『どうして隠さないといけないのだろう』
いま関ジャムを観ながらこの記事を書いてます。
これ、関ジャニ∞のメンバーがメインで回してる音楽番組なんですけど、結構面白いんですよ。
音楽番組によくありがちな、ゲストを呼んで、歌を唄ってもらって、みたいな流れはほとんどなくて、毎回テーマをひとつ決めて、そのテーマについて学んだり、深掘りしていくみたいなスタンスの番組なんですね。
例えばテーマが『山下達郎』だったら
山下達郎を愛してやまないアーティストをゲストで呼んで熱く語ってもらったり、山下達郎さんご本人にインタビューを敢行して、ご自身の楽曲について話を伺ったり、音楽観について講義をしてもらったり、とか。
その深掘り度が面白くて、勉強にもなるのでたまに観てるんです。
わからない用語とか音楽の歴史、各種楽器の奏法や音の作り方なんかは、解説者という名の旦那が横について教えてくれますし。
週に一度の勉強会みたいなものです。
今日はゲストに私の愛する渋谷龍太が出ていたので、ウキウキしながら観ていたんですよ。
テーマが『東京』にまつわる楽曲だったので、
メンバー全員が東京出身で、ついこの前『東京』という表題のアルバムをリリースしたSUPERBEAVER、ならびに渋谷さんはきっと番組的にも使いやすかったのでしょう。
まあ、その前の山下達郎回とかにもちょこちょこ渋谷さん出てたんですが、その時はちょうど仕事が忙しい時期だったので、録画しておくだけでまだ観れてなかったのです。
なので「久しぶりにリアルタイムのぶーやん(渋谷龍太)観れる!」と楽しみにしてたんですね。
ご存知の通り私はジャニオタでもありますので、
推しグループではないにせよ、昔から応援してきたヒナ(村上くん)やヨコ(横山くん)と関わってくれるのも嬉しいことですし。
ウッキウキしながら番組を観て。
実は今結構凹んでます。
いや、番組の内容自体はよかったんですよ。
ぶーやんの軽妙な語り口も聞けましたし、あの独特な言い回しとか、相変わらず博識な一面が知れてとても嬉しかったんですよ。
長渕剛の『とんぼ』をそんな深い目線で見てる人初めて見ましたよ。
それはよかったんですが。
観ていてふと気づいたことがあって。
渋谷龍太をご存知の方はわかるかと思いますが、
ぶーやんって、身体中タトゥーだらけなんですよね。
こんな感じの人なので。
もうバッチバチにタトゥー掘ってるんですね。
番組を観てて、ぶーやんが身振り手振りで熱く語っている時に、ふと違和感を感じたのです。
「あれ?指が綺麗だな」と。
指にも入ってるんですよね、タトゥー。
なのに、それが全然見えなかった。
引きの画の時によくよく観察してみたら、
ぶーやんの指、テーピングだらけなんですよ。
まあ、明らかに隠してるのが丸わかりというか。
私はそれを見た時に、めちゃくちゃ悲しくなったんですよね。
「なんだ、結局世間は多様性を認めてくれないのか」って。
タトゥーの是非はおいといて。
良いとか悪いの話じゃなくて。
だって刻まれたタトゥーも、男性にしては長すぎる長髪も、目元を囲む濃い化粧も。
全部含めて渋谷龍太なのに。
それを隠そうとするなんて、それは結局、ありのままの『渋谷龍太』を否定しているってことじゃないですか。
そのまんま出せないなら、呼ばなきゃよかったのに。
そりゃ私も大人ですから、タトゥーに対して未だ良く思わない人が多いことは知ってます。
私自身もあんまり好きではないです。
痛いしね。
だからそれが画面に映れば不快になる人もいるでしょうし、もしかしたらクレームも来るかもしれません。
でも、じゃあ隠せばいいやってのは違くない?と思うわけです。
隠したら隠しただけ、それが歪な違和感として画面に残ると思うのですよ。
見えなきゃいいや、とか、見ないフリしようとか、そういうことじゃないと思う。
そんなの都合の悪いことを隠す政治家と何が違うんだろう、って、そう思ったんです。
「多様性が!多様性が!」って叫ぶわりに、
結局『不快なもの』には蓋をして見ないようにしたくなるものなのかもしれません、人間って。
アーティストはすべからく表現者だと私は思ってます。
特にフロントマンとしての矜持を人一倍強く持っている渋谷さんなら尚更。
表現者としての『アーティスト渋谷龍太』の姿を、テレビ側の都合で隠して欲しくはなかった。
すみません、勝手に熱くなってますが、これはただのファンの戯言です。
でも多様性が叫ばれる時代だからこそ、
そして全世界に自分の好きな形で表現が出来る時代になってきたからこそ。
そろそろ『見えなければ“ないもの“と一緒だ』っていう価値観、やめませんか?
この記事が参加している募集
もしもサポートをいただけたら。 旦那(´・ω・`)のおかず🍖が1品増えるか、母(。・ω・。)のおやつ🍫がひとつ増えるか、嫁( ゚д゚)のプリン🍮が冷蔵庫に1個増えます。たぶん。