働いたことがある人なら1度は経験したことがあるという人は多いんじゃないでしょうか。

・やたら偉そうな客
・理不尽なクレームをつけてくる客
・感情をぶつけてくる客
・怒鳴る客

等々
店側の態度に問題ありというパターンもありますが、今回は圧倒的に多い客側に焦点を当てて書きます。

上記のようないきなり店員に態度がでかい客
なぜそんな人があとをたたないかというと
"相手の方が立場が下だと思ってるから"
に他ならないと思うのです。

だって普段仲良くしてる友人、同僚や家族にいきなりそんな無礼な態度をとらないでしょ?

そしてそんな態度をつきつけられた店側は基本的に頭を下げたり、相手に配慮したりするしかない。それがどんなに理不尽であっても。
だってそこで反撃や反論などしようものなら、99%以上の確率でそういう人間って逆上するから。
なぜならそういう人間は、"自分より下の人間が自分に反撃なんてしてくるはずないと思っているから"
反撃なんてしてこようものなら、パニックになって理性が保てなくなのでしょう。クレーマーがいつもオラオラと騒いでるのを見れば一目瞭然です。

だから結局、最後にはクレーム着けたもんがちになる。企業は平謝りするのが運命付けられている。
そういう図式が出来上がってしまってるんですよ。だから客側が付け上がる。

"客が上"という構図が世の中全体に染み着いてしまっており、客も企業もそういう認識になってしまっている。

僕はこれについて、ホントにおかしいとずっと思っている。
なぜ従業員は理不尽な相手が現れた時に、必ずストレスを抱えて、奴隷のように対応しなければならないのか

しょうもないクレームなんて無視しろ!
と思うのです。

昔よくあったテレビCMの差し替えしかり、少数のクレームに配慮しすぎる日本人の習性。この令和の時代にそろそろ考え直す必要があるんじゃないだろうか。

客からの苦情箱とかご意見箱を用意しているのをよく目にしますが、店側の視点もやったらいいじゃん。と思う。
"むかつく客リスト"
"むかつく言動リスト"
とかを作って「こんな客は嫌だ!お断りだ!」て堂々と貼り出してアピールすればいい。

嫌なら来なきゃいいんだし。それでも店がまともならくる客はくるし、むしろ一部の害のある客が来なくなることで大多数の良識ある客及び従業員の満足度は絶対に向上するでしょう。
本当に店に非があるようならその店はそれで衰退するだろうし。

理不尽にマウントをとりたがる客なんて相手にする必要ない。相手に合わせて奴隷に成り下がる必要なんて決してない
嫌ならくんな!くらいの態度でいいでしょう。
その方がみんな気持ちいい。

どこまでのマナーで振る舞うか、とか本来店側が決めることでしょう。
店のことを思って、ためになる意見(クレーム)をしてくれたものは取り入れたらいい(というか本来そういうもの)ですが、

なんのためにもならない、ただ客が偉ぶってるようなしょうもないクレームなんて無視しろ

客は金を出す。店はサービスする(物を売る、食わせてやる)。それは意思の合意による等価交換であってそこに上下関係などないでしょ
客も店員も"対等な人間"でしょ。

ちなみに僕も一件、不快な思いをした料理店があったが、もうここには来ないでおこう、と決めて何も言わずに去った。僕はもういかない。けどそこに行く人なんていくらでもいる。そのお店にはそのお店の接客態度やスタイルがあるんだから、わざわざ僕に合わせなくたっていいんです。
それでいいじゃないですか。

利益があがればいい。利益さえ守れるなら、それ以上無理に一部の客にあわせて従業員を犠牲にする必要なんてない。

接客態度があまりにも酷いとか、法律違反じみたことをしてるとか一部アウトな事例もあるでしょうがそれは別として、大体の場合は客の要求や指摘にいちいちへりくだる必要なんてないと思うんです。

店員に平気でタメ口で喋りかける人をよく見ますが、それが愛のある、友好的な話し掛け方なら微笑ましいと思うのですが、アホみたいなのがよくいる。
喧嘩腰、上から目線、無礼で偉そうな態度のもの。純粋な疑問なんだが、そんな不快なタメ口に対してなんで店が敬語で答えないといけないのか?
個人的には敬語同士が理想だけど、タメ口にはタメ口でそれ相応の態度をしたらいいのでは?
世の中は教養のある人間ばかりではないので、そういう人が他人に礼儀を欠くのは勝手だが、それに対して敬意を払う義務や義理など毛頭ないと思うのだが。
それが人として対等ってことだと思います。

これこそ真の働き方改革じゃないの?
いま行われている働く時間改革も大切だけど、従業員を含めて人はみな対等な存在だと認識するなど、本質的に働き"方"を変えようよ。理不尽なストレスを背負い込むことに正当性なんてどこにもない。労働者は奴隷じゃないんだから。

ちなみに一時話題になった、"注文の仕方で値段が変わる居酒屋"というものをネットで目にした時は
これだよこれ!もっと世間はこうなれ!!と強く感じたのを覚えています。
・すみません、生ください
・おい!生!
など注文の仕方で同じビールでも値段が変わるというものだったんですが僕が言いたいのはこういうことです。

モンスターペアレントやパワーハラスメント問題

他にも似たような事例ってたくさんいまの日本にはありふれてると思うんです。
現状はあまり詳しくないですが少し前にモンスターペアレントって言葉をよく聞く時期があったように思います。
子供の学校の先生にたいして、あれやこれやと好き放題言い付けたり、こうあるべきだって理想像を押し付けたり、なにかと過大要求する親の総称。

先生は親の奴隷なのか。いやいや、対等な人間じゃないですか。

ただ親、先生という役割を演じているだけで、そこに理不尽な上下関係などないでしょう。
これも教員という仕事をブラック化させている大きな原因の1つだと思います。

職場の上司部下の関係にも同じことが言えます。

ふつう会社には、組織として仕事を回すために役割や権限といったものがそれぞれの人に上当てはめられていますよね。
その結果 上司、部下という上下関係はできますがあくまでもそれは仕事を効率的に遂行するための決めごとですよね。客と店、親と先生、上司と部下、すべて同じです。 ただ生活や仕事上必要な役割を演じてるだけで、中身はみな"対等な人"じゃないですか。

だから業務上、正当な理由があれば上司は部下に指導しなければならないし、部下は上司に従って仕事をする義務はある。でも、

そのことが人が人に感情をぶつけて怒ったり、理不尽な命令をしたり、無礼な態度をとっていい理由には決してならない!

パワーハラスメントが問題視されている現代ですが、そもそもこういった言動を起こす人は"人と人の対等な関係"というのを忘れ、"私はあいつよりも人として偉い人間だ"という傲りが根底にあるのだと思う。

現代はこんな攻撃的なストレスに溢れている。
今風にいうと、上司"ガチャ"に外れただけで色々と失ってしまうのだ。今までの自らの努力やチャンスを全て捨ててしまう人だっている。自殺してしまった人もたくさんいる。ほんとに深刻な問題だと思う。
こういう人間はどの時代のどの世界にもいることでしょうし、他人は変えられない。でも、だからこそ、
世間はそれを許していいのか、このまま人が人を奴隷として扱うことを見過ごしていいのか、考える必要があると強く感じる。

対等な"人"として争う覚悟を

"人への思いやりや優しさ"を社会がもっと認識すれば、どんなにストレスが減り、生きやすい世の中になるだろう。
理想だな…と僕は思う。

でも、世の中曲者揃いです。「優しくしましょう。人に敬意を払いましょう。」といってそれがわかる人ばかりではないでしょう。

でも、そんな人でも"人と人との対等さ"については理解できるんじゃないかと僕は思うのです。

"対等な相手に対して攻撃しようものなら反撃がくるかもしれない"
"対等な相手にに理不尽な攻撃をしたら、無事ではすまないかもしれない"

ということは想像できるんじゃないだろうか。
人は自分の痛みやリスクに敏感だから。

自分が"人として上"だと誤認しているような人は、自分が反撃を受けるかも知れないと分かれば目を覚ますかもしれない。

だから、世間は横行する理不尽に対してもっと毅然とした態度をとっていいと思うのです。

いちゃもんクレーマーは相手にしない
無礼な相手にはそれ相応の態度で十分
怒鳴るような上司には部下からの反撃を許す

等々。

人間は相手から反撃がされないと思うと、付け上がって無礼な振る舞いをしがちです。いじめっこが弱そうな人をターゲットにしていじめるあの胸糞悪い社会問題と同じです。

自分も相手も人として対等な存在です。
間違っても理不尽な攻撃なんてしてはいけません。
でもいろんな人がいますから、わかり会えない人がいるのも当然わかっています。だから僕は別に喧嘩や対立を否定するつもりは毛頭ありません。

しかし、どうしてもいざこざを起こすのなら、相手が気に入らない店員だろうと鼻につく部下だろうと隣のクラスのアイツだろうと、
あくまでも"人として対等な相手"だということを覚えておきましょう。

相手は決してあなたより下の存在、奴隷などではなく対等な存在であると。

そして世間は、店員、子供の先生、上司等の役割ではなく、"同じ対等な人"たちによって社会は作られていることを認識して、今後の物事を捉えてみてほしいと思います。

理不尽な奴隷扱いにストレスを抱える現代人が少しでも減りますように。

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